351 悪魔と呼ばれた蟻
ひっそりとした天幕でチャーロとニムアは向かい合う。
がらんとした部屋はしかし、二人の女性のたくましさを打ち消しはしなかった。もしも敬虔なセイノス教徒が二人を見れば巨木が二つ根を張っているようだと形容したかもしれない。
「さて、人払いは済ませました。今後の展望を聞かせてもらっても構いませんか?」
「その前にニムア様。あの蟻には悪魔が憑りついていると考えますか?」
実のところこれこそがチャーロやアグルを最も苦しめているのだ。あの蟻には知能がある。しかし魔物には知能がないと聖典に書かれているので知能がないという前提のまま戦うしかない。
例えば砦を攻略するための梯子を運ぶ時もかなり苦しい言い訳をしながら運んだのだ。だがしかし、ここで言質をとればそんなまだるっこしい真似をしなくてもよくなるのだ。大司教からの言葉さえあればより効果的な準備と対策を練ることができる。
「……認めましょう。あれには悪魔が憑りついている。悪魔から与えられた知恵によってこの世を邪悪に陥れようとしているのでしょう」
ほう、と心の中でため息をつく。ひとまず最も大きな山は越えた。
これからどういう内容を話すかはすでにアグルとも話し合っている。
「私の予想ですが、あの蟻はすぐには攻めてこないでしょう。去年もそうでした。守って、守って、我々の弱みにつけこむ。そういう邪悪な魔物です」
「狡猾ですね」
「その通りです。だからこその提案ですが……銀の聖女様をお呼びいただくことはできませんか? あのような邪悪な魔物こそ、神の寵愛を一身に受けたあの御方の力が必要です」
ここでニムアが頷けば話はすぐに終わる。これからの策も必要ない。敗北の責をニムアが背負い、満を持して銀の聖女様がルファイ家の後押しを受けて出陣する。それで全て終わりだ。あの方に滅ぼせぬ悪などあろうはずもない。
しかしニムアは首を横に振る。
「聖女様の御身を穢すわけにはいきません。あの方はこの地上において王に等しき貴き御方。我々があの方の憂いを取り除かねばならないのです」
沈痛な表情で語るニムアに偽りはないと感じた。ニムアは大司教という立場ながら本気で銀の聖女を信じているのだ。だから我知らず疑問が口をついて出た。
「ニムア様は何故それほどまでに聖女様を信じていらっしゃるのですか?」
「無論あの銀色の<光剣>です。あれほど神々しいものを見たことがありません。あなたもそうでしょう?」
「はい。あの光を言葉で表すことなどできないでしょう」
神秘の煌きこそその心の清らかさと気高さを表すのだと聖典に書かれている。あれこそまさに救いをもたらす光。
だからこそチャーロの心にとげが刺さる。
自分たちはまるで聖女様の御力を利用しているのではないかと。これがトゥッチェの為になるという確信はある。この世に救いをもたらすための一助になるとも思っている。
しかし――――存在そのものが奇跡とも呼べるあの聖女様に胸を張れるのだろうかという疑問が湧いてくる。
だがしかし、その疑問を振り払う。最後になればきっとわかる。これは正しい行いなのだと。
「聖女様の御力に頼らないのであれば、私に策があります」
ティウと会話し、これからの方針をはっきりさせてから数日。
敵側は攻撃を続け、こちら側が守るという図式は一切変わっていなかった。ただし疲れのせいなのか、敵の攻撃がやや緩くなっていた。どうやら補給が滞ったので食料の配給制限が始まり、満足に活動できなくなってしまったらしい。食い物は力の源なのにな。
守りやすくなったけど……逆にほどほどに負けるというのが 難しくなってしまった。あまりにもあっさり負けてしまうと怪しまれるし、そもそも籠城戦は負け=城の陥落だ。七海がせっかく作ってくれた砦を奪われるのは腹がたつ。
というわけで適当な頃合いを見計らって城から出撃。で、わざと負けるというプランをたてていた。そのプランの見直しが迫られた理由は二つ。
一つは敵が砦から距離をとったため。
もう一つはこの高原ではなく教都チャンガンである噂が流れたため。つまり、騎士団を救うため銀の聖女が極秘裏に高原へ向かったという噂だ。
「つまりただの噂なんだな? 銀髪が移動した痕跡はないのか?」
「コッコー」
和香からの報告を受け取る。本当にただの噂だ。だがしかし銀髪の所在がわからないのも事実。火のない所に煙は立たないともいう。例えば銀髪が出撃しやすいように噂を自分から流したということもあり得る。
ただしここに騎士団の動向を合わせるとこうも考えられる。騎士団が離れたのは銀髪と合流するため、という推測もできる。銀髪からしてみればニムアからお願いされて出撃し、貸しを作れば十分な戦果だろう。
そして厄介なことに……。
「大型の駕籠が高原に向かってるんだよなあ」
「コッコー。乗員は不明ですが明らかに外装が普通ではありません」
ヒトモドキたちの貴人は移動に人力で走る駕籠を用いる。いかにもここにはお偉いさんが乗っていますよと全力で主張している駕籠がそれなりの速度でこちらに向かっているらしい。
隠密行動のはずならもっと小さな駕籠を使うかもしれないけど……あいつらはまだカッコウの偵察能力を知らない。隠れたり忍んだりする気づかいをするだろうか?
もしもそうだとするなら騎士団と銀髪が合流する最悪の事態になる。それなら今のうちに騎士団を叩き潰した方がよい。ただし食料がなくなったから撤退の準備を始めたという可能性もある。どうしたもんかなあ。
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