第226話
「エッチするでもないのに一緒に風呂入るってなんか微妙な感じだな……」
すっぽんぽんに脱がされて頭から熱いシャワーをかけられている恭弥はそう愚痴った。
「言ってる場合ですかっ。本当にもう……退院したその日に動けなくなるまで鍛錬するなんてどうかしています。もう少しご自愛ください」
そう言った文月はメイド服を着たまま器用に恭弥の身体を洗っていく。
普通であれば服がビショビショになってしまいそうなものだが、傍使いとしての技量なのか今のところ彼女には一滴も水が付いた様子はない。
「いやあ、面目ない……」
正論すぎる正論なので、恭弥としてはひたすらに頭を下げる他なかった。
「今夜はお務めがあるのですよね? 大丈夫なのですか?」
「それは大丈夫。今夜のは戦闘はないはずだし、身体も飯食えば治るはずだから」
「そうですか。時間も押していますし、手早く洗っていきますね。目を閉じてください」
「はいよー」
ゴシゴシ……文月のたおやかな指が優しく、それでいて手際よく頭皮を清潔にしていく。
きっと時間があれば頭皮マッサージをするだけの技術が彼女にはあるのだろう、そう思わせるほど文月のシャンプーは心地よかった。
「はい、流していきますよ」
再び熱いシャワーが頭にかかる。モコモコに泡立ったシャンプーが流されていく。それと同時に、頭皮の汚れがしっかりと洗い落とされた時特有の爽快感が訪れた。
「洗い足りないところはございますか?」
「いや、大丈夫だよ。それにしても、文月は本当になんでも出来るなあ。美容室でシャンプーされてるみたいで気持ちよかったよ」
「ふふ、傍使いヒミツの技術です」
文月はそう言って口元に指を持っていっていたずらに微笑んだ。
○
食堂に行くと、テーブルの上にはすでに文月が下ごしらえをしたらしい品々が並んでいた。注文通り、肉をメインとした種々で、ステーキはもちろんの事牡蠣やとろろなど長い入院生活で失っていた栄養を一発で補給出来そうなメニューだった。
普段優司が座っている席には彼の姿はなく、代わりに天城が着席して肉をガツガツと貪っていた。
「遅かったの。その様子じゃと、やはり相当消耗したようじゃな」
「予想外にな。身体中痛くてしょうがない。ところで、父さんは?」
天城に給仕をしていたアリスに問いかける。
「旦那様ならお仕事があるとかで私室にいらっしゃるわよ。今頃私の作ったサンドイッチでも食べているんじゃないかしら?」
「そうなんですね。しかし、本当に忙しいんだな……」
「そうみたいねえ。最近はあまりここに顔を出していないし、もっぱらお部屋でお食事をする事が多いかも……というか坊っちゃん、文月とお風呂に入ったんだって?」
ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべながらそう尋ねるアリスに、恭弥は今のさっきでどうやって耳に入ったんだと驚きながら「まあ」と答えた。
「で? 手は出したの?」
「そんなんじゃないですよ。鍛錬のし過ぎで身体やっちゃったんで入浴介助です」
「なんだー。やっとかと思ったのにい」
「それが母親の言う事ですか。っていうか、誰から聞いたんですか」
「メイドにはメイドのネットワークがあるのよ?」
「左様でございますか……」
情報が筒抜けすぎて怖い。狭間家に草が侵入したらボロボロ大事な情報が抜かれるのではないだろうか。その内優司に相談しようかな、なんて考えていると、恭弥の分の夕食を持った文月が入ってきた。気のせいか、顔が若干赤らんでいる。
「お母様! 他のメイドさんにお話ししませんでしたか?」
「あらーなんの事かしら?」
素知らぬ顔で言うアリスだったが、話の流れからして文月と一緒に風呂に入ったのを井戸端会議か何かで話したのだろう。
