第55話
意識を浮上させた恭弥は神楽を押し倒した。
「きゃっ! 恭弥さん大胆ですねって、あ!」
それと同時に天城を呼び出し霊縛呪の鉄輪を断ち切った。
「三十六計逃げるに如かず!」
ドアを蹴り破って脱出する。危ないところだった。天城が意識を引っ張ってくれなければあのまま原作主人公よろしく北海道破滅ルートを辿るところだった。
恐るべきは神楽の魅力。あの胸と尻は性的に過ぎる。正直なところ身体だけならば神楽は恭弥の好みドンピシャだった。しかも構図的に逆レイプだった訳だが、それもまた恭弥の好きなジャンルだった。あれで姉属性までついていたら完敗だった。
とにかく、脱出には成功した。出口はわからないが原作では地下にあると描写されていた。とすれば、どこかに上に上がる階段があるはずだ。恭弥はそれを探して駆ける。
しかし、地下などちょっと走れば端から端までたどり着いてしまう。途中にそれらしき物は見当たらなかった。もたもたしていれば神楽が――。
「……そんなに私とするの嫌だったんですか」
仄暗い廊下の奥からゆらりと神楽が姿を表した。その目はドロリと濁っており、対応を間違えれば四肢切断コース待ったなしなのは明白だった。
時間が惜しいが神楽を無視するという選択肢はない。後々にどんな悪影響があるかわからない以上神楽闇落ちはなんとしてでも避けたい。
「する事自体は嫌じゃないが今じゃないだろう」
「じゃあいつならいいんですか!」
「それはお前、色々と事が片付いたらだな」
「色々ってなんですか! 恭弥さんどれだけ私がアピールしても逃げちゃうんですもん。せっかくの機会なのにどうして……」
「いや、俺にも事情があってだな……とにかく、タイミングが悪かったんだ」
「タイミングってなんですか。そんなので私拒否られたんですか……?」
「いや、薫があんな事になって、街中に妖が溢れてるんだぞ? そんな時に出来る訳――」
「また薫……そんなにあの女が大切なんですか」
――殺しておけばよかった。
ボソリと呟いたその言葉は、誰に対して言った訳ではないからこそ真実味があった。心の底からそう思っている証左だった。
(……最悪だ。完全に神楽バッドエンドルートの嫉妬に狂った神楽になっちまってる。あの主人公様ですらここから軌道修正が出来なかったのに俺にどうしろと)
「……冷静になろう。まず、神楽の望みはなんだ」
「黙って私に犯されてください」
(そうだった……こいつクソ性欲強いんだった……一回火がついたら所構わずヤり始めるような奴だった。一発ヤるしか道はないのか……?)
「落ち着け。今はその時じゃない。神楽の気持ちはようくわかった。だけどな? 今は街中に妖が溢れてる。神楽だってわかるだろ? 今まさに無関係な人が死んでいってるんだ」
「そんなのどうでもいいです」
「よしわかった。ならこうしよう、今回の件が片付いたら二人だけで旅行に行こう。そこでなら何をしてもいいと約束する」
「私は今ヤりたいんです」
駄々をこねる子供そのものだ。うら若い男女がヤるヤらないで揉めている姿など犬も食わない。恭弥は子供に言い聞かせるように言葉を重ねる。
「頼むから言う事を聞いてくれ神楽。今動かないと取り返しがつかない事になるかもしれないんだ」
万が一にでも主人公が業界に入らないなんて事になってしまえばラスボスが倒せなくて詰んでしまう。それに、本当に彼女の家族を守る事が出来たのかの確認もしたかった。
「取り返しがつかないってなんですか。私、恭弥さんがわからないです。時折そうやって私達に見えていないものが見えているような事言って、その癖さっきみたいに私に隙だらけの背中を晒して監禁されたり。ちょろいのかちょろくないのかわからないです」
「いやそれはおかしい。前提として俺はちょろくないからな?」
「ちょろいですよ! 一発ヤったらなし崩しで大事にしてくれそうな雰囲気ありますもん!」
「お前結局そこじゃねえか! 一発ヤろうとヤるまいとお前達の事は大事にしてるよ!」
「達? 達ってなんですか! 私は私だけを大事にしてほしいんです!」
「ヤるヤらないは別として俺は一人だけに絞る事は出来ない。それが無理なら諦めてくれ」
「最低ですね」
「そうだよ。自分自身最低な事言ってる自覚はある。だけど、一人だけ選ぶ事なんて俺には出来ない。神楽も大切だし、桃花も大切だ。千鶴さんも文月も薫だってそうだ。俺にとっては等しくヒロインなんだ。皆守りたいと思ってる」
「ヒロインってなんですか……私達は物語の中の登場人物じゃないんですよ!」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃が襲った。大好きな作品の世界に転生出来て、触れる事の出来なかった「夜に哭く」の登場人物達を目で見て、手で触れてその温もりを感じて、意思の疎通が出来ていたというのに、恭弥は頭のどこかで起こる全てを物語の中の出来事だと思っていた。その全てを否定する神楽の言葉に目が覚めるようだった。
今まで正史ではこうだった、と繰り返し考えてきた。可能な限り正史をなぞり、絶対に外せない場面以外の犠牲は是としてきた。しかし、犠牲になった彼らにも彼らなりの生活があったのだ。今こうしている内にも恭弥の知り得ない場面で彼らは作中で描かれなかった物語を紡ぎあげている。そして、一人の人間として生きている。
そんな人達の一生をまるで将棋でも指すかのように駒として見ていたのだ。
(俺は神にでもなったつもりだったのかもしれない……)
「……そうだな、そうだった。確かに俺はどこかでお前達の事を登場人物だと思って見ていたのかもしれない。俺自身も、狭間恭弥を演じていたのかもしれない」
すでに名前も忘れてしまった恭弥の前世、今その自分が本当の意味では狭間恭弥として転生した気がした。
「ちゃんと私を見てください……」
「神楽は神楽だもんな。俺が知ってる神楽とは似て非なるものだ。ごめんな」
優しく神楽を抱きしめる。ヒロインという偶像としての神楽ではなく、目の前の神楽という人間を抱きしめる。その行為は、「夜に哭く」という作品の呪縛からの決別を意味していた。
(そうだ。文月にも言われたじゃないか。主人公がいるからなんだっていうんだ。この世界はこの世界として成立しているんだ。主人公だってただの一人の人間だ。なら、俺は俺のしたい事を好きなようにすればいいんだ。ったく、この間同じ事千鶴さんに宣言したばかりなのに世話ないな……頭で理解するのと納得するのとでは別って事か)
「神楽、お願いだ。俺を行かせてくれ。俺はどうしてもやりたい事があるんだ。そして、そのためにはお前の力が必要だ。力を貸してくれ」
先程までの「夜に哭く」登場人物としての狭間恭弥の言葉ではなく、自分自身の心からの声をかける。果たして聡明な神楽の心にその言葉はしっかりと届いたようだった。
「……しょうがないですね。でも、約束は守ってくださいよ? 私定山渓に行きたいです」
「行きたい旅館決めてくれ。貸し切るからさ」
「お金無い癖に」
「惚れた女に使う金くらいはあるさ」
「私達相思相愛ですね」
「そうだな。さ、わかったら行こう」
どちらからともなく互いの手を取り合った。そうして、地下室から二人の姿は消えた。
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