第74話

 真駒内の奥地、自衛隊駐屯地にほど近いここは、お世辞にも民家が多いとは言えない。周囲を畑に囲まれて、場所によってはまだ井戸が使用出来るらしい。要するに、田舎という事だ。


 こういう地形と神楽の異能は相性が良かった。彼女の異能はいかんせん派手に過ぎる。全力を出せば文字通り焼け野原になってしまい、一般人にも被害が出てしまう。だが、ここに人はいない。神楽が思う存分異能を振るえばすぐに片付く依頼だろう。


「それじゃ失礼して。私が最初に数を減らしますね。焼き潰せ! 流離火槌!」


 燧から一際大きな焔が上がった。やがてそれは形を取り、いつしか真っ赤に燃え盛る大鎚となった。神楽はそれを群れをなして向かってくる人面蟲に思い切り振り下ろした。


 閃光の後に響き渡る爆音。少し遅れて熱波が襲った。見た目の派手さ恥じない威力を持った流離火槌は、打ち込まれた地面を焦土と化していた。


 今の攻撃で半数以上数を減らす事が出来ただろうか。さしもの神楽もこれだけの大技を短い間隔で何度も使う事は出来ない。ここからは地道に一体一体潰していく作業だ。


「よし、行くぞ!」


 恭弥は大太刀を一本生み出すと駆け出した。それに追従する形で神楽も火を纏わせた燧片手に駆けた。


 人面蟲は節足動物の形を取っている関係で、横に輪切りにしても死ぬ事がない。それどころか、部位ごとにそれぞれ意思を持っているので、むしろ敵が増える事になってしまう。だから、弱点である人面部分ごと縦に真っ二つ切り裂く必要があった。


 神楽のように火を使えればそんな事をする必要はないが、悲しい事に恭弥にそんな便利な異能は存在しない。だから、面倒でも地道に真っ二つにしていく他なかった。


 そうして狩り続ける事数十分、いよいよ終わりの時を迎えた。


 恭弥は最後の一体を真っ二つにすると、額を流れる汗を袖で拭った。


「ふう……とりあえず終わったな」


「ですね。でも、これだけ大量発生してるんです。絶対原因があるはずです。探りますか?」


「そうだな。放置していれば元の木阿弥だろう。原因を絶つ」


「わかりました。それじゃ少し休憩してから探りましょう」


 停車していた送迎車からリュックを持ってくると、二人は縁石に腰掛けた。リュックの中から携帯食として持ってきていたおにぎりと水筒を取り出す。


 おにぎりにかぶりつくと、程よい塩気が失われた塩分を補給してくれるのがわかった。具材の梅干しの酸っぱさがまた、疲労回復にもってこいだった。


「人面蟲を生み出せる妖って色々考えられますけど、何か心当たりあります?」


「さっぱりだな。面倒な相手じゃない事を祈るばかりだ」


「そうですね。早く帰って寝たいです。夜ふかしはお肌の天敵ですから」


「俺もだよ。神楽がペアだからすぐ終わるかと思ったけど、この数は流石に異常だ。思ったより面倒なお務めかもな」


「なんか恭弥さんが選ぶお務めって大抵面倒なのばかりですよね。ひょっとしてわざとそういうのばかり選んでます?」


「んな訳ないだろ。俺だって楽出来るならそれに越したことはない」


「ですよね。さ、行きましょうか」


 リュックを送迎車に戻し、散策を始める。


 先程人面蟲は森の中から湧いて出てきていた。とすれば、原因となる妖は森の中に潜んでいる可能性が高いだろう。そう思った二人は森に足を踏み入れた。


「ビンゴだな。そこそこの霊力を感じる」


「でもこの程度なら苦戦はしなさそうですね。二人ならすぐ終わりますよ」


「だな。さっさと終わらせよう」


 二人は霊力を辿って行った。暫く歩くと、木々に囲まれた森の中にぽっかりと何も無い空間が存在するのを発見した。その中央には古びた井戸があった。


「井戸っていうと、きくむしか?」


 果たして恭弥の予想は的中した。二人が井戸に近づくと、井戸の底から上半身は女性の裸体、下半身から下は緑色の芋虫というおぞましい造形の於菊虫がぬるりと姿を現した。


「わー! やだやだ! 私無理です! 気持ち悪い!」


 芋虫部分の側面に黒目のような模様が一定の間隔で根本まで続いていた。小さな触腕が腹の部分にひしめき合っており、もぞもぞと動いている。鳥肌が立つのが抑えられない。


「なんつービジュアルだ……流石に俺も無理!」


 アレを相手に接近戦をする気にはなれなかった。恭弥は短槍を複数本生み出すと於菊虫に向かって投げる。


 於菊虫は避ける事はせず、槍は全て腹部に突き刺さった。ブシュッと緑色の血液らしき体液が滴る。


「キョエエエエエ!」


「うるせえ!」


 恭弥は於菊虫が絶叫するのも構わず、次から次へと槍を放り投げていく。


 全身がハリネズミのようになった頃になって、ようやく於菊虫はその身を地に伏せた。大した相手ではなかったが、見た目の気持ち悪さのせいで強敵と戦った時のような気疲れが襲っていた。


