第118話

 一通りのやる事を終えて、さあ出前を取ろうとマナーモードにしていたスマホの画面を確認すると、英一郎から鬼のように連絡が入っていた事に気付いた。


「あー、マジか……」


 英一郎はあれで学園の管理退魔師という側面も持っている。おそらく学園で宗介が妖気を出したために管理者である英一郎が事情を知ってそうな恭弥に連絡を入れたのだろう。


 あまり考えたくないが、今頃学園には調査団が入って何が起こったのか調査されている事だろう。そうなれば、文月が落としたスマホを辿って狭間家にガサ入れが行われるのは見えている。面倒だが、今すぐにでも英一郎に連絡を入れて事情を説明しなければもっと面倒な事になってしまう。


「すまん、ちょっと仕事。文月、悪いんだけど家の電話使って出前頼んどいて。時間かかるかもしれないから金は俺の財布から払っておいて」


「かしこまりました」


「仕事? 家にいるのに仕事なんてあるのかよ?」


 健介の中では退魔師とは勇ましく妖と戦う存在のようで、こうした事後処理や書類仕事といったものがあるとは思っていないようだ。


「退魔師も楽じゃないんだよ……ま、健介は気にせず美人二人と楽しんでてくれ」

 そう言って足早に自室へと行った恭弥は、すぐさま英一郎へと折り返し電話を入れた。


『もしもし狭間か? お前今どこで何やってる?』


「家です。すいません、ちょっと立て込んでて」


『まったく……学園に妖が出た。それも聞いて驚け、大妖クラスだ。いきなり現れたもんだからこっちはもうしっちゃかめっちゃかだぞ。しかも現場にはお前の傍使いのスマホが落ちてたんだ。もうじき緊急の会合が開かれる。お前もさっさと準備して協会に来い』


「参ったな……会合はともかく、妖は知ってるんですよね。というか、そいつと戦ってきた帰りです」


『……なんだと? どういう事か詳しく説明してくれるんだろうな』


「それなんですけど、ちょっと二人だけで話せますか? 色々とややこしくて」


『マジで言ってるのか? 主催者不在の会合なんて聞いた事がないぞ』


「そこをなんとか。例の殺生石の件にも関係がある事なんです」


『……わかった。今から急いでお前の家に向かう。それじゃ』


「あ、ちょ、家は――。電話切るの早いよ……英一郎さん」


 どう転んでも面倒な事になる運命だった。ため息をついた恭弥は、トボトボと階下の居間に下りると、ちょうど出前の注文をしている途中だった文月に「一人分追加で頼む」と言った。


   ◯


 それからすぐに宣言通り英一郎は狭間家に来た。事ここに至っては諦めの心が肝要である。恭弥は顔に笑顔を貼り付けて千鶴含めた全員が並ぶ居間に英一郎を迎えた。


「あー、色々とツッコみたい事はあるが、なんでこいつがここにいる?」

 そう言って英一郎が指指したのは健介だった。英一郎からしてみれば千鶴がいるのは暗黙の了解のようなところがあったので、いちいちツッコみはしないが、この場で唯一業界に無関係の一般人である健介がいるのは疑問だったのだ。


「それが色々の原因の一端です。残念な事に健介も今日から関係者の一人になっちゃんですよ」


「マジか……またお前面倒事を持ち込みやがったな。頼むからおじさんの負担を増やさないでくれよ」

 と、英一郎は大きなため息をついた。


「あのー、なんでここに先生がいるんスか? ひょっとして先生も退魔師だったり……?」

 英一郎の正体を知らない健介が問いかける。


「その通りだよ。おじさんも狭間と同じ退魔師です。つーかマジで何があったんだよ。暗黙の了解だったとはいえ、千鶴を隠してねえし、その辺も説明してくれるんだろうな」


「まあ長くなるので食べながら話しますよ。英一郎さんの分も頼んどいたので食べてくださいよ」


「まったく……いただきます」


 全員が一通り箸をつけた頃合いを見計らって恭弥が今回の件について説明を始めた。


「学園に現れた妖の正体ですけど、あれ転校生の宗介です」


 それを聞いた英一郎は特に驚く事もなく「そうか」とだけ言った。


「驚かないんですね」


「そりゃあな。なんとなく怪しいとは思ってたし。あいつは経歴が綺麗過ぎた。んで?」


「ここからが重要なんですけど、宗介は白面金毛九尾の狐の一尾なんです」


「マジかよ。そいつは予想外だ。んでも白面金毛九尾の狐は封印されてるはずだよな?」


「ところがどっこいこの間の殺生石の一件で封印が緩んでるんですよ。というか、その分け身達はもう自由に動き回ってる。宗介含めて少なくとも二尾を確認してます」


 冥道院に連れ従っていたハクもその一尾だ。不完全とはいえ空亡を得たという事は、冥道院は裏でそれ以上の分け身を開放しているはずだ。おそらく宗介も冥道院のそうした活動の一端で開放されたクチだろう。


「そいつは事だな。だが、なんで七瀬は学園に来たんだ?」

 恭弥が「人化の術です」と言うと、英一郎は「なるほどな」と言った。

「これで繋がった。飯田は七瀬のターゲットにされた訳だ」


「そういう事です。で、ここからは相談なんですけど、宗介の事見逃してくれませんか?」


 英一郎は見るからにはっきりと面倒だ、と顔を顰めて見せた。それだけに留まらず、食事中だというのに胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。


