5 / ⅷ - 闇より出ずる漆黒 -
「失礼致します。お食事のご用意が整いました」
しどろもどろになる法経の返事の代わりに女性へ声を掛けたのは、襖の奥からのものだった。
どうぞと合図を確認した割烹着の従業員が深々と礼をして入室すると、その手に持つ盆に並べられた料理の数々を目にした女性の表情が花咲いた。
料亭の
海の幸、山の幸が並ぶ宝石箱に目を輝かせるその姿は、幼さの残る見た目相応な無垢な少女のものだった。
「ささ、食べちゃいましょう。私の愛しい人を長い間お外で立てせてるのも忍びないわ」
愛しい、という言葉に何か引っ掛かるものを感じたのか、眼鏡のブリッジを指で正す法経の表情を、残念ながら彼女は見逃していなかった。
彼女は細い指で身体をゆっくりなぞるようなゾクリとする声色を使い、少年に焦らす言葉を並べて
「ふふっ、私の
「その辺で十分だろう。彼はまだ青い」
彼女が自身の胸元、着物と素肌の境目に指を運んだところで、点糸が制止の言で法経を庇う。
まだこの場に座らせる器ではないと判断した点糸は、静かに嘆息した。
「禾生君。申し訳ないが、これから先の話はウチの党員になった後に改めて招待しよう」
「え? あ、はい。それでは本日は失礼します」
酒を煽った訳ではないが酔いに酔い痴れ、髄までも骨抜きにされた法経には最早正常に判断出来る思慮は残されていなかった。
点糸の言われるがままに部屋を後にした法経のただ唯一の幸いといえば、襖の奥で女性を待つ人物の素顔を知ろうとせずに帰路に着いたことだろうか。
「大事にされているのですね」
「あぁ、将来有望な未来ある若人だ。早々に潰してくれるな───女狐め」
法経の退出を確認した後、点糸がここで初めて感情を自重しなかった。
対する女性は素知らぬ顔で笑みを崩さず、どころか褒め言葉を受け取ったように目を大きく広げ丸くし、極め付けには自分の親指と中指、薬指を重ね狐に見立てて、
「微笑ましい少年でしたね。学生の身で点糸様のお仕えの任を給われるだなんて、さぞや優秀な方なのでしょう。私の近しい人に聞いたのですが、この国ではそんな殊勝な学生さんを『
暖簾に腕押しと結論付けたのか、点糸は女性への悪態を言葉にせず溜息に交えて口から出す。
彼女の近しい人とやらを問い質したところで、そう易々と尻尾が掴まる筈もないだろうと早々に思考から外し、改めて彼女がここにいる理由を探りながら法経の説明を続ける。
「禾生君を今すぐにでも迎え入れたいのは山々なんだが……少しばかり不幸な行き違いがあってしまってな、彼には一度大学部に進学して法律と経済を今一度深く理解してもらいたいとの判断に至ったのだよ」
「あら……それはそれは。何か数奇な間違いでも起こってしまったのでしょうか───例えば、あくまでほんの例えの一つですが、点糸様の可愛い可愛い側付きが事故に遭った、とか」
「……何が言いたい」
含みのあるようにわざとらしく強調して言った彼女の言葉を、その真意を詮索するよう慎重な声で返す。
真実を告げる彼女の笑みには最初から懇親の意は含まれていなかったが、言葉を重ねるごとに冷淡さを増しているようにも見える。
「人を呪わば穴二つ……
なんてことはない。
鎌瀬議員にとって女性達は取引相手であったが、同時に鎌瀬側を目的の対象とし取引をしている人がいただけの話である。
蜜を求めた蟻が進む先には、奈落の底で蟻地獄が待ち構えていただけの話なのだ。
「野党内の他派閥ではこんな動きはしないだろう、与党……いや光皆執政局長は直接動ける身ではない。となると同等の権限を持つ───添氏執政局総督代行か」
「さて、どうでしょう。我々とて顧客情報には秘匿義務がありますので、ご想像の通りに」
あくまではぐらかす彼女の言動にも慣れたのか、点糸はそれで、と話を進めるよう促す。
頬をいじらしく膨らませる女性は指先をクルクルと
「将を射んとする者は先ず馬を射よ、です。我々の目的は点糸様、貴方様とお話ができる席が欲しかったのですよ」
「私が、何か?」
そして女性は艶のある唇に指先をあて、ルージュから死の宣告を容赦無く放つ。
「第七整備場に墜落させた《
しっかりと開かれ点糸を見る目は決して笑ってなどいない。
「しっかりと清算させて頂きますわ」
刹那。
点糸の視界は変わらない。
彼の眼前には何も映っていない。
いや、一点変わっていたのは、襖が開かれていることだろうか。
けれどその奥には人の気配がない。
「何を───ッ!?」
そう。
ある前提で目の前の女性が話していた、存在すべき気配がなく、
そして───自身の
「改めましてごきげんよう、点糸様。私は【
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