第43話

 狭間家には三十分もしない内に到着した。鍵を開けて家に入ると、メイド服を着た文月が主人である恭弥と光輝の帰りを玄関で待っていた。千鶴の姿はない。車中でメールを送ったので、恐らく今頃は地下室で一人のんびりとしているのだろう。


「おかえりなさいませ。恭弥様、お兄様」


「ただいま文月」


「……なんだその服装は。狭間、お前の趣味か」


「いえ、これは私が傍使いとして気持ちの切り替えをするためにご用意していただいた服です。これを着るとやる気が出るんです」


「だ、そうです。決して俺の趣味ではないのであしからず」


「本当のところは?」


「金髪メイド最高」


「お前の趣味じゃねえか!」


「冗談ですよ。金髪メイドが好きなのは事実ですが、文月を着せ替え人形にする気はないですから安心してください」


「本当だろうな?」


「もう、お兄様。私の意思でやっている事なのですから、恭弥様を責めるのはよしてください。それよりも、夕食の準備が整っております。すぐに召し上がられますか?」


「そうする。腹減ったし、光輝さんもすぐ食べますよね」


「俺は客人だからな、そっちの都合に合わせるよ」


「了解です。そしたら着替えて来るんで先にテーブル座っててください」


 脱衣場に向かうと、すでに文月が部屋着を用意しておいてくれていた。この辺りの手際の良さは流石と言わざるを得ない。有り難くそれに着替えた恭弥は居間に戻り座椅子に腰掛けると、普段にも増して一層豪華な夕食に感動した。


「すごいな、マジで普段より豪華だ」


「俺の妹だからな、これくらい出来て当然だ」


「いや、なんで光輝さんがそんな偉そうなんですか。すごいのは文月でしょう」


「そうですよ。今日はお兄様が来るという事でメニューを増やしましたが、普段はもう少し質素ですよ。あまり食費がかさむのは好ましくないですから」


 恭弥の頭の中に質素という単語が浮かんだが、それを普段のメニューがかき消してしまった。あれを質素と言うのなら、中流家庭が普段口にしている物は雑草か何かだろう。


「ちゃんと傍使いやってるようで何よりだ。お兄ちゃんは嬉しいぞ」


「ふふ、沢山あるのでいっぱい食べてくださいね」


 久しぶりの兄妹の再開を邪魔しないように、恭弥は聞き手に徹した。やはり電話では話しづらい事があったようで、二人はコロコロと笑顔を見せながら話し合う。このやり取りは正史では起こり得なかった事象だ。こんな光景が見られるのなら、少々無理をして正史を変えた甲斐があったというものだ。自然、恭弥の頬が釣り上がった。


「そうだお兄様、実は後で折り入ってお願いが……」


「ん? なんだ可愛い妹の頼みだ。なんでも聞いてやるぞ」


「その、恭弥様の前ではちょっと……」


 文月の視線に恭弥は肩をすくめる事で答えた。兄妹の秘密のやり取りに介入するつもりはなかった。


「今日の皿洗いは俺がやるよ。その間でお兄さんと秘密の話しをするといいさ」


「そんな……! それは私のお仕事で――」


「いーっての。せっかくの兄妹水入らずなんだ。今日くらい俺に任せろって」


「……すみません。ありがとうございます」


 楽しい時間というのは過ぎ去るのが早いもので、いつの間にか光輝が家を訪れて二時間が経過していた。これ以上は明日に響くのでお開きという事になったが、去り際に光輝が文月の頭をガシガシと撫でて「良かったな」と言っていたのが印象深かった。


 文月は玄関を超えて迎えの車の中にまで見送りに行った。光輝と「秘密話し」の続きをするためだ。


「お兄様、くれぐれも恭弥様には見つからないようお願い致します」


「見つからないようにっても、本当にあの薬使うつもりなのか?」


 文月は光輝の問いには答えなかった。否、答えられなかった。自身が恭弥にしようとしている事に少なからずの後ろめたさを感じているからだ。


「あいつなら、あんな物使わなくてもお前の事を大切にしてくれるだろう。それでも使うつもりなのか。もしバレた時なんて言い訳するつもりだ」


「その時はその時です。それに、恭弥様はそれでも私を捨てる事はないでしょう」


「……ちょっと見ない間に大人になったというか、したたかになったというか……狭間には同情するが、可愛い妹の頼みだからな、犠牲になってもらうとするか」


「恭弥様には誘惑が多すぎるのです」


「あいつも罪な男だな。明日、明後日には届けさせる。学園に送っておくからそこで受け取ってくれ。その方がバレるリスクも少ない」


「かしこまりました」


「それじゃあな。身体には気をつけるんだぞ? 何かあったらすぐに連絡してくれ。駆けつけるから」


「はい。お兄様もお気をつけください」


「ああ、お前の子供を見るまでは長生きするつもりだ。じゃあな」


 光輝を乗せた車が発進する。文月は気配が無くなるまでうやうやしく頭を下げてそれを見送った。

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