第100話
電車の中にいた。席に座って、ガタンゴトンと定期的に訪れる揺れを感じながら、窓の向こう側を流れていく緑色の景色に目をやっている。
自分が誰で、なんのためにここにいるのかはわからなかった。だけど、酷く懐かしい感じがした。
どれだけの時間をそうしていただろうか。気がつくと、眼前に天城がいた。
「封印が緩んでおるようじゃな。小僧の意識を感じる」
「そうみたいだね。だけど、記憶には残らないだろう」
天城はふん、と鼻を鳴らすと後ろを向いて外の景色を見始めた。座席に膝をついて、子供のような格好をしている。
天城はしばらくそうしていたが、やがて景色を眺めるのに飽きたのか、こう言った。
「やり直すつもりなのか」
「いいや、そのつもりはないよ。今回は上手くいっていると思わないかい」
「お前の時に比べればな。じゃが、それもいつまで続くか。冥道院が動き出したんじゃ。奴は何をしでかすかわかったもんではない」
「そうだね。でも、やっぱり転生者っていう設定は強いよね」
「じゃが小僧はそれに縛られている節がある。それに、それは相手も一緒じゃ」
「だとしてもだ。今回は神楽という強い味方がいる。桃花との関係も良好だ。いつかのように神楽と桃花が殺し合うという結末はないだろう」
「どうじゃろうな」
「もし、死ぬとしたらどのタイミングだと思う?」
「白面金毛九尾」
「……僕がどうやっても乗り越えられなかった結末だね。冥道院は蘇らせると思うかい?」
「蘇らせるじゃろうな。奴はそのためにいる。その結果自分がどうなるとわかっていてもやるじゃろう」
「玉藻の協力が必要になるね。君の方でそれとなく促してくれよ」
天城はその言葉には答えず、代わりにこう言った。
「前から気になってたんじゃが、なぜ全ての記憶を引き継がない? こんな回りくどい事せんでも、その方がよっぽどお前の望む結末に近づくんじゃないかえ」
「……君と契約をする前、さんざん試したからね。でも、どうやってもダメだった。それならいっそ、こういう手段をとった方がいいと思った訳さ。それに、僕の力も、もう――」
「……そうじゃったな。後何回じゃ」
「完全な形は、おそらく後一回」
「そうか。お前には悪いが、我は今回も失敗すると思っておる」
「……残念だけど、僕もそう思っているよ。問題は、どこまで進めるかだ。次に繋がる一手を彼には掴んでもらう必要がある。だから頼む、天城。彼を生かしてくれ」
「しょうがないの。お前に免じて、少しだけ小僧の手助けをしてやるとしよう」
「ありがとう」
『次は終点、終点、お客様はお荷物お忘れなきようお気をつけてお降りください』
スピーカーから車掌の声が聞こえた。同時に、世界が白んでいく。
ピピピという目覚し時計の電子音が聞こえた。恭弥は起き上がってそれを止めると、大きく伸びをした。普段は目覚ましが鳴るよりも早く起きているので、この音を聞くのは久しぶりだった。
カーテンを開けると、まばゆい朝日が差し込んできた。予報では、今日は一日中晴れだった。絶好の休日びよりだ。
「なんか夢見てた気がするけど、忘れたな……」
夢というのは眠りが浅い時に見るらしい。前回の依頼失敗による後始末で忙しかったため、知らずの内にストレスが溜まっているのかもしれない。
ハクの奪還に失敗した恭弥は、その事実が協会、特に竜牙石の耳に入らないように血の契約を結ぶ羽目になった。加えてなんとしてもこの件を内々で済ませたい稲荷、鬼灯両家の思惑に乗せられる形で両家からのハク関連の依頼を断ってはならないという契約書にサインさせられてしまった。
恭弥としては元々冥道院の思惑を阻止する予定だったので、そんな事をせずとも動くつもりだったのだが、情報の流出を恐れる両者の剣幕にサインせざるを得なかった。そのせいで外部からの協力を望めなくなってしまった。
とはいったものの、実のところ、やろうと思えば外部に協力を仰ぐ事は出来るのだ。稲荷と結んだ血の契約は、この件に関する他言無用だったが、その道のスペシャリストである千鶴に血の契約を結んだその日の晩に解除してもらっているので、物理的な縛りはなくなっているのだ。だが、そんな事をすれば稲荷と鬼灯の協会内における立場がなくなってしまう。
「やっぱり、稲荷はともかく鬼灯は敵に回したくないしなあ……」
だが、事実として冥道院を恭弥と鬼灯だけで抑えるのは難しい。稲荷は戦力的に全く期待出来ないし、瞳術頼りのところがある鬼灯も冥道院相手では戦力になるかと言われると怪しいのだ。
面倒な状況になってしまった。ここ最近は暇さえあればこうしてウンウンと頭を唸らせていた。
「お前にヒントをやろう」
布団に出来た黒いシミから頭だけを出す形で天城はそう言った。
「良い情報と悪い情報、どっちから聞きたい」
「唐突に現れるなよ……良い方からで」
「小春じゃったか、あやつの親友がまだ生きとる」
「そうだ! 冥道院関連で忘れてた……良かった。生きててくれたのか」
「悪い方は、小僧が言うところの夜に哭く本編がもう少しでスタートする」
言われてカレンダーを確認すると、6月も下旬に差し掛かろうとしていた。本編のスタート時期がおおよそ7月である事を考えると、本当にもう少しでスタート時期だった。
「マジかよ……本当に悪い情報じゃねえか。ただでさえ冥道院関連で立て込んでるってのに……こっから更にイベントが立て続けに起こるのか」
「人の話は最後まで聞かんかい。悪い情報はそれでないわ」
「え、じゃあなんだってんだよ」
「……はぁ。こんぼんくらが。お前言うとったじゃろうが。小春の親友が原作スタート前に死ぬと。じゃが現に生きとる。これが何を意味するかわからんのか」
「……原作が、変わった?」
「そうじゃ。何も小春の件だけの事ではないぞ。千鶴の生存、文月を傍使いとした事、神楽の覚醒等々、挙げていけばきりがない。お主はしっかりと原作を変えておるんじゃ」
「……そうか、そうだよな……なんで俺そこに気が付かなかったんだろう……」
「そうしたのは我じゃ。恨みたければ恨むがよい」
「それって、記憶の封印と関係あるのか」
「そうじゃな」
「なんのために、ってのは聞いても教えてくれないんだろ」
恭弥の考えとは裏腹に、天城はしっかりとこう答えた。
「お前がそうした事じゃ。知りたければ己に聞け」
「俺が? そんな事した記憶ないぞ」
「そらそうじゃ。お前にはないじゃろうな」
「うーん?」
謎掛けのような問答に頭を捻らせていると、控えめなノックの音が聞こえた。
「恭弥様、起きてらっしゃいますか。朝食が出来ました」
「はいよー、今行く!」
視線を戻した時にはすでに天城の姿はなかった。大方また眠っているのだろう。気まぐれな隣人が、なぜだか今日はいつもよりも近く感じられた。不思議な気持ちを抱きながら恭弥は自室の扉を開けて、居間に下りていった。
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