第119話

 翌日、学園に着くと何食わぬ顔をして席に座る宗介の姿があった。それどころか、こちらの姿を確認すると挨拶までしてきた。


(昨日あんな事があったってのに、こいつもこいつで意味わからん神経してるな)


「お二人共、少し、内緒話をしませんか?」

 宗介は恭弥と健介の顔を見てそう言った。


「何?」


 つい昨日似たような流れで戦った事が嫌でも思い出される。自然、恭弥の身体に力が入る。


「おっと、そう怖い顔をしないでください。争うつもりはありませんよ。ただ話しがしたいだけです」


「……わかった。屋上でいいか?」


 宗介の了承を取り、三人は屋上へと向かった。ホームルーム前なので人はいない。


 宗介は脱落防止の柵まで歩いていくと、柵に手を置いた。そうして次に空を見上げると話し始めた。


「少々人間を舐めていましたよ。昨日は完全にしてやられました」宗介はこちらを振り返った。「正直なところ、昨日の負けは狭間君に負けたのではなく、君が契約している鬼に負けたのだと今でも思っています。あのまま何もなければ、僕は根源ごと君に喰われていたでしょう。実に認めがたい事にね」


「なんだ? 負け惜しみのつもりか?」


「かもしれませんね。ですが、現実に僕はこうして生きている。天上院さんが君を正気に戻したからです。あの時の彼女は実に母性に溢れていた」


 続く言葉で、宗介は信じがたい言葉を口にした。


「白状しましょう。僕はあの瞬間彼女に惹かれた」


「は?」


 サラリと言われた言葉の内容が上手く咀嚼出来なかった。ひかれた、引かれた、轢かれた。同音異義語が頭の中でぐるぐると渦巻いた。だがそのどれもが話しの流れにそぐわない。どう考えても「惹かれた」以外に考えられないが、あの宗介がそんな事を言うとは思えなかった。だが、理解しようと歩み寄らなければ会話は進まない。


「ええと……ひかれたってのは、その、好き的な意味でか?」


「わかりません。ですが、好意を覚えたのは間違いない」


 恭弥は思わず頭を抱えた。つい昨日命のやり取りをした相手とまさかこんな話しをする事になるとは思わなかった。なんて声をかければいいのかわからない。


「異類婚姻譚などくだらないと思っていましたが、今ならば存外楽しめるかもしれません。彼女は実に興味深い。人化の術に使うには惜しい存在だ」


「んーと、その、つまり、ひとまず文月を狙うのはやめたって解釈で合ってるか?」


「ええ、僕はもう少し人間について学ぶ必要があるようです。僕が見たところ、あの場には『信じる』という強い感情があった。結果、二人にとって奇跡とも呼べる事が起こった訳です。天上院さんは愛情を元にした信じる心、そして飯田君、君は友情を元にした信じる心でした。違いますか?」


「いやまあ、そうなんだろうけど……そんな論理的に言われると困るな……」


 健介の言葉を聞いた宗介はカッと目を見開いた。


「まさにそれだ! 論理的ではない何かが奇跡を起こした。鬼と化した狭間君を論理では語れない何かによって天上院さんは正気に戻した。僕はそれが気になって仕方ない」


 熱っぽく語る宗介に少々引き気味になりながらも、意識を失っている間の記憶が恭弥にはなかったので、隣に立つ健介にそんなに酷かったのかと問いかける。


「手足縛られてたから途中までしか見えなかったけど、マジで獣みたいだったぞ。最後の方なんて壁ぶち破って隣の部屋でバトってたからな。そんな中天上院さんは普通に歩いていってなんかお前に話しかけてたみたいだ」


