第200話 マルクスハーフェンの港で その2
黒衣の老人が見上げていた新造艦ゴッズ・リース号の艦長室では、3人の人間が会話をしていた。
「これは、赤毛のゲーリック様。お目に掛かれて光栄ですわ」
「いや、こちらこそ、今回の協力に感謝しているぞ、アガタ殿」
この部屋の主は老年のドワーフと見紛うばかりに濃い髭交じりのどっしりとした偉丈夫だった。違いはその大きさ、スケール感だ。もしかすると神の眷族だった「巨人族」の血を引いているのかも知れない。
その向かいに座っているのは反対にエルフ族のように小柄な女性だった。豪奢な衣装に身を包み、顔は赤いベールで隠している。
「そうです、私が間に入り、雇用主にご紹介した甲斐があったという物です。これでゴッズ・リース号もドラゴナヴィス号に匹敵する22門艦になった訳で、これからの戦いが楽しみですね」
雇い主の前では不遜な態度を見せず、ギーベルは穏やかに笑って言った。
「あら? 私が融通したのは42門だったはずでは?」
「えっ、42門なのですか?」
驚くギーベルを見て赤毛のゲーリックが悪戯がばれた子供のように笑った。
「ふふ、敵を欺くには味方からと言うだろう、ギーベル。お前がミゲル・ドラコ船長に話す時には知らぬ方が良いと思ったのだ」
ギーベルからミゲル・ドルコ船長に情報が流れる事を予定して少なめに言っていたらしい。それはミゲル・ドルコ船長を信用していないという事だろう。確かに私掠船(海賊)の船長なんて信用できるはずが無い。相手は向く方向によって顔を変える、カメレオンのような男だと赤毛のゲーリックは考えていた。状況によって敵になるかも知れない、いや味方では無い以上、敵と同じなのだから。
「オクト岩礁で使おうと考えていた拠点防衛用の大砲だったが、それも新造艦に流用したのさ。スペース的には十分置けそうだったからな」
「なるほど、、、ミゲル・ドルコ船長には決戦で会うまでは知らせないと言う訳ですね、、、」
自分が騙されていたと考えるより、そう考えた方が飲み込み易いのだろう。赤いベール越しに第三者のアガタは皮肉な眼でギーベルを見ていた。赤毛のゲーリックはそんな様子に頓着せず、そのままの調子で話し続けた。
「そうだ。彼奴などはその場の情勢で顔を変えるカメレオンだ。ドラゴナヴィス号と同じ22門だと思えば、自分のサン・アリアテ号の大砲と合わせればこちらを上回り、キャスティングボードは自分が握っていると考えるだろう。さもしい海賊根性だな。でも、その場で蓋を開けて見てこちらが多いと分かれば驚くし、味方はせずとも牙を剝いて来る事は無いだろう。さだめしコヨーテか狼の類さ、彼奴はな」
「そうですわね。私も拝見した事はありませんが、エンドラシル海でも悪名は高いですわね。それに彼が仕えるエスパニアム王国の第一皇子は、自分を『航海王』と自称する自惚れ屋ですからね」
エスパニアム王国は長い間、エンドラシル海を挟んだカリフト大陸北部の蛮族の侵攻に苦しんで来た。それをエンドラシル帝国が攻め滅ぼしたお陰で、新大陸へ向かう力が温存出来たのだ。強大なエンドラシル帝国に正面から向かう事が出来ず、博打のように、たまたま他へ伸ばした手が新大陸という宝物に届いてしまった。あたかもそれを自分の英断の様に言い立てる第一皇子を見て、アガタは自惚れ屋だと言うのだった。
「ほう、『航海王』か。神話の時代から大海を渡って来た、ウトランドのデルケン人こそが相応しい名前では無いか、それは」
「ほほ、本当ですわ。わたくしも北海に勇名を轟かす、赤毛のゲーリック様にこそ相応しい呼び名だと思いますわ」
アガタは口元を扇子で隠しながら、ここにも田舎者の自惚れ屋がいたのだと笑ったのだった。
「そうです。だから私が雇用主の為に『水龍の末裔』を手に入れようと苦労した訳ですよ」
「まあ、そんな事もやっておいでだったのですか、あなたは」
アガタが驚いて歓声を上げて見せると、赤毛のゲーリックは知らぬ顔で横を向き、ギーベルがさも良い思い付きでしょうと言わぬばかりの自慢顔を向けて来た。
「アガタ様は北海を抜けて北極海へ進む手前に、大きな海溝がある事をご存じですか? 神聖ラウム帝国の建国神話によると、そこにはかつて『水龍の棲み処』と呼ばれ、神の眷族である水龍が生活する海域があったそうです」
ギーベルの話によると、人間嫌いだった水龍は聖域として人の侵入を禁じていた。ある時、ポンメルン家の軍艦が嵐の中を誤ってその海域に入ってしまった。船を沈めようと現れた水龍に向かって、一人の怜悧な少女が艦首に立って話掛けた。『人間は弱いが恐れを知らず、知恵を磨き、いずれは神域をも犯す生き物だが、それこそが神が創った人間の本質なのだ』と説いたのだった。
