第214話 砂丘沖の砲煙、再び その2

 ◇ ◇ ◇


 ゴッズ・リース号の艦橋は船尾戦闘楼甲板の前方にあった。赤毛のゲーリックは前方を睨み、砲列甲板を見下ろすような姿で柵を掴んで立っていた。その後ろに航海長が立ち、操船指示の大半は彼が赤毛のゲーリックの意を受ける形で指示をしていた。

 ゴッズ・リース号は砂丘伝いに南西に進んでいた。船体が大きいので、平底船と言いながら喫水はロングシップより随分深い。艦は配下のロングシップを従え、砂丘地帯の沖合を進んでいた。


「もう直ぐ拠点ですが、やはり味方の船が見えませんね」


 赤毛のゲーリックは側近の声を聞きながら、黙って前方の砂浜を凝視していた。

 最初の拠点が見えて来たが船影も人影も無かった。本当であれば、先行して集結しているロングシップの船影が幾つか見えても良いはずだ。予定通りであれば50隻を越えるロングシップが集結して隠れているはずだ。拠点からの新しい報告は入っていなかった。

 更に2つ目の拠点の桟橋が見えて来たが人影は無い。後はオルランド側に近い一番大きな拠点を残すのみだ。


「砂浜の奥の草地に人影があるぞ。こっちに手を振っている」

「おお、あれは味方の氏族の斥候だぞ。船はどうした?」


 配下の騒ぐ声に赤毛のゲーリックが目を向けると、奥の草地をこちらと並行して走っている男が小さく見えた。何かを伝えたいのか、大きく手を振って叫んでいるが、距離が遠くて分からない。


「族長、船を停めて話を聞きますか?」


 恐る恐る聞いて来る者が居るが、赤毛のゲーリックは煩そうに黙って手を振った。嫌な予感がして気が急いでいた。


「拠点に急げ。直ぐに追いついて来るだろう」


 おかしい。赤毛のゲーリックの拠点は砂丘地帯に3ヶ所あった。既に2ヶ所の拠点の桟橋を越え、一番大きな拠点の桟橋が見えて来ていた。しかし、桟橋に係留されているはずのロングシップも、迎えに出ようとする氏族の配下も見えない。ゴッズ・リース号の短艇を送るか、連れて来たロングシップを見に行かせるしかないだろう。さっきから走って付いて来ている男に話を聞けば、何か分かるのかも知れない。


「物陰に隠れている一団が見えます。こちらが味方か分からず、隠れているのかも知れません」


 確かに新造戦艦であるゴッズ・リース号はまだ味方へも正式にお披露目をしていない。敵味方に分からないように秘密裡に大砲の艤装を行って来たのだ。こちらを味方と判断できずに隠れている事は有り得る。だが、まったくロングシップが見えないと言うのはおかしい。


「船を停めろ。ロングシップの1隻に様子を見に行かせろ。走って付いて来た男の話も聞いて来い」

「族長命令、船足を止めろ、ロングシップに声を掛けるんだ」


 赤毛のゲーリックの命令に航海長が配下に指示を出した。

 その時、マストの見張り台から声が上がった。


「マストの見張り台から報告、前方に船影。3本マストの外洋帆船です」

「族長、望遠鏡をどうぞ」


 赤毛のゲーリックが渡された望遠鏡で前方を見ると、三角帆(ラテンセール)の3本マストの外洋帆船が進んで来るのが見えた。見ていると更にその先に他の船影も見える。マルクスハーフェンで見た、エスパニアム王国の私掠船サン・アリアテ号と同じ船種だ。

 赤毛のゲーリックにはそれがティグリス号とカプラ号である事が直ぐに分かった。見ていると更にその奥に大型帆船の姿があった。大きく翼を広げた白鳥のような優美な姿だった。ドラゴナヴィス号だ。それは話に聞いていた通りの美しい船だった。砂丘に沿って南西に進んで来たゴッズ・リース号と交差するように進んで来る。


「再度船足をつけろ。総員戦闘準備。リード少佐を呼んで来い」

「族長命令だ、総員戦闘準備! リード少佐を連れて来い」


 赤毛のゲーリックの命令に鐘が鳴らされ、氏族の戦士が配置について武器を手に取った。砲列甲板では慣れない大砲に取り付くデルケン人の姿があった。野卑な声を仲間たちと交わして騒いでいる。

 そんな中、砲列甲板から呼ばれて一人の見すぼらしい士官が艦橋に上がって来るのが見えた。

 その男は薄汚れた海軍士官服を着た長身の男だった。40代の半ばだろうか。茶褐色の短髪に薄く無精髭を生やし、目は落ち窪み、疲れていた。反抗する意思を失った目が視線を逸らし、前に立つ赤毛のゲーリックの強い目を正面から見ることが出来なかった。良く見るとその男が着ているのはデーン王国海軍の軍服だった。


