第98話

 すっかりと薄暗くなっていた。黒々と生い茂った木々は人の侵入を拒むかのように葉を鳴らせ、威嚇してきていた。


 渋滞に巻き込まれてしまったため、当初の予定よりも遥かに遅く黒森峰に到着した二人は油断なく周囲を警戒する。


「嫌な感じ……黒森峰ってなんなの?」


「黒森峰ってのは、森そのものが霊的な存在なんだ。意思を強く保たないと、森に飲み込まれる」


「山の神がいるって事?」


「いや、そこまでの格はないはず。けど、神隠しくらいの事はしてくるはずだ。それに、冥道院の野郎が絡んでるから何を施しているかわからない。離れないように気をつけよう」


 そう言って恭弥はザクザクと森へと歩みを進めていった。一歩遅れて薫もついていく。


 かろうじて明るさを保っていた景色は、森に足を踏み入れるとカーテンでも閉めたかのように木々の葉が日の光を遮ってしまっていた。そんな中にあって存在感を放っているのは黒く枯れ焦げた倒木だった。過去に山火事でもあったのだろうか、定期的にそうした黒い木が倒れていた。


 まるでお化け屋敷にでも入ったかのようにひんやりと冷えた空気がどこかから流れてきているような感覚を覚えた。退魔師という職業柄そうした事には免疫があるはずだが、どうした事か薫は「恐怖」を感じていた。たまらず前を行く恭弥に声をかける。


「ねえ」


「ん? どうした」


「私達どこに向かってるの?」


「もうちょっと行ったところに旧陸軍の実験施設があるはずなんだ。そこに向かってる」


「実験施設?」


「そうだ。戦中に妖の力を何かに使えないか実験してたらしい。噂によると妖の解剖とか人との人工交配とかやってたらしいぞ」


「そういうのって退魔師協会の管轄じゃないの?」


「さあな。その辺は俺に言われても。ただ、今の時代もそうだけど、退魔師にばかりデカイ面させてるのはお上にとってはよろしくないんだろうさ」


「ふーん。黒森峰の事もそうだけど、なんで恭弥君がそんな事を知ってるの?」


「そこはほれ、need to knowって事で一つ」


「恭弥君、そんな事ばかり言ってたら背後からグサっとやられちゃうよ?」


「……そう言われてもな……言えないんだよ。薫だって知る必要のない事知って、それが原因で死にたくないだろ?」


「それは……そうだけどさあ……でも、恭弥君は私達と同年代だし、番付だって私より下なのに、なんか秘密知りすぎじゃない? 当主になるとそういうものなの?」


「一概には言えないけど、上の連中はそうだろうな。薫が知らないだけで、鬼灯だって相当表に出せないものを隠してるはずだぞ」


「なんで私が知らないのに恭弥君が知ってるのさ。なんかむかつくー」


「知ってて良い事なんて何もないんだな、これが。たまにペーペーの退魔師が羨ましく思うくらいだよ。っと、見えてきたぞ」


 唐突に拓けた場所に出たかと思うと、眼前に4階建ての建物が現れた。かつては純白で威容を誇ったであろう施設も、ヒビ割れ、蔦に覆われ、流れた歳月によって外壁は変色し、在りし日の面影は感じられなかった。あるのはただ、時代に取り残された異物だった。


「うわあ……なーんか陰気臭い場所。中とかすごい汚いんじゃない?」


「そうでもないよ? 見た目ほど老朽化してないよ」


 どこからともなく二人の目の前に現れた冥道院は、時候の挨拶でもするかのような朗らかさでそう言った。


「冥道院……!」


 恭弥はギリっと奥歯を噛んだ。以前にも感じたヘドロと腸のミックスジュースを味わいながら飲み込んだような不快感が襲っていた。


「そう睨むって。僕はまだ君には何もしていないだろう」


「まだって事はする気があるって事だろうが」


「……まったく、言葉尻を捉えるのだけは上手いんだから、困ったものだよ。同じ境遇同士仲良くしようという気はないのかい?」


「欠片もないな。お前みたいなマザコン野郎には吐き気がする」


「やれやれ。前の狭間恭弥はもう少しお喋りに付き合ってくれたんだけどね。君とは上手くやれそうにないや」


「また訳わかんねえ事言いやがって。ハクをさらって何をするつもりなんだ」


「決まりきった事を聞くなよ。君の想像通りの事さ」


「クソ面倒な事ばかり考えやがって……」


「ちょ、ちょっと待ってよ! この人とどういう関係なの?」


 今にも両の手に生み出した霊刀で斬りかかろうとしていた恭弥に薫が待ったをかけた。


「っ! 警戒を解くな、薫! こいつが冥道院だ!」


「ええ! こんな子が?」


 中学生程度にしか見えない冥道院の容姿に薫は完全に油断しきっていた。その油断に付け込む形で瞬時に薫の背後まで移動した冥道院は、じっくりと薫の髪の匂いを堪能した後耳元でこう囁いた。


