第158話

「……冗談も大概にしてほしいですね」


「僕はいつだって本気さ。君も薄々勘付いていると思うけど、君が僕の元に転送されたのは偶然じゃない。少々帳に細工をさせてもらったんだ」


 やはり罠だった。神楽はすぐさま退路を確認したが、いつの間に生み出したのか四方を巨大カメムシの大群に囲まれていて簡単には逃げられそうになかった。


「ああ、逃げようとしても無駄だよ。この通り、囲ませてもらった。それに、援軍も来ないよ。そういう風に罠を張ったからね。今頃他の人達は彼女と戦っているんじゃないかな」


「どこまでもふざけた存在ですね……! 恭弥さんが嫌ってたのがよくわかりました」


「ふふ、嫌われるのには慣れているよ。むしろ心地よいくらいだ。いずれにせよ、君は僕の話しを真剣に聞くしかない状況にあるという事だ。ほら、術式を解除しなよ。もう限界が近いんだろう?」


 事実だった。神楽は敵の掌で完全に踊るしかない状況に苛立ちながらも、火鳥風月を解除するしかない事を理解していた。


「……戻ってください、火鳥風月」


 大食らいの術式を解除した事で、先程まで身体を苛んでいた脱力感が幾分かマシになったのがわかった。この分なら、もう少し時間を稼げばまた戦えそうだった。


「いい子だ」

 冥道院はクスリと笑った。神楽が術式を解除したのに対して、彼の祝姫は未だ顕在している。何を企んでいるのかはわからないが、今は話しを聞くしかなかった。


「僕は元来臆病な性格でね。昔から人の顔色ばかり伺って生きてきた。どうすればその人が僕に優しくしてくれるのか、そればかり考えて生きてきた。そうするとね、その人が心の奥底で何を求めているのかわかるようになるんだよ」


「へえ、それはよかったですね。じゃあ私が欲しいものがわかるっていうんですか」


「わかるとも。君が欲しいのは狭間恭弥だろう?」

「はっ! 何を言うかと思えばその辺の占い師でも言えそうな事じゃないですか」


「ふふ、彼は色んな女性と肉体関係をもってるよね。君はそれを表面上認める事で優位に立ったつもりでいる。けど、本心では独占したいと考えている」

「そ、そんなの! 誰だって考える事です!」


「姉が邪魔だと思ってるだろう。彼は唯一彼女とは肉体関係を結んでいないようだけど、二人はもっと別なところで深く繋がっている。君にはないものだ。君はそれが羨ましくてしょうがないんだ。だから、わかりやすい肉欲に身を任せて彼を貪る」


 まるで覗いてきたかのように言うその様子に、神楽は腹の底から湧き上がるおぞましい恐怖を感じた。それは訳のわからないものに対して感じる恐怖に似ていた。


「な、なんで……?」

「言ったろう。僕にはわかるんだよ。姉さえいなければ君は彼の『一番』になれるんだ」


 一番になれる。それはひどく甘い響きだった。本当はわかっていたのだ。恭弥が真に見ているのは自分ではない事を。彼をいつだって本気にさせるのは桃花だった。


(私は憐れみで抱かれてただけだったんですか……?)

