第32話

 水釈様の防御力それ自体はあって無いようなものだ。しかし、補って余りあるほどに回復力が凄まじかった。故に、討伐するには回復力を阻害させるか、一瞬の内に身体を灰にするだけの威力を持った面の攻撃を打ち込むしかなかった。恭弥は回復力を阻害させる異能も、一撃で灰にするだけの面の攻撃も、どちらも持ち合わせていなかった。


 シューという蛇独特の威嚇音を鳴らしながら鎌首をもたげて恭弥に食らいつく水釈様。飛び跳ねて避け、頭に刀を突き刺すも、やはり肉が盛り上がって修復されてしまう。


「なら輪切りにしてやる」


 大剣を生み出した恭弥は比較的横幅の小さい尻尾側に回り、大剣を思い切り叩きつけた。ある一定のところまで抵抗なく埋まった大剣の刃はしかし、唐突に止まる事になる。


 ガキンという硬い物同士がぶつかる音を立てたかと思うと、押しても引いても大剣が動かなくなってしまった。水釈様の骨が中で蠢き、刃を絡め取ってしまったのだ。


 しまった、と思った時には遅かった。ブオンという音を立てて尻尾の先端が恭弥を襲う。慌てて盾を作って威力を殺したが、それでも何メートルも吹き飛ばされてしまった。


「……痛ってえ。クソ! 今ほど桃花の能力が恋しいと思った事はねえ」


 彼女の能力ならば雷の力で水釈様の回復力を阻害し、点の攻撃でも討伐出来る可能性を生み出す事が出来る。しかし、ないものねだりをしてもしょうがない。次から次へと襲って来る尻尾の連撃を飛んで跳ねて転がって躱す。


「恭弥君! やっぱり結界に穴は空けられない!」

「ちくしょうやっぱりか! わかった! 薫はその辺から援護しててくれ!」


 箱を作り、空へと駆ける。長槍を構え、ルビーのように赤いその目に槍を突き刺す。が、水釈様は痛みに悶える事もなく残った目で恭弥を捉えて尻尾を突き動かす。


『人間許すまじ』


 人語を解し使役するのは高位の妖の特徴の一つだった。水釈様もその例に漏れず、腹の底に響くような低音で声を轟かせる。


「俺達は何もやってねえってのに! クソ迷惑な神様だな!」


 水釈様が鎌首をもたげた。恭弥は再び大剣を構える。自身に向かって顔を突き出すだろう水釈様とそのままぶつかる気だった。


 ブオッと顔を前に突き出したかと思うと、ニュルリと蛇特有の身体の柔らかさをもって水釈様は直前で攻撃対象を薫へと変えた。


「え……?」

「薫!」

「きゃああああああああああっ!」


 完全に不意を突かれた。予想していないタイミングで行われたその攻撃は、薫の軽い身体を遥か遠くに吹き飛ばした。


「クソ! この距離じゃ生死の確認にも向かえない……!」

「苦戦しとるようじゃの」

 ヌッと地面から顔だけを出した天城が愉快そうに言う。


「今お取り込み中だ。お前の相手をしてる暇はないぞ」

「バカタレ。人がせっかく助言をしてやろうというに、なんという言い様じゃ」

「助言?」


「喰え。あいつは腐っても元神じゃ。お前の力が跳ね上がるぞ」

「喰ったら逆に俺が喰われるだろ。相手は神様だぞ」

「大丈夫じゃ。我がついとる」


 妙な安心感だった。本来討つべき対象である妖、天城のその言葉は、この場においてとても頼もしく感じた。


「……本当だろうな」

「嘘をついとらんのはお前が一番わかる事じゃろう」


 薫の無事も早く確かめたい。何かを変える事が出来るとしたら捕食しかない。確かに、捕食であれば相手の存在そのものを喰らうのだから回復力など関係ない。だが相手は元神だ。人間である恭弥が神をその身に取り込んだ結果どうなるかなど想像がつかなかった。


「大丈夫じゃ。ちゃんと消化出来る」

「……ちくしょう、俺は主人公じゃねえんだぞ? なんだってこんな場面にばかり遭遇するんだ! クソッタレぇ!」


 最早打つ手はない。覚悟を決めた恭弥は尻尾をかい潜りながら水釈様の懐に潜り込むと、大口を開けてその肉に喰らいついた。


 意識が深化する。身体の中に異物が二つあるのがわかった。一つは見慣れた天城、もう一つは今喰らいついた水釈様のものだろう。


「人の身で我を喰らうなど愚かな事をしたものよ。我が喰ろうてやるわ」

「愚かなのはお前の方じゃ。我がおる事も確かめんでここまで潜り込んできおって。どれ、喰ろうてやるとするか」

 そう言って天城はグチュグチュと水釈様にかぶりついた。美味しそうにその肉を噛み締めて飲み込む。


「バカな! なぜお前がこんなところにいる」

「そんな事どうでもいいじゃろ。おい小僧、いつまでそんなところでボサッとしとる。早うこっちに来て一緒に喰わんか。美味いぞ」


「うおおおおお。オノレ。オノレ人間。憎い。憎いいいいい!」

「やかましい」


 天城はブチュっと水釈様の頭を果実でも摘み取るかのように潰した。どうした事か、あれほどの回復力を誇った水釈様が、天城の手にかかると赤子の手をひねるように簡単に黙らされてしまった。待てど暮らせど回復する様子はない。