「あまりにおぞまし過ぎる。神楽、焼き払ってくれ」


「あ、はい。霞ほむ――」


 そこで、絶命したかと思われた於菊虫が身を起こした。口から緑色の痰のようなものを神楽の顔に向けて吐きかけた。


「きゃあ!」


 神楽は慌てて腕で顔を覆ったが、その一部が手に付着してしまった。ドロリと粘性を持った緑色の痰が滴る。


「この……! 霞焔!」


 神楽の放った霞焔によって、於菊虫は完全に燃え尽きた。一部を残してほぼ全身炭化した。今度こそ完全に絶命しただろう。


「最悪です……気持ち悪い」


「大丈夫か? ハンカチ使え」


「うう……ありがとうございます」


 神楽は恭弥から受け取ったハンカチで痰を拭った。


「なんかピリピリするんですけど……」


「ちょっと炎症起こしてるみたいだな。赤くなってる」


「本当に最悪です。早く帰ってお風呂入りたーい」


「元凶も倒したし、もう帰ろう。送迎車戻れば手も洗えるぞ。俺の水筒に入ってるの水だから、それ手洗えばちょっとはマシだろ」


「ぜひそうしましょう。耐えられません」


 そうして、この日のお務めは終了した。この件はこれで終了した。二人はそう思っていた。しかし、


「神楽、どうしたんだそのガーゼ。まさか昨日の?」


 翌日、学園で神楽に会うと、彼女の右手にガーゼが当てられていた。その場所は、昨夜於菊虫の痰が当たった箇所だった。


「朝起きたら爛れてたんです。昨日の夜お風呂入った後軟膏塗ったんですけど、どうも毒が含まれていたみたいで」


「そうだったのか。痕が残らないといいな」


「もう本当に最悪です。昨日は散々でした。気持ち悪いし気持ち悪いし」


「まあ、確かにあれはな……きっとすぐよくなるさ。大した事ない相手だったし」


「だといいですけど……」


 若干気を落としている神楽を見ながら恭弥は考える。


(何か見落としている気がする。いや、気のせいか)


 しかし、恭弥の気がかりはすぐに最悪の形で現れた。


 学園に着くと同時に談話室に呼び出された恭弥を待っていたのは、悲壮感に満ちた表情をしている神楽だった。


「恭弥さん……」


 神楽の手の爛れはいつしか右腕全般に及んでいた。日ごとにその範囲を広げているらしく、巻かれた包帯には膿が滲み出ていた。


「あれから三日でこれか。完全に異常事態だな。医者には見せたのか?」


「はい。皮膚炎が化膿しているとだけ。家が調合した解毒薬も試したんですけど効果がなくて……」


「毒とは違う何かなのかもしれないな。これじゃ学園どころじゃないな。今すぐ俺の家に行こう。千鶴さんなら何かわかるかもしれない」


 学園を早退した二人は狭間家へと向かった。


 家に着き、千鶴に患部を見せると、彼女は眉間に皺を寄せてこう言った。


「芳しくないですね。解毒は試したのですよね?」


「はい。椎名の家に伝わる解毒薬を試しました」


「椎名の家に伝わる物であれば相当強力な物でしょう。それを以ってしても効果が見られないとなると、それ専用の解毒薬が必要なのでしょう」


「千鶴さんにもわからないんですか?」

 恭弥の問いかけに千鶴は難しい顔をした。


「何分症例が少ないのです。於菊虫自体そこまでメジャーな妖ではありませんから個体数も少ないですし、その中から体液が身体に触れたものとなると更に減ります」


「でも昔の人も絶対に倒す時に体液が身体に触れてたはずですよね」


「ええ。於菊虫はそれなりに危険な妖として認定されていましたが、これが原因なのでしょう。文献を漁ってみますが、最悪患部を切り落とす事になるかもしれません」


「……覚悟しておきます」


「膿を採取させてください。何かわかるかもしれません。結果が出るまでは解毒薬を飲み続けましょう。何もしないよりはマシなはずです」


「わかりました。当分は家で療養に入ります」


「俺も本部の資料を漁ってみるよ」


「すみません、お願いします。それじゃ、失礼します。ありがとうございました」


「ああ、気を付けてな」


 それから数日もしない内に神楽の容態は悪化した。

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