第57話※残酷描写あり。

 大通りに着いた恭弥は、言いようの無い気持ち悪さに支配されていた。サンクガーデンゾーン「花」は尋常人ただびとであれば決して近寄ろうなどとは思えないほど濃密な瘴気に満ちていた。隠形の術を最大にかけて物陰から始まっているはずのイベントを観察する。すると、


(ああ、やっぱりそうだよな)


 ただ立っているだけで吐き気を覚えさせるこの空間に、「彼女」は在った。


 腰まで届く美しい黄金色の髪を春の夜風にたなびかせながら、真紅のドレスに身を包んだ夜の女王は、満月を背に立っていた。


 見る者を凍りつかせるような冷めた美貌、その温度の無い冷えた瞳を一人の少年に向けていた。少年の周りには二つの血溜まりがあった。首の無い男女の死体だ。恭弥の記憶に間違いがなければ彼らは少年の父と母だった。胴と別かたれた頭は彼女の眷属である鴉が食している。くり抜かれた目玉がくちばしに咥えられていた。


「似ているわ……」


 ヴァイオリンのように繊細な声だった。少女のようなあどけなさを感じさせながらも大人の妖艶さをも感じさせる不思議な声音だ。


 彼女は一歩一歩噛みしめるように少年に近づいていくと、漆黒に彩られた爪の先で少年の顎を上げた。そうして愛おし気に頬を撫で上げるとこう続けた。


「ああ、本当によく似ているわ。貴方はあの人にそっくり。貴方、名前はなんというのかしら?」

「ふ、ふざけるな! 親父とお袋を返せ!」


 その言葉を聞いた恭弥は安堵と共に一抹の罪悪感を抱いた。


 ラスボスを倒すのには主人公の力が絶対に必要だ。そのためには彼の両親を彼女に殺させて、桃花が彼の窮地を救うというイベントが必要不可欠だ。しかし、何もその形に拘る必要はなかったのではないだろうか、とも思う。彼の両親を殺さずに主人公を業界入りさせて、尚且妖に対する憎しみを抱かせる方法があったのでは、と。


(詮無い事か。無闇やたらに正史を変えるのは危険だ。特にこのイベントだけは完全な形で完遂させないと。天秤に乗せた命は全て救う事は出来ないんだ)


「私は名前を聞いているのよ? 愚図らないで答えてちょうだい」


 ブワッと強烈な妖気が溢れ出た。彼女にその気は無くとも、今彼女は強く知りたいと「望んだ」故に彼女の身体は無意識の内に強力な言霊を使用したのだ。


(なんつー妖気だ! 吸血鬼の真祖は伊達じゃねえな。無意識であれかよ)


芦屋あしや晴明はるあきだ……!」

 晴明はせめてもの抵抗だろうか、語気を強めてそう言った。それを受けて彼女は、しなやかに伸びた人差し指を顎に当てて思案する素振りを見せる。


「晴明……じゃあ貴方の名前はミゲルね。名前まで似ているなんて、これは運命だわ……」

「は?」

「貴方はミゲルよ。覚えているかしら、セーヌ川のほとりを一緒に歩いたあの時を……ううん、貴方とは小樽運河を一緒に渡ったのだったわね」


(すげーな、まるで会話が成立してない。頭お花畑にもほどがあるだろ……)


「なんなんだよ! 俺になんの恨みがあってこんな事を……!」

「しょうがない子ね。貴方はまだ思い出していないだけ。貴方はミゲルの生まれ変わりなのよ? 今から私がそれを思い出させてあげる」

 彼女は晴明を言霊で立ち上がらせると、優しくキスをした。


(……妙だな。もうそろそろ桃花が来るはずなんだが……気配がない?)


 正史ではここで桃花が現れ、晴明の吸血鬼化を防ぐというイベントが発生する事になっている。そこで、晴明は退魔師という人間を間近にし、業界入りを決意する。そこからややあってようやく「夜に哭く」本編が開始されるはずなのだがこのままでは晴明が吸血鬼化してしまう。


(何やってんだ桃花……! このままじゃ主人公の憧れの対象が俺になっちまうぞ)


 待てど暮らせど桃花はやって来ない。いよいよ晴明が彼女に吸血されるという段になって恭弥はしょうがなく二人の前に躍り出た。


「無粋な輩が紛れ込んでいたようね……」

「すまんが彼をお前に渡す訳にはいかないんだ」


 著しく勝算の低い戦いだが、恭弥の介入で正史に乱れが起こってしまっているのだとしても必ず桃花は訪れるはずだ。でないと困る。ならば、それまでの時間稼ぎに徹する。


 その腹づもりだったが――。


「待っててちょうだいね、ミゲル。すぐに片付けるから。私達の儀式は誰にも邪魔させないわ」

「逃げろ晴明君、こいつは俺の手に余る。巻き込まれても知らんぞ」

「そうは言っても、なんか壁があってこれ以上行けないんだ」


 それもそのはず、晴明は今彼女が構築した結界の内側にあり、逃げようにも逃げられない状況にあった。


(ちっ……七面倒臭い事しやがって)


「時間をかけるつもりはないわ。かかって来なさい」

 使い慣れた日本刀を手に生み出す。

「言われんでも殺ってやるよ」


 吸血鬼に防御力はあってないような物だ。ただの銃であっても傷つける事は出来るし、幾度も繰り返し撃てば殺す事すら可能だ。だが、事吸血鬼に置いては殺すの概念が違う。彼女達は簡単に死ぬがすぐに生き返るのだ。腕がもげようが頭を潰されようが壊したその瞬間から再生してしまう。


 そして、何故彼女達吸血鬼が物語に語られるほど恐れられる存在であるか、それは決して死なない不死性に加えて爪で撫でただけで人を殺せる殺傷能力だ。


 一応霊装を着ている恭弥であれば爪で撫でられたくらいでは死ぬ事は無いが、殺意を持って四肢のいずれかを向けられれば簡単に死ねる。


 更に悪い事に、彼女は真祖だ。吸血鬼としての能力のおよそ全てを身に着けている。


 恭弥は霊力を用いて物を作る事が出来るが、当然のように彼女も出来る。むしろ、恭弥が行うそれよりも遥かに完成度が高い。いわば完全なる上位互換だ。他にも変身能力であったり概念系の攻撃手段も保持している。


一応弱点が無い訳ではないが、真祖である彼女には通常の吸血鬼のように特攻という訳にはいかない。銀の弾丸も洗礼の施された十字架も他の武器よりはよく効く程度の差だ。それならば使い慣れた武器で挑んだ方がよい。


「援軍来るまで殺し続けてやる……!」

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