「とぼけないでくださいっ。厨房に行ったら茶化されたんですよ?」
「やっぱり……」
予想通りだった。これはいよいよ本格的に狭間家の情報統制策を練る必要がありそうだ。
「いいじゃない。私は事実しか言ってないわよ?」
「言っていい事と悪い事があります!」
「ま、まあまあ。過ぎた事はしょうがないさ。それより、早く飯をくれ。もうあんまり時間がない」
「あっ、申し訳ありません。今お持ちします」
恭弥の前に芳しい香りを放つ品々が並べられていく。ナイフとフォークを手にし、まずはジュウジュウと美味そうな音を立てているステーキを切り分けて口に入れた。
狭間家ではステーキというと、タンパク質重視のため脂身を控えた赤身の部分を使用している。そのため、噛めば噛むほど肉の旨味が溢れ出る。
「あー……これだよこれ! 身体が生き返る……」
今一番身体が必要としている栄養素が補給されていくのがわかる。浸蝕によって破壊された体細胞が急速に修復されていく。
身体というのは不思議なもので、壊れれば壊れるほどより頑丈に治っていくのだ。今、恭弥の身体は浸蝕という破壊に対応しようと「食」という材料を元に急ピッチで身体を適応させていた。
「文字通り生き返っておるじゃろうな。再生の能力はあやつに渡してしまったが、それでも尚お主の身体は人のソレより頑丈じゃ。次は今日のように倒れる事もなかろう」
天城は指に付いたステーキソースをピッピッと跳ねさせながら得意げにそう言った。ちなみに、テーブルに跳ねたソースはアリスがすかさず布巾でサッと拭っていた。
「じゃなきゃ困る。浸蝕使うたびにいちいちぶっ倒れてたんじゃ皆のお荷物になっちまうからな」
「うむ。まあそもそもアレを使うような事態にならんのが一番なんじゃが……そうも言っとれんだろうからな。喰って喰って喰いまくる事じゃな」
なんて事を話しながら食事を続ける事10数分、食堂にゾンビのような顔をした優司が入ってきた。
「やあ、美味しそうなご飯だなあ」
そんな事を言いながらふらふらとした足取りで近寄ってくる優司はまさにゾンビだった。
「え、ちょっと父さん……少しは寝たら?」
「ああ、今やっと仕事が一段落したからね。何か食べてから寝ようと思ってきたんだ。アリスさん、何かすぐに食べられるものはあるかい?」
「坊っちゃん達と同じものであればすぐにご用意出来ますが、食べられますか?」
「無理にでも食べるさ。悪いけど、用意を頼むよ」
そう言って優司は恭弥の隣にドカリと座り込んだ。その様子からは傍目にも疲れ切っている事が伝わってきた。
「本当に忙しいみたいだね」
「てんてこ舞いだよ。今日の修復も実は僕が行く予定だったんだ。恭弥が帰ってきてくれて本当によかったよ……」
「意外に結界石の修復出来る人っていないんだよね。そういや千鶴さんの姿がないけど、まさか?」
「そのまさかだよ。今まさに修復中だろうね。結界が乱れてるせいで、妖の活動が活発になってるから、三級以下も討伐に駆り出されている関係で、僕はその書類の決済をしないといけないわで本当に寝る暇がない。そろそろ秘書でも雇おうかなあ」
「むしろ今まで雇ってなかったの?」
「なんとなく嫌でねえ」
「天上院さんのところから人を紹介してもらえば?」
「うーん……本格的に検討するべきだね。そういえば、神楽ちゃんが家を出たって言ってたからもうちょっとしたらウチに着くんじゃないかな?」
「え! そういう事は先に言ってよ! のんびり話してる場合じゃなくなった」
「坊っちゃんに来客みたいよー」
両手いっぱいに料理を持ってきたアリスがついでとばかりに言った。
「ほらー、もう来ちゃったじゃん」
「ごめんごめん。でも、まだ時間はあるから待っててもらえばいいさ」
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