「うーん……想像がつかん。何がそんなに宗介の興味を引いたんだ?」


「さあな。まあでも、いんでない? あの様子なら、人を襲うって感じでもないし」


「それもそうか。じゃあ改めてよろしく? でいいのか、宗介」


 そう言って手を差し出すと、宗介は予想に反してその手を握る事はなかった。


「僕は君によろしくするつもりはありませんよ。天上院さんならいざしらず、契約した鬼の力に振り回されているような無力な人間には興味がありません」


「なにい! お前はまたそういう憎まれ口ばっかり……」


「悔しかったら鬼の力を使わずに一度くらい僕に勝ってみなさい。そしたら考えてあげてもいいですよ。今からでも戦いますか?」


「な、なんだとう!」


「ま、まあまあ。落ち着け恭弥。宗介、俺とは友達になってくれるか?」


 健介はそう言って一歩前に出て宗介に握手を求めた。それを見た宗介は驚いたように目を見開いたかと思うと、次の瞬間にはキザったらしく鼻でフッと笑った。


「自分を殺そうとした相手と友達になろうなど……つくづく君は面白い人間ですね」


「だろう? 俺は面白い奴なんだ。皆によく言われる。この手を握ってくれたら、お前に友情ってやつを教えてやるよ」


「……いいでしょう。飯田君、僕に友情というものを教えて下さい」


 宗介もまた、一歩前に出て健介の手を握った。妖と人間が手を取り合う。その姿は、妖と人間が共存していけるかもしれない可能性を示しているように思えた。


「よーし、じゃあ早速今日の放課後遊びに行こうぜ! 人間の遊びを教えてやるよ!」


「フッ、楽しみにしていますよ」


「なーんか俺だけ疎外感……」


 楽しそうに話す二人の輪の外にいる恭弥がボソリと呟く。耳聡くそれを聞いた宗介は煽るようにこう言った。


「文字通り疎外しているんですよ」


「おま、ふざけるのも大概にしろよ……!」


「フッ、そうですね。おふざけもほどほどにしましょうか。君が気にしている事を教えてあげますよ」


 そう言って宗介はチラリと健介を見た。これから話す内容は無関係の健介が知る必要のない事だ。健介はすぐに自分が聞くべきではない会話が行われる事を察したようで、こう言った。


「そろそろ、ホームルーム始まるだろうから俺先に教室戻ってるよ。お前らもあんま遅くなるなよ! それじゃあな!」


 宗介は健介が屋上を後にしたのを確認すると、「説明の手間が省けました」と言った。


「あいつはあれで結構気が利く奴なんだ」


「そのようですね。さて、冥道院は現在、僕含めて六尾を開放しています」


「なんだって? もうそんなに開放されてるのか……」


「本体が封印から開放されるのも時間の問題でしょう。はっきり言います。本体が復活すれば勝ち目はありません。目覚めてからそれなりに探りましたが、現代の退魔師は昔に比べてレベルが低すぎる。担任の北村さんでしたか、彼がそれなりの強者に分類されている時点でお察しだ。昔ならあの程度の退魔師、掃いて捨てるほどいたというのに」


 天城も似たような事を言っていたが、一体昔の退魔師達どれだけ化け物揃いだったのだろうか。あの英一郎をして掃いて捨てるほどいたなど想像がつかない。それだけの退魔師が要求されるほど妖の活動が活発だったのだろう。


「……そんな事は百も承知だよ。でも、やるしかないだろ。それが俺達の務めだ」


「意気込みは結構。ですが、現実問題足止めすら困難です。それならばまだ、復活を目論む冥道院を殺した方が現実的だ」


「あいつの居場所はわかるか?」


「残念ながら、僕の力でも彼の居場所は特定出来ません。ですが、彼が目的とする場所くらいならわかりますよ。先手を打って出るか、座して待つかは君次第です」


「そんなの、決まってる。先に冥道院を見つけて殺す」


 恭弥の言葉を受けて宗介は薄く笑みを浮かべた。


「よい考えです。僕もいい加減本体から親離れをしたいと考えていたところですし、手を貸すのもやぶさかではありません。しかし、知っての通り冥道院は厄介な相手です。空亡がその手にある以上、生半可な事では殺せません。僕と君だけでは戦力に不安が残る。ですから、チームを組みましょう。君の方で信頼出来る人間を繕ってください」


「わかった。いつまでに集めればいい?」


「そうですね……僕も昨日君にやられた傷がまだ癒えていないものでしてね。今月中としましょうか。ちょうど学園の方も夏休みに入る事ですし、時間に融通が利くはずです」


「了解した。ああそれと、気になってると思うから一応伝えておく。昨日英一郎さんと話したんだけど、お前はこのまま学園に通っても問題ない運びになると思う。もちろん、人間に擬態はしてもらうけど。これからも転学生七瀬宗介として通ってくれ」


