第三幕:戻るべきところ

第七節 忌まわしき人

第36話:共通の話題

「おい、どこへ行ったんだよ」


 またどうせ、歩道橋の上にでも居るのだろう。そうでないなら、近くの店の物陰に隠れているのだ。今日も日差しが強い。

 高を括って探したが、見つからなかった。

 これは本当に居ないらしいと、もう一度。交差点だけでなく、隣接する建物の屋上までも見に行った。


「どこにも居ないよ」


 調剤薬局の張り出した軒下は、石車のよく居た場所の一つだ。手分けをした青二と合流して、不在をたしかめ合う。


「どういうことさ。へ太郎は、ずっとここに居るはずだろ」

「ずっとじゃない。車の通りが少なくなれば離れるし、飲み屋が店を閉めたらねぐらへ帰る」


 その行動を監視していたわけでない。が、ずっとそうしていると誰からも聞かれた。今日は違うところに居た、という話は一度も聞いたことがない。

 石車という優等生が壊れてしまったあの日から、一度たりともだ。


「へ太郎は何でそんなこと――いや、探したほうがいいんだろ?」

「分からない。どうしてここに居るのかも、俺は知らないからな」


 あの男を青二が心配してやる理由などないはずだ。最初に会うと分かったときは、嫌がる空気さえあった。


「そんなこと関係ないだろ。腐れ縁でも何でも、石車さんは友達じゃないのかよ」


 ちょっと苛ついた風に、少年は問う。

 なるほど彼は自分のでなく、形無という保護者の価値観を気遣っているらしい。「あんな奴のことは知らん」と答えていれば、それで納得したに違いない。


「友達じゃあないな。むしろ反対で、どうして酒を与えてやってるのか、我ながらよく分からん」


 こんな話をしながらも、どこかの隙間からふらっと現れるのでないか。そうすれば高校生に責められる理由もなくなるのに。

 淡い期待は、あながち分の悪い賭けでないはずだ。あれほど人の迷惑を考えぬ、自分勝手な男は珍しい。

 しかしやはり、暑さを避けて歩くまばらな人々に、石車が混ざることはなかった。


「あのさ。形無さん、オレを預かるの迷惑に思ってたよね。たぶん今も」

「え、いや。そんなことは」


 急にどうしたのか。話の向きが変わりすぎて慌てた。危うく「その通り」と返すのだけは避けたが。


「嘘だね。別にそれを悪いって言ってるんじゃないよ、当たり前のことだよ。でもさ、あんたは何だかんだ、心配してくれた。船場に言われたからじゃなく。世間から、親の責任なんて寝ごとを言われることもないのに。何でさ」


 通行人の耳目を気にして、少年の声は抑え気味だ。けれども確信を持って言っている。それくらいは、短い付き合いでも分かるようになった。


「まあ、な。俺は一人で気楽に過ごしたいと思ってたから。お前のことは何でも何も、心配だったんだよ。いい大人が高校生を心配するのに、細かい理由なんかない」


 正直に答える。いい大人の口にすべき正解が到底分からず、そうするしかない。


「それが普通の大人なのかもね。でもオレの周りに、そんな大人は居なかった。だからオレは、あんたを手伝おうと思った。却って迷惑かもしれないけど、何かしたいと思った」


 どうも叱られた気分だったが、褒められているらしい。青二は形無という大人を、好いてくれているのだと。


「大人ってのは、自分の都合のいいときに。言うことを聞かせたいときだけ、オレを見るんだ。あんたは違う。オレが困ったときに、自分が困るのを忘れて世話してくれるお人好しなんだよ」

「そんないいもんじゃないんだが。だから石車にも、同じようにしろってのか?」


 いま言った通り。生活能力のない高校生を見捨てられるほど、人でなしにはなれない。だが石車は違う。


「何だか知らないけど、嫌う理由があるのは分かるよ。でもいいの? 唯一の話し相手が居なくなっても」

「唯一とは失礼だな」

「居ないだろ、学校の話が出来るのはさ」


 ――何だか知らないって、きっちり分かってるじゃないか。

 環のことを話すとすれば、石車には厭味か罵声しか浴びせられまい。だから墓参りに行けとしか、その名を出すことはなかった。

 しかし石車が居るからこそ、環のことをいつでも話せる。実際には話さなくとも。

 宝田では近すぎるのだ。知人、友人。同年代の想い出を話せるのは、他に居ない。


「へ太郎がここに居るのは、形無さんの為じゃないかって思うよ」

「俺の?」

「分かんないけどさ。だからオレが聞いてやるよ、ここで何やってんだって」


 おそれを知らない高校生。

 それは子どもだから。親に見放されて、投げやりだから。

 ――じゃ、ないな。


「分かった、俺も知りたい。石車を探そう」

「うん、どうする?」


 抱え続けたわだかまりが、スッキリとはしない。だがここで我を張って青二の口車に乗らなければ、もっとモヤモヤしてしまう気がした。


「そうは言っても、やっぱりフラフラしてるだけなのかもしれない。向こうの通りを見てみよう」


 アワワ商店街から、国道を挟んだ向こう。そちらにもいくらかの飲食店が並ぶ。その筋の裏手には、昨夜の青海楼もあった。

 歩道橋を越え、逃げた飼い犬でも探すように、二人共に声を出す。


「へ太郎居るかー」

「へタロー」


 店と店の間の路地なども見たが、さほど長くない通りだ。あっという間に、ちょうど真ん中の交差点まで来た。

 交わる道を見れば、目の前に青海楼が見える。夜には迫力のあった店構えも、昼間には神社仏閣に似て見えた。


「おい、青二」

「何、居たの?」

「違う、あそこ見ろ。いや、がっつり見るな。ちらっとだ」


 青海楼までの道には、違法駐車がまばらにある。その中の一台に、見覚えがあった。


「あの車、もしかして昨夜も居たのか?」

「赤い車? さあ見てないよそんなの」


 日焼けに塗装の剥げかけた、赤いワゴンR。盗み見る視界の端で、運転席のドアが開いた。

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