第31話

 感覚を研ぎ澄ませながら周囲を探ると、大型のミートミンサーの側に奴はいた。大腿骨を抜き取り、適度な大きさへとカットした太ももの肉をミンチにしている最中だった。


(気付かれる前に殺る……!)


 長槍を作る。隠形の術を使い、ゆっくりと食人鬼の背後へと忍び寄る。狙いは脊椎。元が人だけあって、化生したとはいえその構造はほぼ人と同じだ。そこさえ破壊すれば息の根を止める事が出来る。


 ダっと駆け出し、長槍の先端を脊椎へと突き刺す。狙い通り寸分違わず槍の先端は脊椎へと吸い込まれると思われたが、

「何!?」

 パリンというガラスが割れるような音を立てて槍の刃部分が砕け散った。


「なんだぁ?」

 おぞましい声だった。ゴボゴボと喉奥でうがいをしながら声を発しているかのように耳障りの悪い声。およそ元が人だったとは思えない声だ。


「……聞いてないぞ。なんで食人鬼の皮膚がんな硬えんだよ」


 つうっと頬を一筋の冷や汗が伝った。おかしい。原作では特に苦戦する事なくあっさりと光輝にやられたはずの食人鬼が、実力的に光輝を優る恭弥の一撃が通らないなどありえない話だった。


 そもそも、鬼の名を冠するとはいえ食人鬼の元となったのは非力な人間だ。それがどうして槍の刃を粉微塵に砕くほどの皮膚を持っているというのか。


「稲荷のクソ野郎がまたなんかやったのか? ちくしょう、面倒な」


 槍が通用しないというのなら、打撃で闘うしかない。恭弥は霊力で構築したナックルを纏い、ファイティングポーズを取る。ジリジリと近寄って行き、顎に綺麗なアッパーを入れる。


「いでえ! おでがなにやっだっでいうんだ!」

「クッソ、大して効いてねえのか。人肉喰っといて何をしたもクソもねえよ!」


 ジャブ、ストレート、ボディ。人中に中高一本拳を打ち込む。ついでにこめかみに裏拳も叩き込む。ボクシングと空手を織り交ぜた攻撃。並の妖ならば三回は死んでいるその攻撃を受けて尚、食人鬼はたたらを踏むだけに留まった。それどころか、霊力で構築したナックルが破損した。


「世話ねえな……こりゃ薫の瞳術に頼るしかないかな……?」


 恭弥にされるがままだった食人鬼も遂にその牙を剥いた。大口を空けて恭弥へと駆け寄ってくる。隙だらけのその様子を好機と見た恭弥は、脇差を食人鬼の口の中に突っ込む。しかし、それすらも砕けてしまった。


「マジか。口の中まで頑丈なのかよ」

 慌てて後ろに飛び退くも、大振りに振るわれたその爪が右腕の僧帽筋を掠った。

「痛ってえな。食人鬼如きにダメージもらうなんて情けない。千鶴さんがいたらなんて言われるか。とは言ったものの、どうすっかな」


「ごめん! 被害者救出してて遅くなった!」

 真打ち登場。薫が慌てた様子で現れた。


「待ってました! 俺の攻撃が効かないんだ。悪いけど薫の瞳術で殺ってくれ」

「はいなー。見なさい! 食人鬼!」


 退魔師というのは残酷だ。どれだけ研鑽を重ね、屈強な肉体をつくろうと、非力な少女の異能一つに負けてしまう。


 薫の異能がまさにそれだった。彼女は身体的にはおよそ恵まれたものを持って生まれた訳ではない。むしろ、同年代の者と比べて、同じだけの研鑽を積んでも半分程度の成果しか得られなかった。にも関わらず、彼女が番付の上位に名を連ねるのにはひとえにその瞳術に理由があった。


 薫の瞳が金色に輝く。次の瞬間、空間ごと捻じ曲げるかのように食人鬼の身体がゴキゴキと音を立てて捻じ曲がっていく。そこにはどんな理屈も通じず、ただ結果だけがあった。


 恐ろしきはその異能だ。薫が名を呼び、その目を見つめると、対象は自らの意思に反してその身体を捻じ曲げていくのだ。しかも、薫と相対した時、見まいと思っても目が薫の目に吸い込まれるのだ。そして薫の瞳が金色に輝くと、次の刹那彼らは忘我の内に自らの身体を捻じ曲げてゆく。そうして後に残るのは醜く折り曲げられた死体である。


