第142話 ※残酷描写あり。

 薫が血まみれで椎名家を訪れた事を知った秋彦の行動は早かった。冥道院となんらかの関係があると考え、人払いを徹底させた後、神楽、恭弥を伴って薫の元まで行った。


「俺まで一緒でいいんですか?」

「構わん。鬼灯の娘ならばお前も無関係ではないだろう。だが、念の為姿は見せるな。遠目から見ていろ」

「了解です」


「神楽、燧は持ったな? 戦闘の可能性も考慮しろ」

「戦闘、ですか? どういう事ですか?」

「あくまで可能性だ。杞憂であればよいが……」


 果たして秋彦の考えは悪い方に当たっていた。三人が見た薫の姿はかつての美少女然としたものは面影もなく、滴り落ちる血の他に、妙な粘度を持った白濁液を全身にまとっていた。衣服もボロボロで、隠すべき肌がいくらも隠れていない。臭いも酷かった。吐き気を催すような臭いがプンプンする。これではボロ雑巾の方がマシである。


「酷い臭い……」

 思わず神楽が鼻を抑えた。それも致し方ない事である。男性である秋彦と恭弥ですら嗅ぎ慣れた臭いとはいえ、ここまで濃縮されると顔をしかめたくなる。


「あはは……私、こんなになっちゃった……」

 半笑いでそう言う薫の瞳からかつての輝きが失われていた。


「何があった?」

 秋彦が問いかけるも、薫は視線を向ける事すらしなかった。


「恭弥君いるんでしょ……? 私の子供が挨拶したいってさ……」


 その言葉に、玄関の影に隠れていた恭弥が出てきた。神楽はすぐに、恭弥の雰囲気がおかしい事に気付いた。


「恭弥さん?」

「神楽ちゃん、燧を抜いて。僕が合図したら薫ちゃんを燃やすんだ」

「……わかりました。後でちゃんと話してくださいね」


 神楽は恭弥の様子がおかしい事をわかった上でその指示に従う事にした。元来野性味の強い彼女は、この時点で薫から妖の臭いがする事に気付いていたのだ。


「冥道院にやられたんだろう。ここに来たという事は何か奴から言伝があるはずだ」

 恭弥が問いかけると、薫は場にそぐわない笑みを浮かべた。


「うん! 君のせいで失った蟲はあらかた取り戻した。待っているよ、だって」

「そうか……ままならないな。神楽ちゃん」

「はい。て、え?」


 恭弥としては燃やしてくれという合図のつもりだったのだが、神楽としてはあまりにも自然に名前を呼ぶものだからそれが合図だとは思わなかった。その一瞬の遅れが事態を大きく動かした。すなわち、薫の腹が裂けてミミズが大量に現れたのだ。


「早く! 燃やすんだ!」

「わ、わかりました! 薙ぎ払え! 流離さすらいづち!」


 燧から一際大きな焔が上がったかと思うと、それは形を取り真っ赤に燃え盛る大鎚となった。神楽はそれを思い切り上段から薫諸共ミミズに振り下ろした。


 一瞬で炭化してしまった薫は、元が薫であったかどうか以前に、性別すらも判断出来ないほどのただの黒焦げになってしまった。


 その姿に一抹の寂しさを覚えつつも、呆気なく人生を終えてしまうのもまた退魔師の宿命だった。だから、意外にもショックは覚えなかった。


「せめて薫ちゃんのままで死なせてあげたかったけど、しょうがない。秋彦さん、遺体の処理お願いします。それと、もう遅いとは思いますけど一応鬼灯家に援軍を」


「待て。君は誰だ?」

「僕は、狭間恭弥ですよ」


   ◯


「おい! どうなってんだ! いきなり身体を交換しやがって!」


 電車の中で恭弥は憤っていた。それもそのはず、血まみれの薫の姿を目に入れた瞬間、いきなり意識が電車の中へと来ていたのだ。窓の外景色に目をやると、どうやら電車の中の狭間恭弥と入れ替わったのだという事はわかったが、唐突過ぎて納得がいかなかった。


