第148話

 恭弥は脇目も振らずに走り出した。走って、走って、息も絶え絶えになってたどり着いたのは見覚えのある川辺だった。ここは、確か……そう、彼岸花が一輪だけ咲いていた場所だ。


 気になって周囲を見渡すと、やはりポツンと寂しげに一輪だけ彼岸花が咲いていた。この花の花言葉は「諦め」だ。まさに今の恭弥にピッタリの言葉だった。


 しゃがみ込んで彼岸花を眺めていると、後を追ってきたらしい神楽がやってきた。


「一体どうしちゃったんですか、急に笑いだしたかと思ったら走って行っちゃうし」


「どうせお前に言ったってわからないさ」


 不思議そうな顔をしている神楽に「桃花と文月はどうした?」と聞く。


「文月ちゃん一人置いてく訳にもいかないので私だけ追いかけてきたんですよ」


 恭弥は「そうか」と呟くと、突然神楽を抱きしめた。


「え、ほんとにどうしたんですか」


 戸惑う神楽の耳元に口を持っていき、恭弥は「神楽、俺を殺してくれ」と言った。


 流石に恭弥の様子が尋常ではない事に気付いた神楽は、自身に抱きつく恭弥を柔らかく引き剥がすと、真剣な顔をしてしっかりと恭弥の目を見てこう言った。


「何があったのか、ちゃんと話してください」

「いやだ。言ったってどうせ理解してもらえない」


「ダメです。子供じゃないんですから、駄々をこねないでください」

「俺にしか理解出来ない事だ」


「そんなの話してもいないのにわからないじゃないですか」

「言ったらどうせそんな事で、っていうに決まってる」


「どうせどうせって、どうして決めつけるんですか。そんなに私が信用出来ないですか?」


「違うんだ……違うんだよ、神楽。これは俺の問題なんだ。だからどうせ話しても――」


「ほらまたどうせって言う。自分一人で抱え込んでたってしょうがないんですよ?」


 平行線だった。話す気のない恭弥と話してくれるまで食い下がる気の神楽。二人は一度も互いの目から目を逸らさずに尚も言い合いを続けた。


 徐々にヒートアップしていく言い合いは次第に退魔師としての血の気の多さに火をつけた。退魔師は互いの主張がぶつかり合い平和的解決が望めない場合は力による決着を行う傾向がある。恭弥は柄にもなく刀を生み出して神楽に勝負を挑んだ。対する神楽も燧を鞘から抜き放ち、受けて立つ覚悟だった。


「本当に私とやるつもりですか。言っておきますけど、私は強いですよ?」


「そんな事は知ってるさ。けどな、俺だってもうお前の知ってる俺じゃないんだ」


 恭弥をここまで強気にしているのはひとえに拾壱次元の存在があるからだった。あれをしっかりと使いこなす事が出来れば、実力では負ける神楽相手とはいえ、まともな勝負になるという目算があった。それに、いかな神楽といえどこんなところで自分相手に本気で戦わないだろうという思いもあった。


「そうですか。それは楽しみです。簡単にやられないでくださいね? 私実は、戦う事嫌いじゃないんです」


「んな事とっくの昔から知ってるよ!」


 超至近距離からの下段切り上げ。油断も手加減何もない、完全に妖を殺さんとする時と同じ速度での一撃だった。


 どうせ神楽は傷ついたところですぐに再生するし、死ぬ事はない。ならば下手に手心を加えてしまえばそのツケは自分に来る。


 そうした思いからの一撃を、神楽は燧を逆手に持つ事で易易と受け止めて見せた。それに留まらず、無詠唱の霞焔を放ってきた。それも、ゼロ距離で、だ。


 霊装を着ていない恭弥の防御力は頑丈な一般人程度だ。皮膚を超えて肉が焼かれた。たまらず距離を取る。見れば右腕が綺麗に焼けただれていた。


「チッ! 神楽テメエ、本気で殺す気できやがったな!」


「私が手加減するとでも思ったんですか? 恭弥さんが相手でも、勝負を挑まれた以上私は殺す気でお相手しますよ」


 ジクジクと痛む腕に再び目をやると、火傷痕が再生を始めていた。浸出液が溢れ、見る見る間に腕が元通りになっていく。人間離れした再生力を今は有り難いと思う反面、この再生力こそが自身が作られた存在である事を主張しているようで苛立った。


