第212話
洗濯物のシワを伸ばし、物干し竿に干す。文月にとってはありふれた日常の1ページだ。しかし今日はどうやら様子が違った。彼女は楽しげに鼻歌を歌いながら洗濯物を干している。心なしかソワソワしているようにも見える。
というのも、今日はかねてより計画されていた仮称安全ランドの現場視察が行われる日だったからだ。
元々優司が主導して行われるはずだったその計画は、話し合いによって光画の手に渡った。その結果、光画が建設の進捗を確かめる事になったのだが、優司が発した鶴の一声によって文月とアリス、恭弥の三人も見学に連れて行ってもらう事になったのだ。
恭弥がいるとはいえ、文月にとっては久しぶりの家族水入らずの外出という事になる。彼女が柄にもなくウキウキしているのも納得というものである。
「文月の落ち着きなくしてる姿なんて久しぶりに見るなあ」
そんな文月の様子を側に設置された椅子に座って見ていた恭弥は思わずそう言った。
「落ち着きないでしょうか、私……?」
「うん、まあ。でも悪い事じゃないし、むしろ年相応って感じがしていいと思うよ。ね、アリスさん?」
文月の隣で洗濯物を干していたアリスに問いかけると、彼女は彼女で見学会の事で頭がいっぱいだったらしく、「え? そ、そうね」なんていう気もそぞろな返事が返ってきた。
そんな様子を見た恭弥は、やっぱり母娘なんだな、などと考えて手元の本に目を下ろした。
とはいうものの、目ではどれだけ文字を追っていても、彼の頭を支配しているのは篁の事だった。
当初の想定に反し、篁達はこの二年の間目立った動きを見せなかった。何度か政府要人の誘拐、暗殺はあったものの、数自体を見ればそう多くないし、大半が優司達の活躍によって未然に防がれていた。
「大人しすぎるのが逆に怖いよな……ってあれ?」
思考を落ち着かせるためテーブルの上に置かれているはずの饅頭に手を伸ばすと、そこには空になった皿があるだけだった。
一体誰が、と思うよりも先に下手人は手についたカスをペロペロと舐め取っていた。
「人の饅頭勝手に食うなよ、天城」
「やかましい。お主がいつまでも食べずに放置しておくのが悪いんじゃ」
存在を認められてからというもの、天城はこうして好き勝手に現れては人の食べ物を横からかっさらっている。なので、天城は狭間家ではもっぱら妖怪食い物奪いという地位を確立するようになっていた。
「今食べようと思ってたんだよ……しかしなんだ、お前が人の力で押さえつけられる日がくるとは思わなかったよ」
「なんじゃ、急に」
饅頭を食べて飲み物が欲しくなったのだろう、今度は恭弥の飲んでいたお茶を奪い取ってコクコクと飲みながら訝しげな視線を向けてきた。
「篁の事を考えていたんだよ。改めて、お前の力を封じられると俺は無力だなってさ」
そう言うと、天城は「その事か」と得心がいったように頷いた。ついでに、空になったコップを恭弥の前に置いた。片付けろという事だろう。
「あの時天城は眠っていたんだよな?」
「うむ。なんぞ急に眠たくなってな。寝ておった」
「完全に対天城の策だよな。それをやられてしまうと俺としてはどうしようもない訳だ。けど、マジで信じらんねえよ。天城でも人間にしてやられる事があるんだな」
「別に驚く事でもなかろう。昔は我に歯向かってくる人間など腐るほどおったわ。今の退魔師が弱すぎるだけじゃ」
「そんな連中と事を構えなきゃならない俺の身にもなってほしいね、まったく」
「そうは言うが、やらねばならんのじゃろう?」
「まあね。お前抜きでも戦えるくらいには成長しないとって感じだ」
「拾壱次元を使いこなせばよいだけじゃ。狭間恭弥は強かったぞ」
「みたいだな。退魔師の開祖になるような人間だ。少なくとも安倍晴明に負けてなかったんだろうさ」
「あやつは化け物じゃ。人の身にして人にあらざる力を持っておった。我も戦いとうはない」
「やっぱり、安倍晴明は強かったんだな」
そう言うと、天城は腕を組んでどう説明したものかと悩み始めた。
「あれを強いと言ってよいものか……」
「違うのか?」
「強い事は強いが、強さの次元が違う。あれは卑怯なんじゃ。皆が将棋で戦っている中あやつは碁を打っていた。そんな感じじゃ」
そう言われると、伝承の中でしか安倍晴明を知らない恭弥としてはどんなものだったのか教えてほしく思ったが、天城があまり話したくなさそうにしていたので会話を打ち切った。それに、文月達も仕事を終えたようだった。そろそろ外出の準備をしなければ。
