117 空腹グラフィティ
前回のラーテル戦の反省は何か。巣に固執してしまったことだ。
さっさと戦わずに逃げればあんなことにはならなかった。もちろん追ってくる可能性を捨てきれなかったから戦ったのも事実だけど、三十六計逃げるに如かずだ。
でももっといいのはそもそも見つからないこと。そうすれば何もする必要はない。実は作戦はすでに始まっている。さっきの殿たちは巣にまっすぐ帰らせずに見当違いの方向に進ませていた。
さらに足跡なんかもわけのわからない方向につけて混乱させる。上手くいけば何もない場所を延々と探すだろう。さらに念のためにオレはこんなこともあろうかと作っておいた新しい巣に避難する。テゴ村から収穫した作物、重要な発明、あとオレの妹弟の死体とかその他の重要なものも持っていく。
これで少なくともオレが死ぬことはない。後は誰が残るかだけど……。
「妾は残るぞ」
「私も残ったほうがいいかなー」
「前へ進むことは決まっている。すでに」
「wwにはwwしない」
小春はともかく千尋には避難してもらいたかったな。今の蜘蛛には千尋以外に指揮を執れる奴がいない。蟻の幹部候補は何人かいるけど蟻以外の幹部になれる奴は一人しかいない。こんな土壇場になってからそれに気づく当たりやっぱ思考力が足りんな。
「風子は残る。誠也は避難……でいいんだよな?」
「進もうか」
「ww」
やっぱりこいつらの話し方はよくわからん。ま、いざとなれば全員で逃げればいいか。農作物とか色々あるからなるべく残るつもりだけどな。
「紫水。それはそうと逃げているばかりではいつまでたっても奴らは退かんのではないか?」
千尋からある意味当然の疑問が投げかけられた。こいつのいい所は疑問に思ったことをちゃんと質問することだな。好奇心と向上心があるということ。きっとそれは素晴らしい素質だ。
こいつならちゃんと孫さんの兵法の一つ、戦わずして勝つ、が理解できるはずだ。
「いや。ヒトモドキの組織力にもよるけど、長期戦に持ち込めば間違いなくこっちの勝ちだ。何しろあの村には大した食料の備蓄はない」
テゴ村の占領中に確認したけど、あの村の保存食などはかなり少ない。台風のせいで一部の作物が採れなかったりしたせいで、保存食を食べざるを得なかったのかもしれない。とどめにトカゲだ。ここまでくれば占領中に大体食べつくしてしまったはずだ。
田んぼの米はまだ収穫できない。渋リンみたいに年中収穫できるんじゃなくて、一度に大量に収穫できる魔物のようだから食料を増やす方法がない。
そこでせいぜい数日分の食料くらいしか用意していない兵隊がやってくればどうなるか。
「あいつらはそのうち食い物がなくなって自滅する。それまで粘ればいい」
「でも他の場所から食料が運ばれたらどうするの」
小春の厳しい指摘。補給線を整えるだけの頭と後方人員がいればこの策は水泡に帰す。
「そん時は逃げた方がいいかもな。そのためにも主だった道には見張りをつけておこう。できればオレたちの情報を持っていかれたくないからテゴ村に来る奴は放置してもいいけど、外に出る奴はなるべく殺そう。納得できたか?」
もちろんできれば全滅させた方がいいけど損害の方が大きければ逃げるのが良い戦術だ。今のところ兵隊の数は向こうの方が多い。相手が弱るまではしばらく嫌がらせに徹する。
「うむ」
「はーい」
意思統一とホウレンソウができている組織は健全な組織。それが例えワンマンでも命の危機が山もりでも決してブラックではない。
お? 道を見張ってる蟻から早速連絡がきたぞ?
「紫水。百人くらいのヒトモドキが来たよ。格好は普通の村人みたい」
まじで? やっぱり他の村から徴兵してたのか。ただの野武士の集団にしか見えないけどアレが騎士団なんだよな。多分村人を傭兵みたいな一兵卒にして聖職者を指揮官に置く方式なんだろう。
どこぞの雷光がいたカルタゴの軍隊とかはそんな感じの軍隊だったらしい。騎士団のトップが聖職者になるのが宗教国家であるゆえんだな。傭兵や徴発した農民は士気が低いらしいけどその辺はどうしてるのかな。
にしてももう五百人以上のヒトモドキがいるのか。きっと補給担当は今ごろ頭を抱えているだろうな。これからどんどん頭を悩ませてもらわないとな。
騎士団の副団長に任命され、食料や物資の管理を一任されたアグルは思わず呻いてた。理由は単純明快。食料があまりにも足りなかったからだ。
「何故この村には食料がこれだけしかない? 蟻どもが奪ったのか?」
「いえ、奴らは神の恩寵より賜りし我らの食物には手をつけなかったようです。神の威光に恐れ慄いたのでしょう」
アグルと会話しているのは修道士でテゴ村の村長の右腕に当たる女性だった。途中から中身のなくなった返答を聞き流し、そのまま質問を続ける。
「では何故。食料がない?」
その疑問に、むしろきょとんとした顔をする。
「何を言うのですか? アグル様が買い取ったからではないですか」
「…………」
アグルは前年壊滅した村を立て直すために冬でも活動できるだけの食料などを近隣の村から買い漁った。
当然ながらそこにはテゴ村も含まれる。当然と言われれば当然の事実だが失念していた。
「ではその金で食料を買えばよいはずだ」
アグルが食料を購入する際には明らかに足元を見られた値段だった。事情が事情なので文句は言えなかったが……。
「村長は銀の聖女様とあなたが熊を討伐した資金を使って記念碑や像などを作ろうとしていたようです。我らもそのためなら多少の節制は喜んで行いましょう」
そう語る女性はむしろ誇らしそうだが、アグルとしては大いに疑問だ。
実は今年の食料の相場は例年よりも高い。一つはリブスティによって食料が王都に集中したためだ。そしてもう一つは嵐のせいだ。
不作の見通しが強くなるにつれ、米をはじめとする穀物の値段がさらに跳ね上がっていった。その値段はアグルが買い取った値段よりも高かったかもしれない
何ということはない。村長は渋ったのだ。
一度得た大金を手放すのは難しい。しかもそれがかつて売ったものを高値で買い戻すためならば躊躇ってしまうのも無理はないだろう。
ただそれが許されるのはただの村人だったならば。長たる者なら多少の損をしてでも自分の村民を守るべきだと思うのだが。
(チッ、これでは短期決戦を狙うしかないな。長引けばこちらが不利になる。あの女はそのことを理解して……)
「アグル様!」
「どうした」
猛烈に感じる嫌な予感を振り払おうとしつつ、問い返す。
「お喜びください! また増援が到着しました! これもティマチ様と騎士団、ひいては教皇様の威光でしょう!」
どこを喜べというのだ! 危うくそう怒鳴りつけそうになったが必死で自制する。この状況で人数が増えても足かせが増えるだけだが、それを理解している人間がこの場にいるとも思えない。
「そうか。私が会いに行こう」
早足で歩きながら今後の策を必死で練る。
(くそ、何にせよ食料が足りん。このままでは三日持たん。何とかして食料を確保しなければ。収穫できる時期ではないが米を刈り取るしかない。それでもこのままではただの無駄死――――)
不意に、アグルの脳裏を途轍もなく冷酷な思考がよぎり、慄然とする。
(まさか、そうなのか?)
考えついたアグルでさえ寒気がするその思考を否定する根拠はどこにもなかった。
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