「ふふふ、はじめましてお嬢さん。君が鬼灯の長女かな? 随分と可愛らしいね。ミルクのように甘い匂いだ。僕の好きな香りだよ」


「ひっ!」


 慄く薫を救うべく駆け出した恭弥は、霊力で生み出した苦無を三本冥道院に投げた。冥道院はひょいっと軽く後ろに飛ぶ事でそれを避けると、そのまま青い蝶を大量に生み出しそれに包まれるように姿を消した。


「冥道院!」


『中でハクと一緒に待っているよ』


 冥道院のその声は、スピーカーでも使用したかのように森全体に、しかし二人の耳にだけ届いた。


「ちくしょう! 無事か、薫?」


「う、うん……けど、まだ鳥肌が立ってる……」


「鳥肌で済んでラッキーだよ。あいつに殺る気があれば今頃その辺に薫の頭が転がってた」


「そんなに危ない人なの?」


「奴はもう人じゃない。れっきとした妖だ。そんじょそこらの退魔師なんて瞬きする間に皆殺しに出来るだけの力を持ってる」


「そこまで……」


「いいか、冥道院とは戦おうとするな。万が一、一人の状況で相対したら迷わず逃げろ。まず間違いなく薫の瞳術は対策がされてる」


「……この案件、私達だけじゃ重たいんじゃない? 今からでも援軍を送ってもらった方がいいよ」


「まず無理だろうな。ハクが関わっている以上、依頼を出した両家は全力で情報を封殺する。特に稲荷が。薫には悪いが、両家の当主は関係者だけで終わらせようとしているはずだ。本来俺がここにいる事事態イレギュラーなはずだ」


「でも、私達だけじゃ冥道院には勝てないんじゃ……」


「だとしても、二人でやるしかない。あいつを放置しておけば惨劇の幕開けになっちまう」


「……退魔師ってほんとやだ。わかったよ、やるしかないならやるしかない!」


「その意気だ。つっても、冥道院とやるのは俺だ。薫には別の相手をしてもらう」


「別って?」


「おそらく手なづけられているだろうハクの相手だ。時期的にまだそこまでじゃないとは思うが、それなり以上に強いはずだから、油断はするなよ」


「次から次へと私の知らない情報が出てくるなあ。本当に恭弥君私の家より格下なの?」


 胡乱な目で見上げる薫に恭弥は頬をポリポリと掻きながら「いや」とか「まあ」とかはっきりしない言葉を口にした。


「いいよ、毒を食らわば皿までだよ。とりあえず信じてあげるから冥道院を追いかけよ」


「そう言ってくれると助かる。たぶん、あいつは地下にいる」


「なんでわかるの、って言葉は飲み込んであげるよ」


「悪いな。けどこれはあくまで予想だからな? 外れてても怒らないでくれ」


「私は気が長い事で通ってるのでそんな事じゃ怒らないよ」


 その言葉を最後に二人はいよいよ割れたガラスを踏み砕きながら建物の中へと入っていった。冥道院の言った通り中は外観ほど老朽化が進んでいないようで、古ぼけてはいるが、当時の姿が朧げに想像出来る程度には保たれていた。


 1階と2階ではオフィスワークが行われていたようで、一般的なオフィスビルのような内装となっていた。しかし、かつては厳重に封鎖されていたであろう大きな二枚扉をくぐり、地下へと続く階段を一つ下りると様子が一変した。


「私こういう雰囲気大嫌いなんだけど……」


 冥道院がいらぬ気を利かせでもしたのか、本来真っ暗なはずの廊下はところどころ電灯で薄暗く照らされていた。しかし、その多くが経年劣化でチラついているせいで、余計「そういう」雰囲気を演出していた。


「退魔師なのにお化け苦手なのか。いつも戦ってるだろ」


「それとこれとは話が別なの」


「完全な暗闇よりはマシだと思うけどな」


「ていうかなんで廃墟に電気が来てるのさ。おかしくない?」


「研究してた内容が内容だからなあ、責任者不在でどうのこうの、とか? あるいは非常用の発電施設が生きてて冥道院が動かしてるとか」


 流石の恭弥も実験施設がなぜ廃棄されたのかは知らないが、床に散らばっている資料や、どう見ても実験の真っ最中だっただろうにもかかわらず廃棄された事を考えると、何かの事情があって慌てて廃棄したであろう事は推察出来る。