一度部屋に戻り、外出用の服に着替えて居間に行くと、スーツ姿の光画が優司と会話していた。
「アトラクションはまだ完成していないんだよね?」
「そうですね。一部を除いてまだ工事中です」
「なるほどね。そしたらご飯も外で食べておいでよ。今日は一日時間を取れるんだろう?」
「いいんですか? 見学とはいえ、進捗確認ですが……」
「まあまあ、お硬い事は言わない。アリスさんなんか話が決まってからずっとソワソワしてたんだから、家族サービスだと思って楽しんでおいでよ」
「すみません。本当に、優司さんにはお世話になってばかりで……」
「気にしない気にしない。ウチと光画さんは分家みたいなものなんだから」
話しがまとまった頃合いを見計らって、恭弥は二人の会話に割って入った。
「文月とアリスさんは?」
「まだみたいだよ。女性陣は準備に時間がかかるからね。待つのは男の甲斐性だよ」
「そっか。けど、本当によかったんですか? 文月とアリスさんはともかく、俺まで見学会に参加させてもらって」
「ここだけの話、園が完成したら恭弥君にはアルバイトをしてもらおうと思っているんだよ」
「マジですか?」
「あ、駄目じゃないか光画さん。せっかく恭弥にサプライズをしようと思っていたのに」
「ははは、すみません。でも、なんでもかんでも急に言われても困ると思いまして」
胡乱な目で優司を見やるも、彼はどこ吹く風でサプライズに失敗した事を悔やんでいた。
「父さんのサプライズ癖にも困ったものだ……」
「でも、僕としては結構真面目に考えているつもりだよ。恭弥にも退魔師以外の表向きの仕事が必要になるだろうからね。友達と遊ぶ時にお金の出処を聞かれて親のスネをかじってますじゃちょっと恥ずかしいだろう?」
「そりゃそうだけどさ……」
「マスコットキャラクターになって子供達の案内をするというのも悪くないと思うけど?」
いたずら好きの子供にとってはマスコットキャラクターなど体の良いサンドバッグだろう。夢を壊すようだが、マスコットキャラクターの仕事などそんなものだ。
「まあ、やらなければならない仕事という訳ではないから、今日見学して判断してくれ」
「そうですね。マスコットキャラクターはもう出来上がっているようだから、実際に着てみたらどうだい?」
「大人が着るやつでしょう? サイズ合いますかね?」
「女性用のものなら合うんじゃないかな?」
なんて雑談をしていると、女性陣の準備が終わったようだ。いつもよりバッチリ気合の入ったメイクをしたアリスさんと、お出かけ用のカジュアルワンピースに身を包んだ文月が部屋に入ってきた。
「その、どうですか……?」
「いつもメイド服だから、なんていうかこう、新鮮な感じがするな」
おずおずと問いかける文月に対し、恭弥はなんて答えるべきか考えた結果、当たり障りのない返事をした。しかし、その回答はアリス的には不正解だったらしく、手でばってんを作られてしまった。
「光画さん、正解をどうぞ」
とアリスに言われた光画は、上から下へとアリスの格好を見た後こう言った。
「そのワンピースは初めて見るな。ひょっとして今日のために着てくれたのか?」
「そうよ。光画さんと久しぶりのお出かけだから気合を入れちゃった」
「いつもよりアイラインもしっかり入れてるな。私好みだ。そのバックも良く似合ってるよ」
「ふふ、ありがとう」
実に自然なやり取りだった。恭弥が文月にかけた言葉とは雲泥の差がある。
「さあ坊っちゃん、お手本は見たでしょう。やり直しよ」
と言ったアリスに対し、文月は「あの、わざわざそんな風にせずとも……」と言った。しかし、
「いや、やり直させてくれ」
心持ちを新たに、恭弥は光画を見習って文月の装いを上から下へと確認していく。
「うん。ハイウエストワンピースっていうのかな? 色も文月っぽい落ち着いた色だし、とても良く似合ってるよ。リボンのアクセントがいいね。もう少し大人になったらピアスとかするとすごいよくなると思う」
恭弥自身の嗜好がロリより大人っぽい女性の方が好きなので、こうした表現になってしまったが、どうやら正解だったらしい。文月は恥ずかしそうに顔を赤らめてもじもじしているし、アリスは指でオッケーマークを作ってくれた。
「さて、時間も時間だし、行っておいで。楽しんでくるんだよ」
そうして優司に見送られて4人は家を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます