第121話

 翌週、恭弥達の姿は飛行機の中にあった。協会がジャンボジェット機を丸々借り受けたため、機内にはCAと操縦者を除き関係者しかいなかった。当然、座席などは自由である。とはいえ悲しいかな、御家に権力がある者などはファーストクラスの席に座り、反対に末席の者はエコノミークラスに座るという暗黙のルールがある。従って、恭弥などは窮屈なエコノミークラスに座らなければならないのだが、それを許さなかったのが恭弥の両サイドに座る女性二人だった。


「酷いですよぅ。恭弥さんどうして姉さまとペア組んじゃうんですかあ。私と一緒なら楽させてあげたのにー」


 そう言って腕を握ってくるのは恭弥の右隣の席に座った神楽だった。この手の文句は恭弥が桃花とペアを組むという情報が神楽の耳に入って以降、もう耳にタコが出来るほど言われた。


「しつこいですよ。貴方が真面目に家族会議に出席しないから出遅れるのです」


 恭弥の左隣りの席に座る桃花はピシャリと言い放つと、涼しい顔をして機内サービスのお茶をすすった。


 本来であれば椎名姉妹はファーストクラスに座っているはずだが、行動を共にしている恭弥が自分がファーストクラスに座ってしまえば嫌がらせを受けると言ったために、しょうがなく妥協案で三人仲良く恭弥を真ん中にビジネスクラスに座っていた。のだが……。


「あーん、悔しいですー! いつもくだらない事ばかり話してるくせに私が参加しなかった時に限ってそんな重要な事を話すんですもん。こんなのってないですよう!」


 このように先程から神楽が人目も憚らずに騒ぎ立てるものだから視線を集めて仕方ない。この調子では、その内イキった連中が文句を言ってくるのが見えている。


 退魔師は常日頃から戦場に身を置いているので、なんだかんだで血気盛んな者が多いのだ。そして、そういった連中は大抵自身の実力を過信している未熟者が多い。なので、


「神楽、あんまり騒いでると――」


 言うが早いか三人を取り囲むように見知らぬ顔の男が複数人集まっていた。この飛行機に乗っているという事は、彼らも当然退魔師だ。だが、恭弥が顔を知らないという事は言わずもがな大した実力を持っていないという事だろう。そして悪い事にここはビジネスクラスだ。実力はともかく御家の格は恭弥よりは上のはずだ。そんな人間が揃いも揃ってイライラした顔をしている。という事はつまり……。


「あのよぉ、さっきから黙ってたらペチャクチャペチャクチャうるせえんだよ。ここはお前らの家なのか?」


 このように喧嘩を売ってくるのは目に見えていた。


「……言わんこっちゃない」


 恭弥は予想通り過ぎる展開に、思わず額に手をやった。そしてここまで予想通りだとこの後に起こるだろう出来事もおそらく予想通りだ。


「なんです、あなた達? 喧嘩でも売りに来たんですか?」


 神楽が訝しんだ目でリーダー格っぽい人間を見上げながら言った。この時点ですでに恭弥にはわかった。神楽はやる気満々だった。


 一縷の望みに賭けて桃花に目配せを送るも、彼女は「放おっておきなさい」と言って呑気にお茶をすすっている。それどころか、CAを呼んで追加注文をしている始末だった。


「おいおいおいおい、お前この人が誰だか知らないのかよ」


 取り巻きらしい人間が三下っぽいセリフを吐く。一応取り巻きがいてビジネスクラスに席を取っているという事は、リーダー格の人間はそれなりの御家の生まれなのだろうが、今回ばかりは相手が悪い。


(バカ野郎。お前らこそ誰を相手にしてるかわかってんのか……面倒くさいなあ)


「知りませんよ。あなた達みたいな人なんて」

 神楽の言葉を聞いた男達はにわかに盛り上がった。


「ふっ……無知ってのは怖いぜ。お前ら、俺がどこの生まれか教えてやれ」


「はい! 聞いて驚け、この人は高柳たかやなぎ家の長男、高柳伸一しんいち様だ! 若干18歳にして三級のライセンス資格を持つ才覚溢れるお方だぞ!」


「ま、そういう事だ……」

 と、伸一は斜に構えた表情で見るからに格好つけていた。今にも「決まった……」という言葉が聞こえてきそうだった。


 その様子が面白かったのか、神楽は「ぷっ」と笑った後にこう言った。


「聞いた事もないお名前ですね。でも面白かったから許してあげます。早く席に戻ってくださーい」


 やはり恭弥の読み通り神楽の中では彼らをボコボコにする予定が立てられていたのだろう。だからこその許す発言だ。


「許すぅ? 何を許すってんだよ。許すのは俺達の側だろう?」


 尚も食い下がってくる彼らがあまりに哀れになってきたので、恭弥は助け舟を出してやる事にした。


「悪い事は言わない。彼女の機嫌が良い内に席に戻る事を勧める。いや、マジで。お前ら気付いてないようだから教えてやるが、こいつはあの椎名家の娘だぞ」


 せっかく出した助け舟をしかし、彼らは鼻で笑って受け入れなかった。


「お前アホか? あの椎名家の令嬢がビジネスクラスになんかいる訳ないだろ」


「いるんだな、これが。一応警告はしたからな? 後は知らんぞ」


「……どうもお前達は三級の意味をわかってないらしいな。女を殴るのは趣味じゃない、お前、立て。俺が指導してやる」


「いやなんで俺なんだよ……。嫌だよ、お前らとやり合う理由がない」


 これから測定が待っているというのにこんな事で体力を使いたくない。そういう意思表示のつもりで背もたれに寄りかかって足を組んだのだが、それが彼らの逆鱗に触れてしまったらしい。神楽を乗り越えて恭弥の前に立った取り巻きAが恭弥の胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせた。


