第20話 世はまさに小説ブーム
今日も今日とて執筆していたある日のこと、アランが屋敷に来たという知らせを聞いて私は応接室に向かっていた。
応接室では今日も正装を着こなすアランが来客用の椅子に座っていた。
私に気づくと椅子から立ち上がって恭しく一礼する。
「ご機嫌よう、レティシアさん。執筆の調子はいかがかな?」
「ご機嫌よう、アラン様。今日も絶好調ですわ。原稿は完成しております、どうぞ」
「拝見します……あれ、二作って聞いていたんだが」
アランが手に持っている原稿の束は三つ。
ペンが乗って書き上げた新作のことを説明するのを忘れていた。
「ああ、こちらは閃いた新作です。恋人関係にあった二人が新たな刺激を糧に仲睦まじくなるという純愛ものですわ」
「なるほど。……なるほど。これは、いい」
出だししか読んでいないというのに、アランは噛み締めるように感想を呟く。
どうやら彼は少し愛が重い系の話が好みらしい。
丁寧に原稿を書類ケースにしまうと、アランは紅茶を一口啜る。
「最近、僕たちの後追いをする出版社が増えてきた。といっても、僕のようにツテもないから苦労しているらしい。作家の確保に困窮しているそうだ」
「まあ、是非とも読んでみたいですね。どんなジャンルなのかしら?」
「怒らないのかい?」
「まさか、怒るなんてとんでもない。他の人がどんな物語を紡ぐのか、ああ、考えただけでも興奮するわ!」
恋愛系かエッセイ系か、とても気になる。
この世界の人間はどんな言葉で、どんな風にテーマをつけて書き上げるのか。
きっと、私よりも真に迫った言葉を選んで綴られているのだろう。
甘美な妄想に身体中の毛が粟立つ。
「……はははっ、本当に君は変わっている。一体どんな人生を過ごしたら、自分の功績に拘らない考え方を持つようになるんだ」
「あら、そう言うアラン様だって変わっているじゃありませんか。『本にする価値がない』ものを本にして売ってしまうんですもの」
「それを言われちゃ立つ瀬がないな」
「ねえ、アラン様。どうして私の物語を本にしようなんて思ったのですか?」
アランは私の目をじっと見ると、静かに紅茶を一口飲んだ。
それから、ニッと笑みを浮かべる。
「君の素晴らしさを世に知らしめたいから、じゃあ理由にならないかい?」
「あら、お上手ですこと。投資のリスクに見合うだけの素晴らしさをアラン様に見せていたならいいのですけど」
「はあ、君は何というか世辞に慣れているね。どう言えば君は恥じらいを見せてくれるんだい?」
「ふふふっ、手でも握れば恥じらいますわ。……試してみます?」
右手をアランの方に差し出す。
彼はゆらゆらと右手と私の顔を見比べて、首を振って肩を竦めた。
「やめとくよ。僕の方が恥ずかしくなってしまいそうだ。やっぱり君は手強いね」
「あらあら、私はまだ殿方と手を繋いだこともありませんよ」
「奇遇だね。実は僕もだ」
これは『自分も異性と手を繋いだことがない』という初対面の出来事を加味すれば大変失礼な意図を込めているのか、それとも『異性含めて誰とも手を繋いだことがない』のか、はたまた、『女性はあるが、男性とはない』ということも含めているのか。
挑発的に笑うアランに考え込んでしまった自分の性分を少し恨みながらも曖昧に笑って誤魔化す。
「ああ、そうだ。近頃王家主催のお茶会が開かれる時期だ。恐らく君も招待されるだろう」
「建国記念日のセレモニーですか。気乗りしませんね」
「十中八九、シェリンガム公爵も来るだろう。当日、僕もなるべく君をサポートしたいのだが……」
エッシェンバッハ侯爵の令息としての挨拶回りもあるのだろう。
アランは少し渋い顔をした後、はっと天啓を得たように目を見開く。
「そうだ、レティシアさん。今、婚約を結ぼうじゃないか!」
「は?」
「そうすれば僕たちが離れる理由もなくなるし、君を一人にする理由もなくなる!」
「アラン様。その閃きは素晴らしいとは思いますが、婚約とは両家の当主が結ぶもので、私たちがどうこうできるものでは……」
「む、早計だったか」と考え込むアランの顔を、私は呆れながら見つめる。
時々、彼は冗談なのか本気なのか判断に悩むようなことを口に出す。
大体は私のためを思ってのことなので、深く気にしないことにしている。
「アラン様、建国記念日のセレモニーでは一人にならないよう心がけますわ。ビジネスパートナーである私のためにここまで御心を砕いて気にかけてくださってありがとうございます」
「あぁ、そうだな。君の父親ならきっと君を守れるだろう」
そう言って、納得したようにうんうんと頷くアラン。
やはり、私の知らない間に二人は親交を深めているらしい。
今度、どんな会話をしているのか聞いてみるべきかもしれないと考えながら紅茶を啜る。
「王家主催のお茶会では新調したドレスを着るそうだが、レティシアさんはどんなドレスを着るつもりなんだ?」
「あぁ、ドレス……」
転生直後、ドレスを着れることに心踊ったものだ。
お姫様気分を味わえたのは最初の一週間。
夏真っ盛りの今では、じっとりと汗を吸い込む上に重く締め付けるドレスは執筆の邪魔でしかない。
時間帯によって着用するドレスを変え、アクセサリーを変え、髪型を変えては帽子も変える。
富と権力を目に見える形でアピールしなければいけないと頭では理解していても、前世から馴染みのない文化なので辟易してしまうのだ。
そのドレスを一から仕立てるとなると、材料決めからサイズ調整、ドレスの型など色々と決めなくてはいけない。
食事制限は苦ではないが、肉体的成長に伴うバストの増加だけはどうにも出来ない。
「も、もし色を決めてないなら紺色がオススメだぞ。シックな色合いで今年の流行なんだ」
「紺色は引き締まって見えますものねえ」
「だろう! 迷っているなら是非とも紺色にするべきだ!」
「心に留めておきますわ」
それからアランは帰るまでしきりに紺色や藍色などの青系統をプッシュしていた。
よっぽど青色が好きと見える。
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