第10話:関心の熱量

 うどん屋か蕎麦屋でも良さそうな、紺の暖簾。捲って通ると、すぐに声がかかる。


「イらっしゃいマセェ。二人ですカ?」


 目の前の勘定場。カウンターに囲まれた中で、店員の女性はレジのチェックでもしていたらしい。張りのある声だが、独特の抑揚を持った。


 ――フィリピン人、かな。

 陽に焼けた肌と、はっきりした目鼻立ち。東南アジア系とは分かるが、一見して国籍までは分からない。

 年齢も判断しにくいが、二十代に見えた。


「うん二人。座敷席空いてる?」

「ゴ案内しまスネ」


 少なくとも働くのに必要な語彙は十分らしい。手元を慌ただしく片付け、並んだテーブルの間を足早に歩く。

 近隣のコンビニなどでも、外国人を見かける機会が増えたように思う。しかし先週この店に来たときは、一人も居なかった。


「ご注文決まリマシタら、ボタン押してクダサイ」


 店員はピョコッと慣れないおじぎをして、去っていく。要望通り個室の座敷席だが、襖を閉め忘れた。

 別にそのくらい、どうということもない。座ったまま手を伸ばして閉める。


「しゃぶしゃぶ屋?」

「そうだ。来たことないのか?」


 大手チェーンの食べ放題。うまくてたくさん食べられる店と考えると、ここしか思い浮かばなかった。


「ない。店で食べるの自体、初めて」

「へえ――このメニューの中から、どれでもいくら食べてもいい店だ。好きなだけ食え」

「分かった」


 高校生になるまで、ただの一度も外食をしたことがない。そんなことが、あるものだろうか。

 たしかに彼を預かることとなった原因は、借金と聞いた。だが一時的な話と思っていた。


「そういえばお前、いくつだっけ?」

「十八」


 すると高校三年生か、と。自分が同じ学年のとき、どんなだったか頭に浮かべようとした。


 ――いや。

 しかし駄目だ。そんなことをすれば、環と石車のことばかり思い出されてしまう。


「とりあえず何が食いたいか決まったか? 注文は何回でも出来るから、とりあえずでいいぞ」

「うーん。肉の名前と写真だけ見ても、何が違うんだか分かんないよ」

「ああ、そうか」


 来たことがないなら、自分の好みも分かるまい。悪いことを言ったと謝りたかったが、それは言わず呼び出しボタンを押した。

 すぐに襖が開いた。先ほどの女性ではなく、店長だ。


「おや、形無さんじゃないですか。月曜日にとは珍しい」

「お邪魔してます」

「今日はいつもの席じゃなくていいんですか?」


 よく洗ってありそうな、白い調理服と帽子。五十代の店長とは、この店が個人の居酒屋だったときからの馴染みだ。

 言うように形無は、座敷席でも最も奥ばかりを選んだ。そこは調理場の壁一枚を挟んだ隣で、目の前に男女兼用の便所。その隣には公衆電話が設置される。


「ええ、今日はいいんです」

「そうですか。替わりたくなったら言ってください」


 一人客でも座敷を断られないのは、店長との付き合いゆえ。指定するのが人気のない席、というせいもあるが。

 今どきの誰もが公衆電話など使わない。しかし不思議と、席で話せないような通話はそこで行われる。

 調理場はもちろん賑やかだし、ときに店員同士の雑談も聞こえる。


「それでご注文は?」


 食べ放題のコースを指定しようとして、ネーミングにためらった。が、たかがメニューの名前だ。


「ファミリーコースで。最初はこの、全部載せのやつを」


 青二の顔を盗み見ると、まだメニューの冊子とにらめっこをしていた。ほっと息を吐いて、適当にキムチなどを追加する。


「ねえ、ごはんも頼まないと来ないの?」

「そうだ。要るか?」

「欲しい」

「じゃあ中ライスも二つ」


 素早く端末が操作されて、注文の復唱も行われた。店長は「少々お待ちください」と、下がった。もちろん襖を音もなく閉めて。

 すると即座に、青二はメニューを置いて問う。


「さっきのは何だよ。何でへ太郎にあんなこと分かるのさ。それに、へ太郎と友だちなの?」

「友だち、じゃあないな」


 過去のこと。青二のこと。ついでに店員の女性のこと。あれこれ考えて悩ませた頭に、青二の素朴な反応が心地いい。

 具体的には、プッと噴き出してしまった。


「何で笑うんだよ」

「いや悪い。石車と俺が友だちって、あり得ないと思ってな」


 何から話せばいいかなと、口に出して考えた。裏の仕事の情報源の一つなどと言えるはずもない。


「あいつが毎日、ずっとあそこに居るのは知ってるだろ?」

「それは知ってる」

「あいつはバスとかトラックが好きなんだよ。タクシーはそうでもないけど」

「うん?」


 それは問いの答えになっているのか。青二の顔に書いてあったが、首をひねるだけで口には出さない。


「バスはさておき、トラックの運転手も飯を食う。昼飯は弁当とかパンだが、夜は一杯やりたくなる」

「うん、それで?」

「はかな市でトラックの停められる食い物屋は、この通り沿いにしかない」


 謎解きというほどでもないが、答えに辿り着く材料は出してやった。青二はぶつぶつと内容を繰り返して、整理する。


「トラックが通るたび挨拶してくれる変な奴に、お土産でも持っていこうって?」

「そういうことだ。トラックが好きだから仕事の話を教えてくれって、あいつはねだるのさ。馬鹿にされてもずっと笑ってるから、意外と気に入られる」


 先刻、形無たちと入れ違いになった二人連れも運送業者だ。着ていたシャツの胸に、社名も見えた。


「それで荷物の話も聞くのかぁ」

「運転手同士は、会社が違っても情報交換するからな。取り締まりとか、変な荷物の話とか」


 だからと部外者に、そこまで話すものか。きっと疑問はそんなところだ。

 石車も最初から、込み入った話をしていたわけではない。あの男は興味を覚えたものに、尋常でない執着・・・・・・・を見せる。一度大きな失敗をしてからは、何とか自制しているようだが。

 子どものような純粋な好奇心であれこれ聞かれれば、運転手たちも悪い気はすまい。


「変な荷物――そうだよ。密輸品なんて、普通の運送屋が運ぶの?」


 問いの終わらない少年が、ここにも居る。

 正直なところ、面倒ではある。話せないことだらけの中、辻褄を合わせて青二の好奇心も満足させてやらねば話が終わらない。

 話すのが嫌いではないが、慣れないことをすれば疲労を感じる。


 ――いや、違う。

 疲れるのは、青二と石車がダブって見えるからだ。

 やれやれ。と、一人ならば遠慮せずとも良いぼやきを、お冷やと共に飲み込んだ。

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