第97話

 慶一は近くを通りかかった女中を呼び止めた。そして、薫を自室へと呼ぶよう命令した。


 暫く待っていると、不思議そうな顔をした薫が部屋にやってきた。


「来たか。座りなさい」


「どうしたの? そんな硬い顔してさ。お父さんらしくもない」


「お前に大事な話がある。本来私は、お前に背負わせるつもりはなかった。しかし、どうやら状況がそうはさせてくれないらしい。これを聞けばもう後戻りは出来ない。だが話す他ないのだ。父として娘のお前に負担を強いる事を詫びさせてくれ」


「……どういう事?」


「稲荷が業界の鼻つまみ者である事は知っているな?」


「鼻つまみっていうか、あんまり皆に良く思われていないのは知ってるけど。裏でなんかコソコソやってるみたいだし」


「そうだな。そんな中にあって、我が鬼灯家は稲荷にとって唯一と言っていい交流のある他家だ。これから話す事は鬼灯家の当主に代々語り継がれている事だ」


「それって……」


「そうだ。私はお前を次期当主として扱う事にしようとしている」


「冗談でしょ?」


 薫の問いかけにしかし、慶一は首を横に振った。あまりに唐突過ぎる決定に頭がついていかなかった。だが、薫の心情を慮る時間がないとばかりに慶一は話を進める。


「薫には信じられないかもしれないが、昔はそもそも鬼灯という家自体存在していなかったのだ。過去の鬼灯にあたる家は武威も技術も誇るところのない末席だった。だが、ある時分家の当主二人が結託して当時力のあった家の技術を盗もうと画策した」


「待って! 私当主なんて継ぎたくないよ。この話聞いちゃったらダメだよね?」


「お前がどう思おうと状況がそれを許さないのだ。諦めてくれ。事が済めば如何様な責めも甘んじて受けよう。可能な限りお前の意に沿う形になる動くと約束もする。だから、だからどうか言う事を聞いてくれ。でなければ、我が家は潰れてしまうのだ」


「そんな……」


「本当に、すまないと思っている」


 大の大人が自らの娘に向かって綺麗に頭を下げた。薫が首を縦に振るまで頑として動く気はないようであった。


 無言の時間が続いた。その間薫は頭を下げ続ける父をジッと見ていた。薫の記憶の中には、こんなにも真剣にお願いをする父の姿などなかった。


 やがて薫の口から大きなため息が聞こえてきた。そして「しょうがないなあ」と言うと、慶一に話の続きを促した。


「……すまない」


「もういいよ。必要な事なんでしょ? 私も退魔師だから、諦める事には慣れてる」


「強くなったな……いや、退魔師らしくなったと言った方がいいか」


「それで? 分家が結託してどうしたの?」


「当時有数の力を持っていた冥道院家の研究成果を盗んだのだ。冥道院は殺生石研究の最先端を歩んでいた。現在に至るまで誰よりも殺生石の深奥に迫った存在だった。いまだに冥道院ほど殺生石を理解する事が出来た者はいないほどだ」


「殺生石って、この間封印を破られちゃった?」


「そうだ。あの封印には我が家も一枚噛んでいる。それもこれも全て冥道院から盗んだ技術があったからだ。そして、冥道院の技術を盗んだ分家の当主二人は、その技術力を背景に力をつけていき、本家を凌駕する実力を手に入れた。それが、今の鬼灯と稲荷だ」


「だから鬼灯と稲荷は交流があるんだ。って事はもしかして私と稲荷って遠縁?」


「そうだ。そして、冥道院の技術を盗む際発覚を恐れた当時の当主二人は、冥道院に連なる一族を根こそぎ滅ぼしている。だが、どうした事か今回、冥道院を名乗る男が稲荷に保管されていた殺生石研究の要を強奪したのだ」