「英一郎さん、食事中ですよ。それに子供の前で喫煙をするなど、教育者のする事ではありませんよ」


 すかさず千鶴がたしなめるが、英一郎はそんな事など知らんとばかりに大きく煙を吐き出した。


「これが吸わずにやってられるかよ。何を思ってそんなヤベえ妖を見逃せってんだ」


「白面金毛九尾の狐は確実に復活します。そうなった時、宗介を味方につけておきたいんです。そうすれば、戦力を削れるし、こっちの戦力にもなってくれるかもしれない」


「お前それマジで言ってるのか? ……いや、マジなんだろうな。だから転学して早々ちょっかい出してたんだな」


「そうです。で、今日ちょっとガチでヤりあってきたって訳です」


「お前あのクラスの妖相手によく生きて帰ってこれたな。まあそれはいいとして、実際のところはどうなんだ? 味方してくれそうなのか?」


「……正直なところ、わかりません。色々頑張ってみたんですけど、どうもどれもあいつの心には響かなかったみたいで……だからこんな事になっちゃったんですけど」


 英一郎は頭をガシガシと掻いた。どう回答したものか悩んでいるようだった。


「白面金毛九尾の狐が復活するってのはどの程度の確度の情報だ?」


「間違いなく復活すると俺は思ってます。冥道院って奴がいるんですけど、あいつはそのために存在するような奴ですから」


「冥道院? お前また妙な事に首突っ込んでんじゃないだろうな?」


「突っ込みたくて突っ込んでる訳じゃないですよ。厄介事があっちからやってくるんです。というか、今更ですけど冥道院の事知ってるのは協会じゃ鬼灯と稲荷だけです。この話を聞いた時点で引き返せない類の案件です」


「……お前、ハメやがったな」


「すいません。でも、どうしてもなんとかしないといけない案件なんです。それに、白面金毛九尾の狐が復活したのに合わせて、千鶴さんには表舞台に戻ってもらうつもりです。英一郎さんには申し訳無いんですが、援護してくれませんか?」


 英一郎はフィルター近くまで吸った煙草を文月が持ってきた灰皿に乱暴に押し付けるとこう言った。


「あーもう、わかったわかった。お前に乗せられてやるよ」


「すいません、助かります」


 礼を述べた恭弥に対し、英一郎は寿司を箸で掴みながら問いかける。


「いつ復活するとかはわかってるのか?」


「そこまで詳細な事はわかってません。ただ、復活は確実なんです。それまでになんとかして戦力を掻き集めないと……一尾に過ぎない宗介であれだったんだから、本体は俺達が束になっても敵わないです」


「やだやだ、考えたくないね。なんか狐と相性の良い退魔師とかいなかったかな……そこんところどうよ、千鶴。妖に詳しいあんたならなんか知ってるんじゃないか?」


 問いかけられた千鶴は口いっぱいに頬張っていたピザを咀嚼して、手についたソースを舐めながら答える。


「家系的には私ですかね。文献によると、玉藻前は安倍あべのやすなりに正体を見破られたという事ですから、安倍家は少々因縁があります。一応私も安倍の血は引いているので、多少は特効になるでしょう。とはいえ、やはり一番は殺生石でしょうね。殺生石で作られた矢と長刀があれば尚良いです」


「あれ? でも、確か殺生石って玉藻前が変化したものですよね? なんでそれが特効になるんです?」


 恭弥の記憶が正しければ、殺生石は玉藻前そのものといって差し支えないはずだった。


「だからこそ、ですよ。強すぎる毒は生み出した本人をも飲み込みます。そこに伝承と同じ形状の武器で攻めれば、普通に攻撃するよりも効くはずです」


「なるほどな。まあでも敵さんがいつ攻めてくるかわかんないって点では、いつものお務めと変わらんさ。俺らに出来るのは修行して、少しでも生き残れる可能性を上げるだけって訳だ。だが問題は、七瀬の存在を頭の固い連中にどう認めさせるか、だな」


 考えないようにしていたが、英一郎の言う通り最大の問題は宗介だった。協会内は依然として妖は滅ぼすべき存在であるという考えが主流だ。特に、権蔵などは妖と手を組むなど以ての外という考えだろうし、彼を説得するとなると骨が折れるでは済まないだろう。


「そもそも仲間になってくれるかも怪しいですけどね……」


「そこはお前、狭間の努力次第だろう。頑張って仲間にしてみせますくらい言え」


 今までの事を思い出すと空笑いしか出てこなかった。だがここで、それまで文月と共に無言で食事をしていた健介が割って入ってきた。


「なんかよくわかんないけど、要は宗介と仲良くなれれば解決するんだろ?」


「まあ、な。それが難しそうだから困ってるんだよ」


「大丈夫だって! 事情を知った事だし、これからは俺も手伝うからよー」


「お前、マジで言ってる?」


 つい数時間前に殺されかけた相手だというのに、一体どういうメンタルをしていればそんな発言が出るのか不思議でならなかった。鋼などという言葉で到底足りない何かがそこにはあった。


「言葉が通じるんだから、きっとわかりあう事は出来るさ」


「お前の楽観さが羨ましいよ。ったく、やるだけやってみるか。健介、力を貸してくれ」


「おう!」


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