「思い出してごらん? 彼から求められた事はあったかい?」


 冥道院は考えまいとしていた事を厭味ったらしく的確に突いてきた。確かに恭弥に抱かれる時、必ずといっていいほど求めていたのは神楽だった。


「そんな……嘘……!」

「嘘じゃないよ。記憶は嘘をつかない」


「じゃあ! 姉さまを殺したって私は一番にはなれないじゃないですか! 千鶴さんだって、文月ちゃんだっている! あのちんまいのだって、ひょっとしたら……!」


「なれるさ。殺生石の力があればね」

 冥道院はズボンのポケットから紅く煌々と輝く殺生石の欠片を取り出して見せた。


「そ、そんなものに頼ったって……!」

「心配しなくても、君は殺生石と相性がいい。意識を奪われる事もないし、この石さえあれば憎い姉だけじゃなく安倍千鶴も殺せるさ」


「ほ、本当に……?」

「本当さ! 僕は嘘をつかない。何も怖い事なんてないんだよ。君はこの石を受け入れるだけでいいんだ」


 冥道院は悠々と神楽に近づいていった。その姿からは、彼女が自身を攻撃してこないという確信が見て取れた。事実、神楽は燧をだらりと手に下げたままだ。


「さあ、受け取って」

 神楽はおずおずと伸ばした手を進めては戻してといった事を繰り返した。冥道院はそんな彼女の様子に苛立つでもなく、あくまで彼女が自分から求める時を待っていた。


「……この石があれば、本当に私は恭弥さんの一番になれるんですか?」


「なれるとも! 邪魔者は皆消せる。そうすれば、彼の方から君を求めてくれるはずさ」


 彼の方から君を求めてくれる。それが決め手だった。神楽は遂に殺生石をその身に受け入れてしまった。


   ◯


「ガッハッ! クソッタレ! 7対1だぞ! 信じらんねえ!」

 英一郎が血を吐きながら苛立ち紛れに吠える。


 現在、神楽を除く面々は白面金毛九尾の狐と相対していた。しかし、傷一つつける事すら敵わない。どころか、こちら側ばかりが消耗していた。


 元々、依り代となってしまった文月を戻すために相手を殺すのではなく弱らせなければならないという悪条件での戦闘だ。格下相手ならばともかく遥か格上の白面金毛九尾の狐に対して行う行為ではない。


「大丈夫ですか! 英一郎さん!」

 膝をついてしまった英一郎のカバーに恭弥が入る。彼の前に立った途端、先程まで英一郎を襲っていた空気の弾が恭弥を襲う。童子切安綱で弾き、切り裂く。が、数が多すぎる。何発かまともに食らってしまった。


「ぐっ! すいません、カバーお願いします!」

 秋彦が二人の盾となる。その隙に恭弥は英一郎を背負ってその場を離脱した。


「いかん! 総員防御態勢! あれが来るぞ!」秋彦が叫ぶ。

「冗談キツイぜ……」


 あれとはすなわち、初めて白面金毛九尾の狐が恭弥の前に姿を現した時に千鶴に繰り出した攻撃の事だった。手を仰ぐ。ただそれだけの行動に霊力を乗せる事で、全力で防御しなければ壊滅してしまいかねないほどの衝撃波がくるのだ。


「恭弥、私の結界の内側に入るのです!」

「すいません!」

 英一郎を背負ったまま千鶴の元まで駆け寄る。


「悪いな千鶴、足引っ張っちまって……」

「構いません。恭弥、彼の手当を」


 千鶴の張った結界の内側で衝撃波をやり過ごす間、暫しの休憩時間が訪れた。英一郎を見やると、彼の容態が芳しくない事がわかった。


 戦闘スタイル的に最前線で戦っていた彼の身体はすでに、パッと見ただけで数カ所の骨折が見受けられた。軽いものでは指の骨折から、重いものになると肋骨の骨折だ。血を吐いていた事を考えるに、下手をすると骨が内蔵に刺さっているかもしれない。


「……ダメだ。応急処置じゃどうにもなりません。英一郎さん、離脱してください」

「グッ……クソ、バカ言うなっての。負傷してからが本番だ」


「痩せ我慢でどうにかなる相手ではありませんよ。私達が戦っている隙に、帳を抜けて援軍を要請してください。この調子では、いつまで経っても援軍は来ません」


 帳の効果か、戦闘が開始されて結構な時間が経っているというのに援軍が来る気配がなかった。状況は悪くなる一方だ。


「父上、行きますよ!」

「うむ! 鬼灯、援護頼む!」

「おう! ゆくぞ、薫!」


 衝撃波が去って、慶一と薫の瞳術による援護を受けながら桃花と秋彦が駆け出す。


 雷を纏った斬撃と、火を纏った斬撃が白面金毛九尾の狐に襲いかかる。しかし、見えない壁に阻まれたかのように刀は志半ばで停止してしまった。


 白面金毛九尾の狐は扇子で口元を隠しながら大きなあくびをした。とても戦闘中だとは思えない行為だった。


「飽いてきたのう……退魔師も地に落ちたものじゃ。我の知っておる彼らはもっと強かったぞ。もちっとやる気を出さんか」


「皆さん、下がってください! 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前! 八卦焔獄門!」


 太極図の描かれた巨大な朱い門が出現した。そこから全てを溶かし尽くす地獄の焔が放たれる。

 直撃だった。焔の軌跡は燃える事すらなく周囲をぐずぐずと溶かした。しかし――。


「……今のはよかったぞ。少し驚いた。じゃが、威力が足りんのお」


 溶けた周囲の中で、唯一白面金毛九尾の狐だけは何事もなかったかのように立っていた。


「化け物が……!」

 それが誰の呟きだったかはわからない。だが、一つ言えるのは、それは全員の共通認識だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る