三 契約切れ
バーテンダーの佐枝はパブの掃除を終えて、支配人の三村珠樹宛の封書をカウンターに置いた。今日でパブ・ミムラを退職するのは兼ねての契約だった。
珠樹はこの界隈で知られた資産家の娘で、このパブ・ミムラの他に三店舗を経営している。
佐枝が珠樹と会ったのは五年前の五月初旬、初夏だった。四ッ谷荒木町のパブ・ミムラの前を歩いていた佐枝に、店にもどろうとしていた珠樹が何気なくあいさつし、それがきっかけで二人は話すようになり、佐枝がバーテンダーと知って珠樹は、
「ねえ、佐枝ちゃん。私の店で働いてね」
と頼んだ。佐枝も
「もうすぐ、働いている店の契約が切れるので、珠樹さんの店で働かせてください」
珠樹の申し出を受入れた。五年契約だった。
そして、昨日で契約の五年が過ぎ、今日は片づけのつもりで店に来たが、珠樹は契約のことなど忘れ、いつものように佐枝に、客の対応をさせていた。
これで最後なのだからと思い、佐枝は珠樹の指示に従い客の相手をしていた。
佐枝は店に隣接した自宅に帰った。ここは店を境にして珠樹の自宅と反対側にある、三村珠樹所有の建物だ。次のバーテンダーが見つかるまで、住んでいてもいいといわれているが、佐枝にその気は無かった。都内の暑さは苦手だ。故郷のような涼しい土地に住みたいと思った。
この住まいの家具や調理器具は全て備え付けだ。佐枝は衣類や身のまわりの物をスーツケースに詰め、バスルームに入った。
温めのシャワーを浴びると。身体から一日の汗と埃とタバコの匂いが流れ落ちていった。
佐枝はバスルームの鏡に映る佐枝自身を見つめた。ショートカットの小顔。大きな二重の目と可愛い口元が印象的だ。小さな肩に小ぶりの形良い胸。くびれた腰につづく少し大きめのヒップと長い脚。背丈もあり、見る人が見ればスプリンターの体型とわかる。
佐枝は頭と胸と下腹部に熱いシャワーを浴びせ、唇を噛みしめた。頬には笑みが浮び、目尻に涙がつたっている。
「贖わせた・・・。身をもって償わせた・・・」
佐枝の手が胸と下腹部へ伸びた。
佐枝の脳裡から、佐枝の胸と下腹部へ伸びていた一対の腕が消えていった・・・。
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