「え、だって根こそぎ滅ぼしたんでしょ? それっておかしくない?」


「ああ。或いは冥道院の名を語る不埒者かとも思ったが、先の会合で話された内容を鑑みるに、下手人は確かに冥道院の技を使っていた。生き残りがいたのだろう」


「ふーん。それで? 私がやる事って何?」


「奪われたハクを取り戻して来てほしい。狐の尻尾と耳を持った少女だ。ちょうど薫と同じくらいの年代の見た目をしているはずだ」


「え? まさか人間なの?」


「いや、妖だ。白面金毛九尾の尾の一つがヒトガタを取っているのだ。ハクは今冥道院を名乗る男が身柄を確保している。狭間のせがれと協力して取り戻してくれ」


「なんでここで恭弥君の名前が出る訳? 恭弥君は今回の件に関係ないはずでしょ?」


「わからん。だが、下手人は狭間のせがれを指名してきている。アレも叩けばほこりの出る男だ。裏で何か繋がりがあるのかもしれん」


「……前から思ってたけど、お父さん恭弥君の事あんまり良く思ってないよね。どうして?」


「安倍千鶴の一件、水釈様の件、吸血鬼の件、椎名家の御家騒動。おかしいとは思わないか? 大きな騒動がある時には必ずアレの姿がある。それも中心人物としてだ。何かあると思うのが自然だろう」


「それは……たまたまじゃないの?」


「いや、何かある。薫もよく注意しなさい。いつ背中を襲われるかわからない。そういう気持ちで付き合うんだ。安易な気持ちで狭間のせがれと付き合ってはいけないよ」


納得出来ない気持ちは多分にあったが、父親の真剣な形相に薫は「……わかったよ」とだけ言った。


   ◯


「やっほ」


 黒塗りの高級車で狭間家を訪れた薫は、恭弥の顔を見るなりそう挨拶した。


「よう。とりあえず上がってくれ。打ち合わせをしよう」


 居間に通されると、文月がすかさずお茶を二人分出してきた。湯気の立っているそれをズズッとすすると、薫は依頼内容を詳細に語っていく。


 流石に鬼灯と稲荷の成り立ちについてはボカしたが、それでも重要と思われる情報は共有したかったので、事前にここまでなら話してもよいというラインを父から聞いていた。


 話が進むにつれて、どんどんと恭弥の顔は苦渋に満ちたものになっていった。遂には、イライラが我慢出来なくなったのか、テーブルに置かれていた煙草に手を出していた。


 そして、薫の話が一通り終わると、恭弥は「冥道院の野郎、面倒くさい事しやがって……」と呟いた。


(……この反応、恭弥君はこの件について何か知っている? やっぱりお父さんの言う通りなのかな?)


「もし、何かこの件について知ってる事があれば話してほしいな。私達はパートナーな訳だし」


「それもそうだな。まず、下手人についてだが、自分の事を冥道院って言ったんだよな?」


「うん。そうみたい」


「ならたぶん、そいつは正真正銘冥道院の血を引く人間だ。それから、盗まれた研究対象ってのはハクだろ? 違うか?」


「……どうしてそれを? 私ハクの名前は出してないよね?」


「ちょろっとな。俺も俺で冥道院とはちょっとした因縁があるんだ」


(ハクは鬼灯と稲荷しか知らないはずなのに。やっぱり恭弥君は何かを隠しているんだ)


「……ふうん。黒森峰って知ってる?」


「……なるほどな……なるほど。知ってるよ。冥道院はそこにいるんだろ?」


「たぶんね。冥道院から来た脅迫状には黒森峰で待ってるって書いてあったみたい」


「了解だ。それだけわかれば十分だ。急ごう。ここからだと少し時間がかかる。日が暮れたら厄介だ」


「わかった。足は私が乗ってきた車を使おう」


 薫の心内は恭弥に対する疑惑でいっぱいになっていた。しかし、まだ確定はしていない。今回のお務めで彼が黒か白かわかるだろう。


 いずれにせよ、今までのようにのんびりしている訳にはいかなくなったのだ。それならば、退魔師らしく利己的になろう。いざとなれば彼を盾にすればいい。そんな事を考えながら薫は準備を進める恭弥を見ていた。

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