「……いつ見てもえげつない術だな」

「しょうがないじゃん。これが無かったら私退魔師出来てないし」

「否定はしてないよ。羨ましいとも思わないけどな」


「めんどくさいの。それにしてもこの程度の相手に傷を負うなんてらしくないじゃん」


「いや、なんか俺の攻撃が通用しなかった。依頼の仕方といい、裏で誰かがコソコソやってたんだと思う。でもま、もう終わったし帰るか。楽な依頼だっ――」

 た。恭弥がその言葉を言おうとした瞬間、廃工場の一部が轟音と共に崩落した。


「ケホケホっ! 何? どうしたの!」


 土煙が晴れ、ヌッと姿を表したのは全長一キロはくだらない長い身体に鱗の無い艶光りする肌を持った巨大な白蛇だった。横幅も恭弥の身長の倍はある。


 シュルシュルと先の裂けた白い舌を抜き差ししながら、ルビーのように赤い目で二人を睨んでいる。

「なんで……? どうしてこんな奴がここにいるの?」


「俺の目が節穴じゃなけりゃ水釈すいしゃくさまじゃねえか……! 何が悲しくてこんなところで神と会わねえとならねえんだよ! ボサっとすんな! 逃げるぞ!」


 水釈様。それは、蛇神が妖と成ったものである。元々人に仇なす存在ではなかったが、人が約束を破り、妻子を殺された事で恨みを募らせた雄蛇が蛇神としての地位を捨て、妖へと身を堕とした姿だった。


 元が神という事もあり、並の退魔師が束になっても返り討ちに遭うほどに強力な妖だ。とてもではないが恭弥と薫が二人で戦うような相手ではない。それに、薫の瞳術とは元が蛇という事もあり、軟体生物並に身体が柔らかいので、相性が最悪を通り越して効かないに等しい。この場において薫は完全な足手まといだ。


 身体能力の劣る薫に合わせている余裕などない。恭弥はなりふり構わず薫を肩に担ぐと、一目散にその場から逃げる。肩に担がれた薫は悪あがきとばかりに瞳術を使用するが、姿形が蛇の水釈様相手ではその歩みを遅らせるだけだった。


「ツイてねえ……ツイてねえよぉ! なんでこうなるんだ!」

「グダグダ言ってないで走って! 追いつかれるよ!」


「担がれてる身で生意気言うな! 重てえんだよお前!」

「……後でぶっ殺す」

「後があればな!」


 廃工場を抜け、敷地内を全力で走る。進入禁止のフェンスを蹴破って敷地外に出る。そこまで順調だったが、ここで最大最悪の障害が立ちはだかった。


「なんで止まるの!?」

「行き止まりだ……」


 いつまで経っても二人を捕らえられない事にしびれを切らしたらしい水釈様は、周囲三キロに渡って強力な結界を張り巡らせた。流石は水釈様、流石は元神だった。非力な人間如きが妖と対等に戦うために編み出した術などいつでも使用出来たのだ。


「覚悟決めろ。援軍が来るまで生き残るぞ」

「だ、だけど私こんなのと戦う準備してきてないよ」

「んなの俺だって同じだ。だけどやるしかない。こんなところでくたばるなんざごめんだ」


「……わかったよ。でもどうするの? 私の瞳術は効かないし、恭弥君頼りになっちゃうよ?」


「端からわかってる話だ。俺が前に出るから、薫は瞳術で援護しながら結界に穴を空けられないか試しててくれ」

「わかった。気を付けてね。見なさい、水釈様」


 水釈様の身体が捻れる。だが元々軟体生物並に柔らかい身体構造上、ウネウネとするだけでダメージはない。しかし確実に隙は生まれた。恭弥は刀を両手に生み出し駆けた。


 未だウネっている水釈様の首元まで霊力の箱で足場を作って飛び跳ねて行き、両手の刀の先端を喉元に突き刺す。そのまま重力に従って切り裂きながら落ちていく。だが、


「……まあ、そうなるよな」


 大した抵抗もなく切り裂かれた水釈様の身体はしかし、見る見る間に肉が盛り上がり、何もなかったかのように傷を修復させていた。

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