第87話

 夢を見た。それがどんな夢だったのかはもう思い出せない。だけど、とても悲しい夢だったというのは覚えている。誰か、大切な人を失う、そんな――。


「……様! 恭弥様!」


 気が付くと、とても心配そうな顔をした文月が横にいた。


「……文月? どうしたんだ、そんな顔して……?」


「とてもうなされていたのですよ?」


「うなされていた……?」


 ぼんやりとした頭で周囲を見渡すと、今が昼で、自室のベッドで眠っていたらしい事がわかった。


「あー……だんだん思い出してきた」


 神楽の一件から暫くお務めに次ぐお務めの連続で疲労困憊にあった恭弥は、久しぶりの休日という事もあって昼寝をする事にしたのだ。


 一時間経ったら起こしてくれと文月に頼んだのだが、どうやら夢見が悪くうなされていたようだ。文月にいらぬ心配をかけてしまった。


「すまん、悪い夢を見てたみたいだ。心配かけた」


「いえ。大事ないようであれば構いません。昼食が出来ましたがいかがされますか?」


 恭弥は軽くストレッチをして骨を鳴らすと「食べる」と言ってベッドから起き上がった。


「千鶴さんは?」


「もう召し上がってます」


「流石。あの人は期待を裏切らないなあ」


 文月の言う通り、居間に下りると千鶴はテレビを見ながら美味しそうにご飯を食べていた。そこにはお務めの際に見せる頼りがいのある横顔は一切なく、あるのはただダラけたアラサー女子のそれだけだった。


「ん? 顔色が優れませんね、恭弥。どうかしたのですか」


「いやちょっと夢見が悪くて。疲れをとるために寝たのに逆に疲れちゃいました」


 恭弥の言葉を受けて、千鶴は箸を咥えたまま何かを思い出すように宙を見やった。


「まあ、最近は忙しそうにしてましたしねえ。そろそろ番付も戻ってきた事でしょう。ここはいっその事休暇を取ってみてはいかがですか」


「んー、そうしたいのは山々なんですけど、俺も俺でやらなきゃいけない事が色々とあって中々そういう訳にもいかんのですよ」


「ふむ。とはいえ、休みを取るのも退魔師の仕事の一つですよ。疲れから命を落とすようでは半人前以下です」


「わかっちゃいるんですけどね」


 恭弥にはそうも言ってられない理由があった。いよいよ原作開始まで時間の猶予がなくなっているのだ。やれるだけの事はやってきたつもりだが、未来は不確定なものであるが故にどうしても対応が後手になってしまっている。恭弥としてもなんとかそうした現状から脱したいとは考えているのだが、世界の悪意か何をしても事が起こってしまう傾向にあるのだ。如何ともし難い状況だった。


 目下心配なのは小春だ。彼女は作中で過去に親友を妖によって亡くしてしまったという描写がある。それが故に彼女は強くなる事を決意したらしい事を語っているのだが、これをどうするかが問題だった。


 先を見据えて戦力の増強を図るのであればそのイベントには介入せず小春の親友が殺されるのを見守った方がよいだろう。しかしながら、恭弥はそもそも小春を業界入りさせるつもりはなかった。それが、自らの力不足によって退魔師とさせてしまったという負い目がある。おまけに、退魔師となる際に可能な限り手助けをすると約束もしている。人間的な考えをするならば親友を助けるべきなのだろうが、やはり小春という戦力は欲しい。


 文月の際にも悩んだ問題だが、こうした問題は何が正解なのかというはっきりとした答えがない。だからこそ頭の痛い悩みだった。


「そういえば、千鶴さんの研究を活かして今度一般人でも妖と戦える武器を作成するみたいですよ」


「なんと。あの研究の後を継いだ人がいるのですか」


「俺としてはやめといた方がいいと思うんですけどね。パンピーが武器持ったところで妖相手ならワンパンで死んじゃうんですから」


「私もそう思ってあの研究は途中でやめたのですが、誰が先導したのでしょうか」


「さあ、そこまでは。でも大方老人達が絡んでるんでしょうよ。政府としてはいつまでも退魔師にデカイ顔されてるのは鼻持ちならないでしょうし。ようは政治的な駆け引きってやつですよ」


