第154話

「なんだか、トントン拍子に話が進み過ぎて現実感がないですね」


 帰りの車の中で恭弥はそう言った。運転席には千鶴が座っている。協会に籍を戻した彼女であれば、協会付きの運転手が運転する車に乗る事も出来たが、彼女は恭弥を乗せて二人で帰宅する事を求めた。


「大事の前の小事、という事でしょう。そんな事に気を取られずに、恭弥は恭弥の成すべき事を考えるのです。余計な思考は無駄を生んでしまいますからね。特に恭弥は一人で考え込んでしまうと碌な事になりません」


「そうですね。しかし、俺ってそんなにわかりやすいですかね? 桃花にも似たような事を言われたんですけど」


「恭弥は顔に出ますからねえ、わかりやすいで――っ!」


 千鶴が急ブレーキをかけた。何事かと思い視線を前に向けると、そこには文月を伴った冥道院がいた。


「冥道院だ! 千鶴さん、戦闘準備!」

「あれが……わかりました!」


 慌ててシートベルトを外し、車の外に出る。その時にはすでに恭弥は鬼の力の開放を終えていた。千鶴も手に式を何枚も所持している。


「こんばんは、今日は月が綺麗だ。良い夜だね」

「そんな夜にテメエの面なんざ見たくなかったよ」


 文月が一歩前に出る。否、あれは文月ではなかった。所作の一つ一つが記憶にある文月とは違う。白面金毛九尾の狐の依り代だ。


「この小僧がそうなのかえ?」

 白面金毛九尾の狐が文月の声で囀る。その視線は恭弥へと向けられていた。


「そうですよ。刻の流れという事象に逆らい、運命に抗おうとする者です」

 冥道院が微笑みながら白面金毛九尾の狐に答える。彼にしては邪気のない笑みだった。


「人の身で運命に抗おうなど、愚かな事じゃ。小僧、名を申せ」


 瞬間、信じられないほどの圧が恭弥を襲った。吸血鬼の真祖であるエリザベートなど比べ物にならない。今すぐかしずいて楽になりたいと思った。


「は……狭間……恭弥……です」


 跪かなかったのは奇跡に等しかった。抗おうとした。抵抗の意思を見せたつもりだった。なのに、口をついて出たのは敬語。生物としての本質が違うと一瞬でわからされた。


「覇気が足らんのう……もそっと近う寄れ。我は意気地のない男ノ子は嫌いじゃ」


 自分の意思とは無関係に足が進んだ。近寄れという命令の言葉に身体が従おうとしているのだ。


「恭弥!」

 千鶴の呼びかけにハッとした。進んでいた歩みが止まる。それに不機嫌そうな顔を見せたのが白面金毛九尾の狐だった。


「小娘がなんのつもりじゃ。我は今小僧と話しておるのじゃぞ。邪魔をするつもりかえ?」


「今恭弥を好きにされる訳にはいきません。臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前――」


「不愉快じゃ。去ね」


 そう言って白面金毛九尾の狐は手を振った。ただそれだけの行為で衝撃波が生まれた。一級退魔師程度ならばそれだけで戦闘不能になりかねない一撃だった。


 千鶴は攻撃用に組んでいた印を咄嗟に防御術式のものに変えた。咄嗟とはいえ、並の結界ではない。相応の自信もあった。実際、白面金毛九尾の狐が放った衝撃波と最初は拮抗していた。


「む? この霊気どこかで見覚えが……なんじゃったかのう」


 そう言って白面金毛九尾の狐は思い出す素振りを見せた。その間も衝撃波は絶える事なく千鶴に遅いかかっていた。懸命に抗う千鶴を嘲笑うかのように徐々に徐々に彼女の身体は後退していく。


「そうじゃ! 思い出したぞ。お主安倍家縁の者か。道理で見覚えのある霊気な訳じゃ。懐かしいのう。じゃがの、我の興味は今小僧に向けてられておるのじゃ。お主の相手は後じゃ」


 白面金毛九尾の狐は右手を前に突き出した。そうして、掌で空間を握り潰す動作を見せると、千鶴の張った結界が砕け散った。その流れのまま、再び手を振ると、千鶴は衝撃波で遥か遠くに吹き飛ばされていってしまった。


「さて、邪魔者もいなくなったところで話しの続きとするかの」

「チクショウ! 起きろ、拾壱次元!」


 恭弥は持てる全ての異能を行使した。彼としては、せめてもの抵抗の意思を見せたつもりだった。だが、何がおかしいのか白面金毛九尾の狐は口に手を当てて上品にクスクス笑う。


「何がおかしい!」


「いやなに、すまんのう。我は必死に頑張る男ノ子が好きなのじゃ。勝てないとわかっていて、それでも尚立ち向かおうとする。可愛くて可愛くてしょうがない。実に愛い奴じゃ」


(クッソ、バカにしやがって……! けど、力の差は明らかだ。闇雲に挑んでも返り討ちに遭うのは目に見えている。千鶴さんが戻ってくるまでの時間を稼ぐのが懸命か……)


 それに、後ろの方で黙っている冥道院の存在も気がかりだ。彼が動くような事があればいよいよ逃げる事すら困難だろう。


「狭間恭弥と言ったな。お主の考えている事、当ててやろうか。時間を稼いで先程の小娘が戻ってくるのを待つつもりじゃろう?」


「だったとしたら?」


「どうもせんよ。小娘が戻ってきたところで、また遠くに飛ばすまでじゃ。お主に出来るのは我を満足させる事だけじゃ。そうすれば、今日のところは何もしないと約束しよう。なに、少しばかり我の話しに付き合ってくれればそれでよい」


