第102話

 それからすぐに文月の部屋の扉が開いた。自室から出てきた彼女はすっかりお出かけモードになっていた。


 薄手のネイビーニットに水色のロングスカートという出で立ちの文月は、彼女の控えめな気質を表しつつもワンポイントアクセントとして付けられた銀色の十字のピアスがデートコーデである事をしっかりと主張していた。


 恥ずかしげな雰囲気をまとわせながら恭弥へと近づいていった文月は、彼の言葉を待つように上目遣いで見つめた。


「……驚いたな。見違えた。メイド服か制服しか見たことなかったからびっくりだ。よく似合ってるよ」


「ありがとうございます……」


 嬉しそうにふんわりと微笑む彼女の顔に、ふと違和感を覚えた。普段よりも三割増しくらいで綺麗に見えたのだ。よく見ると、メイクも普段のナチュラルメイクから、わざわざそれ用のものにメイクし直したようだった。


 薄く塗ったチークが映えるように、下地からやり直したのだろう。アイラインも彼女の綺麗な碧眼が目立つように塗られている。道理で時間がかかった訳だ。


「メイクも直してたんだな。普段とはちょっと印象が違うね」


「お嫌いですか……?」


「いや、バッチリ綺麗だよ。すげー気合入ってるのがわかる。なんか普段通りの格好をしてる俺が申し訳ない……」


「いいえ、恭弥様は普段通りで構いません。むしろその方がいいです」


「そう言ってくれると俺としては助かるけど……てっきり買い物かなんかに付き合うのかと思ったけど、その様子だと違うよな?」


「はい。その、デートに付き合っていただけないかと」


「了解。っても急な話だったから全然プランとか考えてないんだけど」


「私からお誘いしたのでそこはご安心ください」


「そっか、それじゃあ文月にお任せって事で」


 千鶴に留守番を頼んで二人で家を出た。文月の中にはすでにデートプランが出来上がっているらしく、彼女は迷うことなく家の近くのレンタカー屋へと向かった。


 本来、彼女の年齢であれば親権者の同意書がなければ借りられないが、そこは退魔師に連なる者の特権である。国から発行された特例の免許証を見せて軽自動車を借り受けた。


 念の為に自賠責保険に入り、店員の説明を受け終えた二人は自動車に乗り込んだ。恭弥は車の免許は持っていないので、運転席には文月が座った。


 配置を確認し、シートの高さを調節する横顔が、どうした事か色っぽく映った。


「どうしました?」

 ジッと見つめていたからだろう、視線に気づいた文月が不思議そうに首をかしげながらそう言った。


「いや、なんかいいなあって。文月とこうして出かけるのって初めてじゃないか?」


「そうですね。ですから私、すごい楽しみなんです」


「そっか。良い一日にしような」


「はい。準備はよろしいですか? 発進します」


 いきなりアクセルをベタ踏み――なんていう事はなく、普段の彼女のイメージ通り静かに車は発進した。法定速度を守った安全運転。実に文月らしかった。この調子なら安心して助手席に乗ってられそうだ。