話しを聞いた水龍がその少女を見ると、少女は金髪碧眼で肌の色は抜ける様に白い。見目麗しく、怜悧な瞳が輝いていた。水龍はその少女をいたく気に入り、『我の手許に来て仕えよ』と言った。少女は笑って、『私はポンメルン家の娘、召使ではありませんよ』と断った。ますます気に入った水龍は、『それならば我の妻となり仕えよ、我もお前に夫として仕えよう』と求婚したと言う。
少女が快諾すると水龍はそれを歓び、ポンメルン家の軍艦には水龍の加護を与えると約し、深く海の底を拡げて海溝を創り、新たな自分の棲み処にすると、少女を連れて消えて行った。それ以来、その海溝を『水龍の棲み処』と呼び、ポンメルン家の女系子孫を『水龍の末裔』と呼ぶようになったと言う話だった。
アガタはその話に笑ってしまった。『押さば押せ、引かば引け』、単純な恋の手管に掛かってしまった水龍は、単に
「いや、その話は冗談ではないのだ、アガタ殿。我が一族の始祖である巨人族は水龍と犬猿の仲で、神話時代には争いが絶えなかった。それが元でウトランドからバルトール海一帯は争い跡が海岸線を刻み、フィヨルドとなって残ったのだと言い伝えられている」
アガタの呆れた目に見詰められ、赤毛のゲーリックは幼女趣味は無いぞと断ったが、それでは巨人族時代の意趣返しに、ポンメルン家の幼女を奪おうとしたようにも聞こえる。アガタは本気なのかと赤毛のゲーリックを見たのだった。
「それより、話を大砲に戻しましょう。私がお渡しした大砲はあくまで陸砲で、そのままでは艦砲には向きませんよ。老婆心ながらご注意しておきますが」
「はは、分っておるよ。わしの部下もそれで苦労をしておるからな」
分かっていてどうするのだろうかと、アガタが不信そうに赤毛のゲーリックを見ると、代わりにギーベルが答えてくれた。
「デーン王国の軍船と戦って、負けているばかりでは無いのですよ、アガタ殿。確かに3本マストの外洋帆船と大砲が海上軍事を変えようとしているが、万能では無いのです。現にエンドラシル帝国の海軍はガレー船が中心ではありませんか」
「万能で無い事は分かっているわ。エンドラシル海は風向が一定せず、日中には風が止まる凪の時間もある。それでも北海は偏西風が途切れること無く吹き続け、外洋は波も荒い。3本マストの推進力と大砲の威力にはますます勝てなくなるでしょう」
アガタの言葉に赤毛のゲーリックも大きく頷いた。
「その通りだ。残念ながらロングシップの時代は終わろうとしている。我々も新しい技術を受け入れ、変って行く他ないのだ。だが、今はそう言っても簡単に3層艦が造れる訳ではない。オルランドと言う拠点が獲れれば、それを守って新しい時代に備えて時間を稼ぐつもりだ」
一族の在り方は簡単には変わらない、ウトランドを離れ新しい都市と文化を手に入れたいと赤毛のゲーリックは考えているようだ。
「それには、分からないなら知っている奴を捕まえれば良い。デーン王国の軍艦を捕まえるのには苦労した。捕まるくらいなら船を沈めるか自爆する船長ばかりだったからな。戦闘に勝利しても、大半の軍艦と大砲は海に沈んでしまった。だが、人はたくさん捕まえたよ」
「それでも国家機密は話さないでしょう」
アガタが言うと、赤毛のゲーリックは大きく笑った。
「はは、そうだな。でも、それならどうすれば良いかは良く知っている」
赤毛のゲーリックは捕まえた捕虜を拠点の広場に並べ、順に首を切って見せた。死にたくなければ情報を話せと説得したのだと言う。
「説得ですって? まあ何と乱暴な説得ですこと」
「はは、確かにな。それを説得と呼ぶかは別にして絶大な効果はあったぞ」
砲撃士官と技術者の捕虜を無事確保できたと言う。今はその捕虜を説得(?)して働させ、艦砲として使えるよう土台の改造を急がせている。後はゴッズ・リース号を集合場所である拠点に運び、軍艦としての艤装を仕上げるばかりだと言った。まったく同じとは行かないが、戦えるようにはするつもりだと答えた。
「わしらには国際条約にある捕虜条項も、拷問を禁じる法律も無い。わしらはさっさと襲うが、文明に毒された奴らは、わざわざ敵対旗を上げて知らせてくれる。そんな物は文明と言う名の下に、自分たちに都合の良いルールを押し付けて来る奴らの話だ。文明という妄想に縛られてはお終いなのだ」
赤毛のゲーリックは一族に技術と文化を取り入れても、文明と言う妄想には捕らわれないと笑うのだった。
「我々の根本は変わらないし、変れない。我々は自給自足の農耕民族であり、不足する物は全て奪って来た。一族は自由であり平等で有志的だ。商人が望むような莫大な冨も王侯貴族のような地位も名誉も必要ない。我々は自由に食らい奪うのだ」
アガタは赤毛のゲーリックの眼に、狂気とは違う確信に満ちた暴力と野生への渇望を感じて身を震わせたのだった。
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