「いいからちょっと立――」


 セリフの途中で恭弥の胸ぐらを掴んでいた取り巻きAが急に膝から崩れ落ちた。


「あーあ、俺知ーらないっと」


 取り巻きAは横から音もなく突き出された燧の柄によるギドニーブローでダウンしたのだ。


 チラリと神楽の表情を伺うと、彼女は真っ赤な舌で唇をペロリと舐めていた。窮屈な機内に何時間もいる事に退屈していたのだろう、実に楽しそうだった。


「女だと思って油断したぜ。俺の舎弟をやった罪は重いぜ?」


「御託はいいのでやるならさっさとかかってきてください」


 伸一は神楽に掴みかかろうとした。が、一歩踏み込んだその足を思い切り神楽に踏み抜かれ、体制を崩して前のめりに倒れ込んだ。伸一が体制を崩すと同時にすかさずみぞおち目掛けて差し出した燧の柄がめり込む。70キロ程度はありそうな伸一の全体重が刀の柄という僅かなスペースで支えられてしまった。


 ずっぽし柄の半分程度がみぞおちにめり込んでいる。あれでよく吐かなかったものだ。それなりに鍛えているのだろう。とはいえ、気絶は免れなかったようだ。神楽に支えられた状態で泡を吹いて意識を失っている。


 神楽は汚いものでも見るかのような視線を伸一に向けると、柄を傾けて伸一を取り巻き達に放り投げた。


「ほら、あなた達のボスですよ。さっさと回収してどっかにいきなさい」


 あまりに一瞬の出来事で呆けていた取り巻き達は、神楽の言葉でようやく意識を取り戻したようだった。言われるがままに伸一と取り巻きAの身体を引きずって去っていった。


「まったく、うるさい連中でしたね」


 神楽はさも自分が被害者であるかのようにそうのたまった。これには流石にツッコミを入れざるを得なかった。


「いや、うるさいのは俺達だからな? というかお前だよ。彼らには可哀相な事をしてしまった……彼らは当たり前の事を言っていただけなのに」


「そうですかね? 一般人ならともかく退魔師なんだからちょっと騒いだくらいで冷静さを失う方が悪いんですよ。もっと禅の修行をするべきです」


「騒音の原因のお前が言うな」


「はーい。でもずいぶん弱っちかったですね。ほんとに恭弥さんと同じ三級なんですかね」


「いや、三級なんてあんなもんだろ。俺が言うのもなんだけど」


「そうですかねー。とても恭弥さんとアレが一緒とは思えません」


 恭弥は周りの人間が軒並み特級だの一級だのという化け物揃いだ。そんな者とお務めのペアを組む機会が多いので、三級の中でも特に経験を積んでいる他、鬼の力や捕食といった切り札を持っている。だから、実力的には二級そこそこのものを持っているというだけの話だった。本来の三級はあの程度だ。


「ま、今回の運動会で一級は無理でも二級には上がる予定だからな。彼と一緒にされちゃ困る」


「頑張ってください、応援してます!」


「おう。神楽は……まあ、頑張らなくても普通にやれば特級に上がるもんな」


「ですです。特級になったらお務めいっぱい断れますからねー。恭弥さんとデートする時間を作るためにも、頑張りますよー。そういえば姉さまはどうなんですか?」


 話を振られた桃花は先程CAに頼んでいたらしい最中もなかを緑茶と一緒に楽しんでいた。荒事などまるでなかったかのように上品に最中を口に運ぶ彼女の様子にはいっそ関心すら覚えた。


「今のわたくしでは特級にはどうあっても手が届きません。であればこそ、恭弥さんのサポートに回るつもりですよ」


「でもでも、サボってたらまた文句言われちゃいますよ? 遠見の術で全部丸見えなんですから」


「言いたい人間には好きに言わせておけばよいのです。それよりも、貴方こそ燧の完全開放を成した身で特級に上がれなければ何を言われたものか」


「私は大丈夫ですよー。どんなルールでもバッチコイです!」

 そう言って神楽はその豊かな胸に自身の手を置いた。


「そういえば、結局神楽は誰とペアを組んだんだ? まさかソロって訳でもないだろう」


「小春ちゃんです。お願いしたら快く応じてくれましたよー」


「マジかよ。てっきり小春は晴明君と組むものだとばかり思ってた。てか、運動会自体初めてなのにお前とコンビって相当可哀相だな……」


 恭弥の言葉を聞いた神楽はガーッと怒るフリをして見せた。


「どうしてそういう事言うんですかあ! いくら私だって初心者が一緒だったらそれなりに気を使いますよ?」


「お前のそれなりはまったく信用ならん。こりゃ小春にとってはちょっとした試練だな」


「いいですよーだ。私も姉さまみたいにちゃんとサポートして四級くらいは取らせてあげちゃいますもんねー」


 なんていう話しをしながら、桃花のように機内サービスを楽しんでいたら、機長からのアナウンスが機内に流れ始めた。


『間もなく当機は目的地へと到着致します。皆様におかれましては、安全のためシートベルトのご着用をお願い致します』


 それからすぐに飛行機は着陸態勢へと入った。

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