「目的地は決まってるのか?」


「高速に乗って小樽に行こうかと思っています」


「小樽かあ。随分昔に行ったきりだな。小学生の修学旅行以来かな」


「その時は何をされたんですか?」


「んー全然覚えてないな。なんとなく小樽運河の屋形船にクラス全員で乗ったような、乗ってないような……」


「ふふっ、でしたら今日一緒に乗りましょう。先程確認したら今日はやっているそうなので」


「そうだな。後は小樽と言ったら海鮮か? 寿司とかカニとかが美味いんだっけ」


「そうですね。最近はスイーツにも力を入れているようですよ」


「そうなのか。全然知らなかったな。俺あんまり甘い食べないし」


「挑戦してみますか?」


「せっかくだしそうするか。しかし、デートってやっぱりこういうのだよな。楽しさの中にも安らぎみたいなのがある感じ」


「む。今誰かとのデートと比べませんでしたか?」


「あ、いや、その……」


 口が滑ってしまった。脳裏を神楽との爛れたデートが過ぎったとは口が裂けても言えない。せっかくの雰囲気が台無しになってしまう。


「私だって怒るんですよ? 今は私とデートしてるんですから、他の方と比べないでください」


「はい。すいません……」


「はい。わかればいいんです。それはそうと、一応喫煙車を借りたのでお煙草を吸われたかったらお吸いになっても構いませんからね」


「あ、マジか。それじゃあ」


 本当は今日一日吸うつもりはなかったが、悪い流れを断ち切るために早速窓を開けて火をつけた。文月としても会話の流れが悪い方向に向かってしまったのを修正する助け舟のつもりで言ったので、恭弥が煙草を吸い始めたのは助かった。


 4分の1程度煙草を吸ったタイミングで、文月が感慨深いといった口調でこう言った。


「ここまであっという間でしたね。初めて恭弥様に会った日が昨日の事のように思います」


「どうしたんだよ、急に」


「こうして私がドライブをする日がくるなんて、なんだか信じられないんです。あの日あの場所で、恭弥様に出会っていなければ今の私はありませんでした。きっと、政略結婚の道具になっていたんだろうと思うと、何気ない毎日が貴重な思いなんです」


「まあ、そうだな。実際そういう話が出てたみたいだし」


「兄としても、私が恭弥様の傍使いになって安心したようで、肩の荷が下りたと言っていました。やっとお務めに集中出来る、と」


「そういえば最近光輝さんと会ってないな。文月はちゃんと連絡取ってるか? あの人シスコンぎみだから、ちゃんとまめに連絡取らないと家に押しかけてきそうだ」


「ふふ、ちゃんと毎日連絡を取っていますよ」


「本当かあ? 文月は働き者だからいつ休んでるのかわからないからな。もう少し楽してもいいんだぞ?」


「ダメですよ? 恭弥様は私を甘やかし過ぎです。お給料も出て、学園にも通わせていただける。私はそれだけでも十分なのです。むしろ、もっと私を使ってください。そのための傍使いなのですから」


「いやいや、奴隷じゃないんだからもっと権利は主張していかないと」


「お休みが欲しくなったら、ちゃんと言いますので安心してください」


「そうしてくれ。あんまり休まないようだと週休二日制を導入するからそのつもりで」


「それは困りました。では、そうならないように気をつけますね?」


 それから良い雰囲気のまま車を走らせる事40分。目的地である小樽へと到着した。小樽運河などがある中心地から少し離れたところにある有料駐車場に車を停めた二人は、小樽運河でクルージングをする事にした。現在の時刻が12時少し前なので、12時出航の便に乗るのにちょうど良かったのだ。


 受付でチケットを購入し、早速船に乗り込む。昼時だからか、休日であるというのに人の数はまばらだった。


「空いててラッキーだな。周りもカップルしかいないし、ちょっとした貸し切りだ」


「そうですね。いつもは混んでるようなので、今日はゆっくり景色を見られますね」


「そうは言っても景色の何を楽しめばいいんだかわからないんだよな。俺土地勘ないから何が何やらさっぱりだ。文月は建物の名前とかわかるか?」


「有名な所であれば、少々は。でも大丈夫ですよ、スタッフの方が案内してくれますので」


「へー。きっと小学生の時も案内とかしてくれてたんだろうな。全然覚えてないけど」


「そのくらいの年頃ですと、周囲に目を配る余裕がありませんからね。仕方ありません。むしろ、隣のお友達と話すのに夢中になってらしたんじゃありませんか?」


「なんかそうだったような気がする……お土産屋で模擬刀を買うとか買わないとかで盛り上がってた記憶が薄っすらとあるな」


「ふふっ、男の子はそういった物がお好きですよね。恭弥様にもそんな子供時代があったんですね」


「俺なんて年中鼻たらして遊んでたぞ。近所の子供とよくケイドロやってたなあ」


「修行とかはされていなかったんですか?」


 文月の疑問は当然だった。退魔師の家系に生まれた人間にとって幼少期とは修行に充てられる時間なのだ。幼少期の努力は結果が著しくついてくる事もあり、どの御家も子に厳しい修行を課す。一般家庭の子供のように遊んでいる時間など本来ないはずなのだ。