 恭弥が黙っていると、それを肯定の意だと取ったらしい白面金毛九尾の狐は語り始める。


「我が狭間恭弥という人間に会うのは、これが初めてではない。一度や二度ではきかぬほどに相対しておる。その男はお主と目的を同じにしておったが、人間性というものをかなり最初の方に失っておった。その点、お主は青臭い。人間味があって我好みじゃ」


 皮肉な話だった。人としてこの世に生を受けた本来の狭間恭弥が人間性を失っていて、作られた存在である恭弥の方が人間味があるとは。しかも、そう評したのが人ならざる者であるなど、まるで喜劇だ。


「お主も退魔師の端くれならば、我に関する事は少なからず知っておろう?」

「平安の世で人を誑かしていたんだろう?」


 白面金毛九尾の狐はクスクスと笑った。その動作には、文月の面影が欠片もない。


「印度、中国、日本。我は三度人間に敗れておる。どうしてかわかるかえ」

「宗介が言うには、人間の感情に負けたんだろ?」


「そうじゃ。とりわけ、愛という感情に我は負けた。おかしな話じゃ、我はこんなにも人を愛しておるというのに」


「……じゃあ、どうして人を殺そうとする」


「人と同じ理屈よ。人は自分にとって都合の悪い存在を排斥し、時として抹消しようとするではないか。我はその人数が多いというだけの話。やっている事は人と変わらん」


 確かに、白面金毛九尾の狐が言う事には一理あった。人間は組織に属した途端無意識の内に他人を区別する。わかりやすい例でいくと、子供がクラス内でいじめを行う事などだ。いじめを行う事で組織の中に共通の敵をつくり、一致団結する事で仲を深めようとする。


 恭弥は知らずの内に白面金毛九尾の狐に共感しつつあった。


「我は人が好きじゃ。愛していると言ってもよい。じゃがの、同時に我には神としての立場もある。力無き妖達の味方になってやらんとならぬ。そこで共生じゃ」

「共生?」


「そう。人と妖が共生する世こそ我の望む世界じゃ。誰も傷つく必要はない。どうじゃ、我と共に世界を変えてみる気はないか?」


 とても耳触りの良い言葉だった。人と妖が共生する世界。誰も傷つく必要はない。恭弥は差し出された手を取りそうになった。だが、寸前で思い留まる。甘い言葉で誘惑してくる白面金毛九尾の狐が、文月の姿をしていたからだ。


「どうしたのじゃ? この手を取ってはくれぬのかえ?」


 文月の姿で甘えた声を使い、男に媚びるようにそう言う白面金毛九尾の狐が敵には思えなかった。だが、一周目の世界で彼女によって殺された人達の思いがその手を取る事を拒否する。


「お前がやろうとしている事は、結局は命の選択だ」

「退魔師ならば、常日頃行っている事ではないのかえ」


「ああそうだよ。それは否定しない。だけど、その数が違う。俺はあんたと違って神じゃないんだ。俺には大勢の人に待ち受ける色とりどりの未来を自分の意思で潰す事は出来ない」


 白面金毛九尾の狐は断られるとは微塵も思っていなかったようだった。酷くショックを受けた様子で悲しい表情を見せた。


「大体、そんなに人が好きなら、どうして人を殺そうとする? 何か殺さなきゃいけない事情でもあるんじゃないか?」


「……お主は何もない真っ白な空間に何百年も封印された事はあるかえ?」

「ないね。考えたくもない」


「完全なる無じゃ。少し世を混乱させたから、たったそれだけの理由で我は思考以外の自由を一切奪われたのじゃ。その気持ちがわかるかえ?」


「わかりたくもない」


「ちょっと……ちょっと、退魔師に復讐したいと思うこの気持ちは罪か?」


「人間みたいな事を言うじゃないか。神様ってのは随分俗物なんだな」


「残念じゃ。我はとても悲しいよ。お主なら、我と道を同じくしてくれると思ったのじゃが」


「あんたが文月を返して、人を殺さないと約束するなら、あるいは道は重なるかもな」


「それは無理な話じゃな。致し方ない。約束通り、今日のところは帰るとしよう」


 白面金毛九尾の狐は無防備に後ろ姿を晒した。それに追随する形が冥道院が寄り添う。


「いいんですか? あんなに執着していたのに」

「よい。男ノ子の決断を尊重するのもまた我の務めじゃ」


「そうですか。それじゃ、そういう事で。命拾いしたね、また近い内に会おう」


 そう言って二人は青い蝶に包まれて消えていった。それからすぐに鳥型の式神に乗った千鶴が戻ってきた。


「恭弥、無事でしたか!」


「千鶴さんこそ、大丈夫そうでよかった。どこまで飛ばされたんですか、随分身体濡れてますけど」


「海まで飛ばされてしまいました。白面金毛九尾の狐は?」


「俺と話しがしたかっただけみたいで、話したら本当に去っていきました」


「そうですか……遅れを取りましたが、次はこんな醜態を晒しません」


 二人はその後、乗っていた車で自宅まで帰り、遊撃隊の面々に白面金毛九尾の狐が姿を現した事を報告した。

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