「なんでお前そんな平然とした顔で神様喰えるんだよ。お前ホント何者だよ」

「鬼じゃ」


 またいつものやり取りだ。諦めた恭弥は美味そうに骨をゴリゴリ噛み砕く天城の隣に腰を下ろし、自身もまた水釈様の肉へとかぶりついた。


「マジかよめっちゃ美味いな」


 今まで妖の肉を美味いなどと感じた事はなかったが、水釈様の肉は確かに旨味があった。その味覚の変化こそが、恭弥が人ならざる者に近づいている事の証左であったが、恭弥がそれに気付く事はなかった。


 ゴリゴリと天城と一緒に骨を齧る。犬歯で穴を空け、骨髄を啜り、奥歯で噛み砕く。骨髄と骨の旨味が混ざり極上のスープに感じられた。


「ケプ。やはり蛇は美味いのう。肉も柔らかいし、霊力も豊富じゃ。満足満足」

「びっくりするくらい消化に負担がないのが逆に怖いんだが、ほんとに大丈夫なんだよな?」


「大丈夫だと言っとるじゃろう。我の消化酵素をお前も持っとるんじゃ。そうそう腹なんぞ壊さん」


「さいですか。まあ、今回は感謝するよ。おかげで生き延びられた」

「うむうむ。お前は常日頃から感謝が足りんのじゃ。もっと我を崇めよ」

「うるせ。調子に乗るな。じゃあ俺は行くからな。おやすみ」

「おやすみじゃ」


 意識が浮上する。水釈様の姿はすでに無く、あるのは大きな血溜まりだけだった。あれだけの巨体を喰い尽くした自身にゾッとしながらも、今は薫の無事を確認するのが先だと思い直し、吹き飛ばされた方角へと駆ける。


 果たして薫は倒壊した工場の建材、その鉄筋に引っかかっていた。見たところ鬼灯家の強力な霊装が幸いして命に関わるような怪我はしていないようだった。しかし、襟足の部分で釣られているため襟がはだけて胸が丸見えになってしまっている。さらしで抑えつけられた肌色が今にも見えそうだった。


 意識がある状況で他者にこんな格好を見られれば自殺ものだろう。恭弥は宙に箱を作って薫の元まで向かうと、優しく彼女を横抱きにし、地面に寝かせてやった。ついでに、襟を整えてやるのも忘れない。


「おい、薫。起きろ。おい!」

 彼女を下ろす際にさっと確認したが、やはり目立った外傷はなかった。と、なれば純粋に気を失っているだけだろう。


「おーい、起きろー!」

「う……うん……?」

「やっと起きたか」

「あれ……? 水釈様は?」

「もういなくなったよ。誤解があったみたいで、あの後話し合って帰ってもらった」


 業界人に公開されている情報を見て恭弥が一人で水釈様を討伐出来ると思う者など一人もいないだろう。であれば無駄な混乱を避けるためにも嘘をついて、なあなあにしてしまった方がいい。真実は知る者だけが知っていればいいのだ。


「そっか……。ごめん、私、足手まといだったね」

「そんな事ないよ。痛むところは無いか? 一応軽く確認はしたけど」

「うん、大丈夫……派手に吹き飛ばされただけだったから。霊装に感謝だね」

「そうだな。俺だったら死んでた」


「……いい加減その安物の霊装買い替えたら? お金無い訳でもないでしょ」

「いつも変えよう変えようとは思ってるんだが、どうも機会がなくてな。最近じゃ愛着まで湧いてきてる」

「何それ、ばっかみたい……」

 疲れた、と呟く薫を無言で恭弥は背に背負った。遠くに鬼灯家の送迎車が見えた。


「……いいよ、もう車、来てるでしょ」

「少しでも早く車に乗せてやろうという俺の心遣いを無駄にするんじゃねえ。まったく、可愛げのない女だ」

「可愛げがなくて悪かったね……だけど、ありがと」

「へいへい。お礼と言っちゃ何だが老人達への言い訳は薫がやってくれ」

「えー……」


「ここ最近顔突き合わせる事多くてな、辟易してるんだ」

「しょうがないなあ……」

「悪いな」

「悪いと思ってないでしょ」


「バレた?」

「このこの!」

「ばっ! 暴れんなって! 危ないだろ」

「恭弥君がふざけた事言うからでしょ」


 年齢相応のそのやり取りは薫が車に乗るまで続けられた。

 そうして薫を見送った恭弥は、食人鬼と戦っていた時から感じていた違和感の正体を探るために崩壊した廃工場へと足を向けた。

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