「リード少佐、お前の力の見せ所だ。分っていると思うが失敗は許されない。お前が訓練した大砲で敵を殲滅する事を期待している」

「はい、族長。私が言った通りに皆さんが動いてくれれば同等に戦う事が、、、思います」


 戦いの前の弱気な姿に、赤毛のゲーリックが強い目で睨みつけると、リード少佐と呼ばれた男の言葉は尻すぼんで弱々しく終わった。


「お前が捕虜の身でありながら、砲撃士官として志願してくれた時は嬉しかった。今こそその時の勇気を示して欲しい。勝たねばならん。こちらは56門で敵は22門だ。圧倒的に勝つのだ」

「はい、族長。ですが、何回もご説明した通り、こちらは陸砲を改造したものです。砲身も長く、装填にも時間が掛かります。重量も重たくて回転数が上げ難いと思われます。ですから、、、、」


 リード少尉は思い出していた。捕まった仲間たちと一緒に広場に並ばされ、砲撃士官と技術者は名乗り出ろと言われた時の事を。裏切る事を拒んだ者たちは順番に首を切られて行った。副長だったリード少佐は名乗り出なければ仲間が一人残らず殺されるのだと分かった。苦渋の選択だったが、自分が名乗り出なければ全員が殺されていただろう。


「わしは泣き言を聞きたくてお前を呼んだのではない。こっちは56門で相手は22門だ。負ける理由が分からんだろうが」

「わ、分っておりますが、、、が、頑張り、、、」

「はは、頑張るのではない。勝つのだ。分っていると思うが、お前の仲間たちも暗い船倉ふなぐらでお前の活躍を期待しているだろう。お前の指導が悪くて撃ち負けるような事があれば、な?」


「は、はい。ですから、、、、」

「よい、よい、分って居ればいい。戦いを終えてから美味い酒を飲ませてやる」


 赤毛のゲーリックは手を振ってリード少佐を下がらせると、砲列甲板へ向き直った。自分を見上げる配下に向かって拳を上げ、叫び声を上げた。


「戦士たちよ! 戦いだ!」


 怒号の様な歓声が上がった。丸盾を打ち鳴らし、戦斧を上げて歓声を上げる戦士たちを見て、赤毛のゲーリックは愉快そうに笑った。戦いの時間だ。


◇ ◇ ◇


 やはり砲撃はゴッズ・リース号が先だった。艦首戦闘楼の大砲が火を噴いた。黒々とした砲煙が海上を流れて行く。遅れて砲声が響いて来た。まだ距離は500m以上離れている。アダムには着弾点が分からなかった。


「艦を2点北へ向けろ。そのまま交差して右舷で斉射する。砲列甲板砲撃用意」

「進路2点変更、良し」


 マロリー大佐の指示に伝声管を通じて操舵室から応答が返って来る。北東方向に進んで来たドラゴナヴィス号は、艦首の向きを更に約23度北に向け、ゴッズ・リース号とすれ違い様に斉射を狙う。

 追い風のドラゴナヴィス号の速度は時速約12km、逆風のゴッズ・リース号は約4kmだった。彼我の距離は約100秒で交差する。ゴッズ・リース号が対抗して艦の向きを変え、長く砲撃しようとするかどうかで、両艦が敵を斉射できる時間が決まってくる。

 エクス少佐とマロリー大佐は望遠鏡を覗きながらゴッズ・リース号の動きを追っていた。


「さあ、相手はどう出ますかね」

「どうだろう、予想が付かない。こっちも今は徹底的に撃ち合いたいとは考えていないが、赤毛のゲーリックは我慢できるかな」


 海岸線に沿って南西に進んで来るゴッズ・リース号が、長く撃ち合おうとすれば船の向きを北に向け左舷で応戦しようとするだろう。艦尾方向から回り込んで来るティグリス号、カプラ号には右舷砲列で応戦する事が出来る。但し長引けば自然と沖合に進む形になるので、ロングシップとの連携は難しい。

 しかし逆に右舷側でドラゴナビス号に応戦しようとすれば、回り込んで来るティグリス号とカプラ号にまともに艦尾を向ける事になるので、対応策としては悪手となる。

 むしろ消極的に撃ち合いを避けるならば、そのまま速度を保ち直進する方が良い。ティグリス号とカプラ号に艦尾を晒す事になるが、ロングシップがいるので2艦としても長追いは出来ない。


「トップマストの見張り台から報告、ゴッズ・リース号が船足を押え、速度を落としています」

「おお、向きを変えます。停まって、こちらと左舷砲列で撃ち合うつもりです」


 赤毛のゲーリックはこちらが考えていた以上に好戦的だ。船の速度を落とすと撃ち合う時間は長くなるが、砲撃で帆や索具がやられると身動きが取れなくなり、動きの速い敵には不利になり易い。デーン王国仕込みのドラゴナヴィス号と砲撃を競う自信があるのか、ロングシップとの連携を取り易いように、こちらを停めておきたいのかも知れない。

 アダムにはゴッズ・リース号がみるみる近づいて来るのが見えたのだった。

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