「でも、よっぽど慌てて廃棄したんだな。見ろよ、あれなんてミイラになってるぞ」


 恭弥の目線の先には、拘束具で固定されたままミイラになったうさぎがいた。よくよく目を凝らして見れば、肉の部分は死滅しているが、霊的な部分はまだ生きていた。うさぎと妖を使ったなんらかの実験の最中だったのだろう。


「ちょっとやめてよ! わざわざ怖がらせようとしないでよ」


「悪い悪い、そんなつもりはなかったんだ」


 そうして周囲を覗き見ながら薄暗い廊下を歩き、階段を3つほど下り、長い廊下を歩くと、目的地である第一実験場の扉が見えてきた。


「準備はいいか?」


「いつでもオッケー」


 両手に霊刀を生み出した恭弥と、錫杖を構えた薫。二人は重たい鉄の扉をこじ開けた。


「やあ、待っていたよ」


 まず、両目に強烈な圧を感じた。一瞬、薄暗いところに慣れていた目に光が刺さったのかと思ったが、次に感じた猛烈な吐き気でそれが間違いだったと気づいた。


 周囲を照らす明かりを生み出していたのは、赤黒い輝きを放つ球体だったのだ。その球体こそが吐き気の根源であり、それを知覚した瞬間二人は流れる脂汗を抑えられなかった。


 直径1メートル程度のサイズにこの世の憎しみ全てを凝縮したかのような輝きを放つそれに、恭弥は見覚えがあった。


「てめえ……やっぱり作ってやがったか」


「必要な事だからね。これが見せたくて君には来てもらったんだ」


「なに……あれ? すごく気持ち悪い」


そらなきだ。薫も聞いた事くらいはあるだろ?」


「うん。でも、あれって空想上の妖でしょ? 実際に存在するなんて……」


「殺生石研究の最悪の遺物だよ。野郎……やりやがって」


 空亡とは本来空想上の妖である。便宜上妖怪という扱いを受けているが、近年になって生まれた存在であるため伝承もなく、確たる実態は存在しない。あるのはただ、空亡という妖怪がいるという話程度だ。しかし、事「夜に哭く」世界においては、実態のある妖である。殺生石を媒体にいきすだまによって集められた人々の憎しみが凝縮され、まるで太陽のようになったものを空亡という。


「綺麗だと思わないかい? 人間の純粋な感情を煮詰めるとこんな色になるんだよ」


「何が純粋だ。憎しみを集めただけだろう。そんなもんを見せてどうするつもりだ」


「君に選択肢をあげようと思ってね」


「選択肢?」


「僕はこれから白面金毛九尾を蘇らせようと思う。それが僕に与えられた役目だからね。だけど、それじゃ僕の勝ちが確定してしまう。それじゃつまらないからね。そこで、君に空亡をあげようかと思うんだ」


「何を言うかと思えば、冗談も休み休み言え」


「僕は本気さ」


「仮にそんな事をしたとして、どうやって白面金毛九尾を蘇らせるつもりだ」


「僕には空亡以外にも手段があるからね。空亡がなくてもなんとかなる。だけど、君はどうかな? 僕のようにジョーカーを持っている訳じゃない」


「俺にだってジョーカーの一枚くらいあるさ」


「天城の事を言っているのだったら、期待しない方がいいと思うよ? 今回の君は彼女と契約を交わした訳ではなさそうだ」


「また訳わかんねえ事言いやがって」


「正直言って、今代の狭間恭弥はつまらないんだよ。一方的に僕を敵とみなして、まるで僕が諸悪の根源のように嘯く。それじゃあつまらない。どうすれば以前のようになってくれるんだい?」


「ふざけるな! 俺は狭間恭弥だ! 他の誰でもない!」


「恭弥君!」


 頭痛を感じ始めた恭弥はそれを振り切るかのように冥道院に斬りかかった。鍛え抜かれた技も何もないただ勢い任せのその一撃を、冥道院は避ける事すらせず堂々と受けた。


 恭弥の心の乱れを表すかのように、冥道院を切り裂くはずだった霊刀はパリンと砕け散った。


「嘘ばかり。本心では気付き始めているはずだ。自分は狭間恭弥というキャラクターを与えられた誰かだと」


「っ! だったとして!」


 恭弥はもう一方の霊刀で再び斬りかかる。だが、結果は同じだった。虚しく砕け散った霊刀は蒼い残滓を漂わせて宙に消えた。

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