「ふむ、そうですか。てっきり退学くらいにはなるかと思っていたのですが、予想外ですね。理由を聞いても?」


「お前にはもっと人間の事を知ってもらいたいと俺は思ってる。学園は人種のるつぼみたいなところがあるから、色々勉強になると思うし、監視しやすいってのも理由の一つだ」


「なるほど。僕としてもその方が都合が良い。有り難くそうさせてもらいますよ。それでは、もう用は済みました。僕は教室に戻ります」


 そう言って屋上を後にしようとした宗介を恭弥は呼び止めた。


「まあ待てよ。今戻ってもホームルームの真っ最中だ。気まずい思いをするくらいなら一服やってかないか?」


 恭弥は懐から幸運の名を冠する煙草を取り出すと火をつけた。


「煙草ですか……実に不健康なものだ。僕は遠慮しておきますよ。それに、僕は君と違って優等生キャラで通っています。遅刻してもホームルームには出た方がいい」


「そうかい。じゃ、不良の俺は終わってから教室に行くとしますよ」


 宗介を見送った恭弥はベンチに座って一人紫煙を燻らせた。吐き出した煙がゆらゆらと揺れて空に消えていく様を見るのは、なかなかどうして心が落ち着いた。


 そんな時は得てして余計な事を考えてしまうものだ。


「なあ天城」


「なんじゃ」

 ヌッと黒いシミから天城が姿を現した。この光景も、今や見慣れたものである。


「あの電車の中での会話、俺が覚えていていいものなのか」


「あやつがやった事じゃ。あやつがよいならそれでよいのではないか」


 恭弥は「ふうん」と言って煙を吐き出した。


「この世界は、本当にゲームなのか?」


「その質問に対する回答を我は持ち合わせておらん。じゃがの、一つだけ確かな事がある」


「確かな事って?」


「この世界に存在する全てのきゃらくたー達は確かに生きている。皆、何かしらの意味を持って生きておるのじゃ。それはお前も同じじゃ」


「俺の意味ってのは、桃花を生存させる事だろう? なあ、俺って存在は本当に存在するのか? 電車の中にいたあいつの言葉を聞いたら、なんか俺、創られた存在みたいな――」


「我思う故に我あり」


 おそらく純日本生まれの妖であろう天城の口からまさかそんな言葉が出るとは思わなかった。とはいえ、咄嗟に恭弥は「デカルトか」と返した。


「知らん。どっかの国の哲学者じゃったのは覚えとるがな。全てを疑ってしまうお前の気持ちはわかる。そうさせたのは我らに原因がある。じゃがの、自分の存在まで疑ってしまえば終わりじゃ。この世界がげえむか否か、そんな事は些事じゃ。重要なのは、この世界に在るお前がどうしたいかじゃ」


「最近、わかんなくなってるんだよな。最初の頃はヒロイン全員救ってやるとか思ってたけど、色々あって、自分の無力を知って、それでも尚俺はどうして運命に抗ってるんだろうって思うんだ。俺のこういう考えはどこから来てるのか自分自身わからないんだ」


「ほんにお前はうじうじしたやつじゃな。ちんぽこついているのか」


「ははっ、なんか懐かしいな、このやり取り。前にもやったよな?」


「それだけお前がうじうじしとるという事じゃ。よいか、何度も言うがお前はお前のやりたいようにやればよいんじゃ。いちいち疑問を口にするでない」


「言いたくもなるさ。揃いも揃って訳知り顔で俺に訳わからない事言ってくるんだ。疑問の一つもぶつけたくなるってもんさ」


「じゃからといってその相手に我を選ぶな」


「だってお前くらいしかいないんだもん。事情全部知ってて、話せそうなの」


 天城はこれみよがしに眉間にシワを寄せて大きなため息をついた。


「喰ろうてやろうか! お前我を舐めるのも大概にせえよ? 本来ならお前みたいな情けない男の味方なんてしてやらんのじゃぞ!」


 ガーッと怒ってみせる天城に恭弥は思わず苦笑してしまった。最近ようやく彼女の「喰ろうてやろうか」は照れ隠しの時に言っている事がわかってきたからだ。


「何笑っとるんじゃ! ほんとに喰うぞ!」


「悪い悪い、まあでも、おかげで元気出たよ。いや、特に落ち込んでた訳でもないけど」


「なんなんじゃお前は! まったく、くだらん事で我を起こすな!」


「だから悪いって言ってるだろ?」


「いーや、誠意が足りん。まるで足りん。お前はもう少し我を敬うという事を覚えるべきじゃ。大体この間だって我がおらんかったら死んでおったんじゃぞ」


「感謝してるっての、つか、時間結構ヤバいな」


 恭弥は携帯灰皿に煙草を押し付けるとベンチから立ち上がった。そして小走りで屋上のドアへと向かった。


「あ、コラ! まだ人が話しとる最中じゃろうが!」


「家で聞くよ!」


 そうは言って急ぎ足で階段を下りていく恭弥の足取りは軽かった。

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