 隠されていた記憶が明かされた事によって、本来の狭間恭弥が持っていた能力が恭弥の身体にも現れているのだ。すなわち、天城との長年の契約によって得た鬼の再生能力だ。


「なんだ、恭弥さんも再生してるじゃないですか。私とお揃いですね」

「うるせえ! 俺はこんな力欲しくなかった!」


 口ではそう言いつつも、恭弥が次に取った行動は鬼の力の開放だった。霊力を物質化する異能だけでは天地がひっくり返っても神楽に勝てない。業腹だが、狭間恭弥の異能を利用するしかない。それがまた、彼を苛立たせる。


「なんでそんなに苛立ってるんですか!」


 童子切安綱と燧が幾度もぶつかり合う。剣戟の度に火花が散り、けたたましい音を鳴らす。


「お前なんかにわかってたまるか! ちゃんと親父と母親がいて、自分のルーツを辿れる事がどれだけ幸せな事かわかるか!」


「恭弥さんだって父様と母様がいたじゃないですか!」

「俺にはいねえんだよ! なんもかんもねえんだ!」


 ここで初めて恭弥が神楽に押し勝った。鬼の膂力を利用して、神楽の身体を地面に吹き飛ばす。


 すかさず追い打ちをかけようとする恭弥だったが、咄嗟に無詠唱で繰り出された流離火槌によって両足を焼き落とされる。


 恭弥は倒れる身体を空いた左手で支えて、そのまま腕の力だけで後ろに飛んで再生までの時間を稼ぐ。神楽もまた立ち上がり、燧を正眼に構える。


「いないって、どういう事ですか」


「……そのままの意味だよ。俺には過去がないんだ。ある時急にこの世界に現れた異物なんだよ。俺はこれまで自分の意思で生きてきたと思ってた。だけど、本当は本来の俺の掌の上で踊ってただけなんだよ。笑えるだろ?」


 身体を動かした事で、頭に昇っていた血が少し下がった。恭弥は少しだけ本当の事を話す事が出来た。それを受けて、神楽は優しく微笑んだ。


「……笑ったりなんかしませんよ。よくわかんないですけど、恭弥さんが苦しんでるって事だけはわかりました。なら私は、全力をもって恭弥さんを受け止めるだけです」


 本音を言うと、そう言ってくれて嬉しかった。だが、ここまで来てしまうと引っ込みがつかないというものまた本音だった。


「そうかよ……受け止められるもんなら受け止めてみろよ」


「その前に、退魔師の流儀には則ってくださいね? 勝負に負けたら言う事を聞いてください」 


「ああ、俺が勝ったら、もう何も聞くな。俺の事は放っておいてくれ」

「私が勝ったら、全部ちゃんと話してください」


 恭弥は鬼の力を再度封じ込めた。そして、拾壱次元を使う事を決意した。神楽もまた、大技を使うべく詠唱を始めた。


「火よ、全ての祖たる輝きよ。その熱を持って我が願いを叶え給え」


 神楽の周囲に圧倒的な熱量を持った炎が渦巻き始める。やがてそれは地面をも侵し、五芒星の煌めきを描いた。


「汝一切の過去を捨てよ。汝一切の後悔を受け止めよ。今こそ染み付いた無念を昇華する時だ」


 恭弥の周囲に蒼く輝く無数の刀達が浮かび上がり始めた。それは当初朧げな姿だったが、詠唱が進むにつれ徐々に形づいていく。


「永劫に燃え盛る劫火の炎、今こそ甦れ。受け止めてください、ちょう風月ふうげつ!」


「君臨者に届き得る最後の一撃を……起きろ、拾壱次元!」


 本当はわかっていた。神楽が受け止めると言ってくれたあの時に、自分はもう負けていたのだ。


 全身全霊、今の出せる力全て込めて放った拾壱次元の一撃を見事受け止めて見せた火鳥風月を見上げながら、恭弥は「やっぱり勝てねえや……」と呟いた。


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