「退魔師の特権は大きいですからねえ。多少偉そうにしても対処出来るのは私達しかいない訳ですから」


「一部の連中が大柄な態度取るからこんな話が出るんですよ。どうせ訓練するのは俺達若手の仕事になるんですから、全くいい迷惑ですよ」


 ズズッと味噌汁をすする。今日の具は大根とキャベツ、豆腐に揚げ、それから小さな牡蠣が入っていた。栄養満点である。


「それがあれば私も恭弥様のお手伝いが出来るのでしょうか?」


「やめとけやめとけ。無闇矢鱈に命を粗末にするもんじゃない。こんだけ頑丈な俺達ですらポンポン死ぬんだから普通の人間なんて一瞬であの世行きだ。文月は今まで通り傍使いでいてくれ。それが一番助けになってる」


「しかし私ばかり安全な場所で待っているというのも……」


「いいんだよ。適材適所さ。妖を相手にするのは俺達だけで十分」


「そうですねえ。それに、もし本当に部隊を設立するとなると自衛隊が管轄でしょうね」


「どうですかね。案外陰陽省とか新しく出来るかもしれませんよ」


「それでは平安の世に逆戻りですね。というか、陰陽省自体は実在していますよ?」


「え、マジで?」


「はい。一部の人間にしか知らされていませんが、政府レベルの対応になった際に交渉するのが陰陽省の役割だったと記憶しています。表向きは存在しませんが、防衛省の中に組み込まれる形で存在しています」


「マジかよ全然知らなかった」


「本当に上の者しか知らない情報ですからねえ。それに、そんなレベルの災害はそうそう起こりませんし。陰陽省の方も普段は防衛省の職員として働いているそうですよ」


 衝撃の事実を知った瞬間だった。とはいえこれは明らかに恭弥が知るべきではない情報だ。この業界は不用心に情報を見知ってしまうと何者かに消されてしまうのである。恭弥は「あーあー聞こえない聞こえない」と知らないフリをする事にした。


「それはそうと、神楽の一件でたぶん秋彦さん辺りには千鶴さんの事バレちゃったんですよねー。どうしたものかと悩んでいる訳なんですが……」


「そろそろほとぼりも冷めた頃でしょうし、私としては普通に表舞台に出てもよいと考えているのですが、恭弥には何か考えがあるのでしょう?」


「そろそろ稲荷の連中が悪さを始める頃でしょうから、それの牽制で千鶴さんの生存を匂わせようと思ってたんですけど、たぶん稲荷なら情報掴んでるような気もするんですよね」


「あそこの情報収集能力にはいつも舌を巻きますからねえ」


「だとすれば、もう普通に次何か起こった時にしれっと登場してもいいんじゃないかとも思ってる次第な訳ですよ」


「私は構いませんが、そうなると困るのは恭弥ですよ。何故私の生存を隠していたのか。ともすれば反逆行為とも受け取れる訳ですから」


「そこなんですよねえ。その場合、匿っていた文月にも目が行くでしょうし、桃花や神楽も突っつかれる」


「表舞台に上がるにしても、相応の理由が必要になりますね」


「何か良い案はないものか……」


 うんうんと頭を捻らす二人に文月が控えめに「あの……」と言った。


「大怪我をしていたというのはどうでしょう」


「大怪我……大怪我ねえ。確かに、理由としてはもっともらしいけどちょっち弱い気がするなあ」


「そうでしょうか。あの事件はいわば暗殺未遂みたいなものです。稲荷家を怪しく思った私が弟子である恭弥を頼って回復するまでの隠れ蓑にしていた、というのであれば責は私に向きます。そうなれば、恭弥達に向く目が分散すると思うのですが」


「その場合稲荷は焦るでしょうね。人形化には失敗する、おまけに犯人を自分達だと疑っている千鶴さんが席を協会に戻すとなれば気が気でないでしょう。俺があいつら側の人間だったらいつ復讐されるかわかったもんじゃないと考える。またなんか仕掛けてこないとも限りませんよ」


「流石に私も二度目はありません。警戒しますよ。恭弥達のおかげで拾った命、むざむざ捨てる気はありませんからね」


「んー、じゃあ、千鶴さんがいいならそれでいきましょうか。後はどのタイミングで顔を出すかですね」


「それは先程も話した通り、次に何か起こった時に助っ人として現れればよいでしょう。弟子のピンチに駆けつける。それが一番自然です」


「了解です。でも、なんかあったらってのがフラグに思えてならないですよ……」


「恭弥が言うと馬鹿にならないですからねえ。何もなければそれが一番よいのですが」


「こう何度も立て続けに恐ろしい事が起こっていると心配でなりません。何事もない事を祈っています」


「文月には心配かけてるな。すまん」


「いえ、退魔師の家系に生まれた以上覚悟はしております」


「そう言ってくれると助かるよ」

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