第26話 血塗られた幸せ 壱 

「何年前だったのか、正直思い出したくもねェんだけどな……。俺はここらへんからかなり離れた場所にある屋敷に住んでた。上級役人の娘だったんだよ……」

 椅子に座ったアイシャはゆっくりと話し始める。


 当時のアイシャまだ10歳ぐらいの少女だった。

「スー!」

 アイシャが着物を着た女に飛びつく、当時のアイシャより年上ではあったようだが、母親ではない。住み込みで屋敷で働いていた女中の一人だった。

「まだ父様は帰ってこないの?」

 このころのアイシャはまだ乱暴な言葉遣いをしておらず、甘え盛りだったようだ。

「まだ旦那様はお仕事です……。奥様はまた調子を悪くされておりまして……」

 女中のスーは掃除をしていた最中だったようで、飛びつかれて困惑していた。

「そっか……」

 アイシャがっくりと肩を落とす。

「でも、お話をしてくれますよ。私も楽しみです」

「だよね! スーも一緒に聞こ!」

 アイシャは飛び跳ねて喜びを表した。


「俺のオフクロは優しかったけど、病気がちでさ。オヤジは働き者の役人で、夜にしか帰ってこないしで、女中のスーが俺の母親代わりだった」

「いなくて辛かった?」

 京がおずおずと訊ねるとアイシャはフッと笑う。このころは楽しい思い出だったようだ。

「いや、オヤジも優しかったよ。都の土産とかたくさん持ってきてくれたり、休みの日には外国の話もよくしてくれたしな……」

「優しいご家族だったんだねェ……。まるで花のようではありませんか」

 話を聞いた街長が目を細める。絵に描いたような幸せな家族だったのは間違いないのは伝わってくる。

「それは……俺が遊び疲れて、布団で寝てた夜の事さ」

 俯きつつ口にするのは、その幸せが血塗られた日の事だ。


「ここは通さんぞ、ガラクタ共ッ!」

「……?」

 怒声に近い声が聴こえ、起きてしまったアイシャが眠い目を擦る。

 ――父様の声?

 いつもは優しくアイシャに話しかける父の声がその日は違っていたのだから。

「タンサノボウガイカクニン。ハイジョ、カイシ……!」

「があッ……」

 奇妙な声と共に父親の絶叫が響き渡る。

「……ッ! なに、これ……」

 むせ返るような臭いが充満している。

「なにこれ……」

 部屋を出ると、部屋は夥しい赤で染まっていた。それが血によるものだとわかるのに時間が掛かった。

「父様……?」

 父親が血を流して倒れているのを見つけ、声を掛けるが、優しげな声は返ってこず、撫でてもこない。

 

「俺はこの時初めて、人の死を知った。オヤジは戦いなんてした事ないのに、俺たちを庇って、ポンコツ共に一方的に殺された……」


 アイシャの話を聞いていた二人は言葉が出ない。

「……」

 特に京は戦役の当事者だったからかショックは大きい。アイシャはやはりという顔をした、この悲劇に京は全く関係はない。

 だが自分が原因だと未だに思っている。自分が師を支えなければとアイシャは思っていた。

「街長のばあちゃん。ババアにお茶を持ってきてやってほしいんだけど、いいか?」

「ええ、そうですねェ。わかりました、持ってまいりますよ」 

 アイシャに頼まれ街長がお茶を取りに台所に向かう。

「ごめん、師匠なのに。キツイのは話しているアイシャなのにさ」

「ババアだってそれは同じだろ。背負いこみ過ぎんなって」

 アイシャは師である京を気遣うのだった。

「ほんと、ごめんね……」 

 京の眼に涙が溢れてしまい、それを聞いたアイシャは――、


「ありがと、師匠せんせい……」


 京をババアではなくアイシャは師匠先生と呼んだ。思わず本音が出てしまったのだ。 

「……うん、そっちこそね」 

 いつもならからかうところだろうが、京はしなかった、いや、――できなかった。

「ふふ、お茶を持ってまいりましたよ」

 街長がお茶を持ってきた。京だけでなくアイシャの分もある。

「ちょっと一息付けようか」

「そうだな、えっと。ババアの言う通りだぜ」

 アイシャは照れ隠しかまたババアと呼んでしまったが、京はそれを咎めなかった。

「ほほ、やはりお二人は仲がよろしいですね」

 街長が一層皺を深くして笑った。

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