 狭間恭弥も、当然幼少期は厳しい修行を行っていた。だが、今口をついて出た記憶は恭弥であって恭弥ではない人物の記憶だった。


(あれ? 俺は誰の記憶を話してるんだっけ? 『俺』の記憶だよな? でも、俺は『狭間恭弥』なんだから狭間恭弥の記憶を話さなきゃ……)


 冥道院と相対している時に似た頭痛を感じた。吐き気を覚えるほどではないが、それでも無視出来るほどの痛みではない。


「……恭弥様?」

 文月は黙りこくってしまった恭弥を心配そうに見上げた。


「あ、ああ、ごめん。ボウっとしてた。天気良いからかな? のぼせ気味かも」


「大丈夫ですか? 冷たいお茶があるので飲んでください」


「だいじょぶだいじょぶ。ありがとう。準備いいね。いつの間に買ってたの?」


「恭弥様が先程チケット買っている間に側の自販機で買っておきました。あの、本当に大丈夫ですか?」


 受け取ったペットボトルのお茶をごくごくと飲みながら、心配させないようにおちゃらけた雰囲気で「へーきへーき」と言う。せっかくのデートを台無しにする訳にはいかない。


(俺は狭間恭弥だ。文月に余計な心配をかけちゃいけない)


「もし辛いようでしたら今からでも船を降りましょう。私のわがままで体調を崩す訳にはいきません」


「大丈夫だって、ちょっとボウっとしてただけさ。な? それより、船が出るみたいだぞ。楽しみだな、赤レンガ倉庫みたいなの見れるんだろ?」


あまり追求するのも悪いと思ったのか、文月は「……無理はなさらないでくださいね?」と言ってようやく腰を落ち着けた。


 船が出た当初は心配そうな雰囲気を出していた文月だったが、10分も経つ頃には笑顔が戻っていた。その様子に一安心したが、収まるどころか酷くなる一方の頭痛が厄介だった。今はまだ平静を装えるが、これ以上酷くなってしまうと顔に出てしまう。


「船旅もいいもんだな。時間がまったり過ぎてく気がするよ」


 だが、だからといってそれを表に出す訳にはいかない。男のプライドというものもあったし、それ以上に文月の心配する顔を見たくなかった。


「そうですね。あ、あれが赤レンガ倉庫ですよ」


「おー本当に赤いんだな。しかしわかんないもんだなあ、倉庫が観光名所になるなんてさ」


「考えてみればそうですね。ただの倉庫なのに、こうして船の上から眺めるだけで綺麗な景色に映るなんて。なかなかありませんよね」


「文月と一緒に見てるから綺麗に映るのかもな。なんて、クサイセリフを言ってみたりして」


「ふふっ、恭弥様がそんな事を言うなんて珍しいですね。デートだからですか?」


「そうだな、デートだから特別に、だ」


「ではありがたく受け取っておきます」


「きっと夜だったらもっと綺麗に映るんだろうな」


「ライトアップされるので昼とは違った景色になりますね」


「今度来た時は夜に乗ろうか」


「もう次の約束をしてくださるんですか?」


「気づいてくれたか。まあ、その時まで文月が俺に愛想尽かしてなければの話だけどな」


「そんな事は有りえません。私はずっと、恭弥様をお慕いしております」


 そう言って、控え目に文月は肩を寄せてきた。それが彼女なりのアピールである事に気づいた恭弥は、優しくその肩を抱いて寄せた。


 そこからは、会話もそこそこに景色を楽しんだ。

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