「落ち着けバカタレ。あやつは意味のない事はせんよ。ここまで盛大に入れ替わったんじゃ、恐らくお前の知りたい事を話すつもりじゃろう。黙って事の推移を見とれ」


 憤懣やるかたないといった様子ではあったが、とりあえず天城の言う通り事の推移を見守る事にした恭弥は席に座って窓の外の景色に目をやった。


 差し当たっての処理を終えた秋彦は、再度離れの一室で神楽と共に恭弥の話しを聞く流れとした。


「お久しぶりです、秋彦さん。もっとも、秋彦さんの認識では始めましてになりますけどね」


「どういう事かきちんと説明してくれるね?」


「もちろんです。薫ちゃんがああなってしまった以上、今回も失敗は確定した。僕は僕の知る全てをお話ししましょう」


「待ってください。まずそもそも、あなたは誰なんです? 私の知ってる恭弥さんではないですよね?」


「流石に鋭いなあ、神楽ちゃんは。その通りだよ。神楽ちゃんにもわかりやすいように説明すると、狭間恭弥という人間は二人存在する。僕と、君の知っている狭間恭弥の二人だ」


「どういう事です?」

「その話をするにはまず前提として僕が過去に戻れる人間であるという事を許容してもらう必要がある」


「過去に戻れるだと? どういう事だ?」

「タイムリープという言葉はご存知ですか?」

「いや、知らないな。説明を頼む」


 曰く、恭弥は任意の何地点かに楔のようなものを打ち込む事で、記憶を引き継いだ状態で意識だけをその地点に戻す事を出来るというのだ。


「例えば、楔を2つの地点に打ち込んでいたとしましょう。5分前の地点と薫ちゃんがこの家を訪れた地点。僕はここでの会話を覚えた状態で五分前に戻る事が出来ます。ですが、未来に行く事は出来ません。だから、一度薫ちゃんが家を訪れた地点に戻ると、五分前の地点に戻ってくる事は出来ないんです」


「にわかには信じられんな……そんな異能など聞いた事がない」


「証明してみせましょうか? そうだな、僕が知り得ない事を一つ教えてください。今この地点に楔を打ち込んだので、今から教えてもらう言葉を過去に戻った僕が言います」


「……神楽は小学生5年生の時におねしょをした事がある」


「ちょっと! なんでそんな恥ずかしい事言っちゃうんですか!」


「ははは、それは確かに僕も知らなかったなあ。じゃあ、ちょっと過去に行ってきますね」


 ――起きろ、拾壱次元。


 そう恭弥が呟くと、彼の手には一丁の黒光りする銃が握られていた。彼はその銃口を口に咥えると、二人が制止するのも聞かずに躊躇する事なく引き金を引いた。


「にわかには信じられんな……そんな異能など聞いた事がない」


「証明してみせましょう。今僕はこの話しの流れで僕が知り得ない事を教えてもらい、過去に戻ってきました。秋彦さん、あなたは僕が知り得ない事といって頭に思い浮かべる事があるはずです」


「……ふむ」

「それは、神楽ちゃんが小学生5年生の時におねしょをした事がある、なはずです」


「ええ! なんでそんな事恭弥さんが知ってるんですか!」

「さっき秋彦さんに教えてもらったのさ」


「やだもー! 恥ずかしいじゃないですか! 父様のバカ!」

「まるで手品だな……だが、あながち嘘という訳でもないようだ」


「本当はもっと色々信じてもらう方法があったんでしょうけど、一番簡単な方法を取りました。僕だってこのためだけに長時間過去を過ごしたくないですからね」


「でもでも、恭弥さんが過去に戻れるって事と、恭弥さんが二人いる事がどう関係あるんですか?」


「便宜的に白面金毛九尾の狐の復活をイベントと呼称するけど、桃花はそのイベントで必ず死ぬ運命にあるんだ。僕は、それを阻止するためだけに生きてきた」


 そう始まった、長い長い旅路ともいえる恭弥の過去は、二人から言葉を奪うのに十分過ぎた。

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