第158話 サンフェル村の森 その2

 森の中を進んで行くと、暫くして森の番小屋が見えて来た。村人が言ったように、番小屋は壊れかけて扉や壁にも割れが目立ち、きっと屋根にも穴が開いているだろう。急な一夜を過ごすには良いだろうが、とても住居として住んでは居れないだろう。

 正面の入口の脇に騎馬がまとめて繋がれている。

 見張りがいる事を想定して、アダムたちは道を外れ草むらに入り、立木を盾にして姿が見えない様に気を付けながら、迂回して近づいて行く。遠目に窓が見えるところまで来るが、時間が早いので外からは室内は暗くて見通せない。


「これ以上近づくのは危険だな。ビクトールを残して、俺らは少し下がろう」


 相手の様子が分からないところで姿をさらす危険は冒せない。冷静で注意深いビクトールを見張りに残して、アダムたちは少し後ろの林に下がった。姿勢を低くして状況を確認する。


「アン、意識を拡げて気配を確認してくれ。俺はゲールの準備をする」

「分かったわ、アダム」


 アンが視線を落として意識を集中し始めた。習慣で『月の雫』の黄色い魔石を左手で握り込むが、風の盾を出すわけではない。アンが意識を集中する時は、もしもに備えて『月の雫』の魔石を先に握り込んでおくのだ。これは、5年前の闇の司祭との戦いで、タニアに不意を突かれて先に魔石を握り込まれて窮地に陥ったことへの反省がある。

 アンは自身の魔力を薄く前方に拡げるように、周りの気配を探って行く。月の女神の力は共感力だ。アンが魔法の訓練を続けて行く内に、自身の意識を拡げて行くと、周りにある物の魔素の気配が認識できるようになった。この世界は全ての物に魔素が含まれている。アンの意識にはそれらが少しづつ識別できるようになって来ていた。


「アダム、小屋の中には人が5人いるわ。怯えた感じの子供の意識がひとつと、それを取り巻くような敵意の意識がある。魔力の濃さの感じでは、その子供と敵のひとりが魔法を使うかも知れないわ」

「分かった、ゲールを近づけるよ」


 アダムが草地に放ったゲールが素早い走りで森の番小屋に向かって行く。余程の敵で無ければ、ゲールの気配に気が付く者は居ないだろう。ゲールはハエトリグモの魔物だ。走り様に小屋の壁に取り付くと、驚くほどの速さで駆け上がって行く。


「まって、アダム。子供の方が私の魔素の流れに気が付いたみたい。訓練はされていなくても、非常に素質があるのでしょうね」

「ふん、アダム、それが狙われた理由かもな」

「みんな、ちょっと待っていてくれ、今窓に取り付いたところだ」


 森の番小屋の窓は明かり取りと空気の出入りのために、単純に開けられたもので、蓋のような板を突き棒で止めるような簡単な造りだった。しかしこれは、中から見張るのには意外と都合が良い。外から近づいて覗き込むことも出来ず、追手が様子を探るにはとても不便だ。

 しかしその点、蜘蛛のゲールにはまったく問題が無い。見張りが素早く入り込む小さな蜘蛛に気が付くかどうかだが、素早く視界から外れ、天井に飛び上がるゲールを目で追える者は居ない。後は蜘蛛を見て気味悪く嫌がる者はいても、この蜘蛛が見聞きすることが、アダムに筒抜けになっているなんて考えられる者は居ないに違いなかった。

 天井に上がったゲールが360度の視野で部屋の中を見ると、アンが言った通り、5人の人間がいた。

 捕らえられたと思われる子供が一人、部屋の中央の粗末な椅子に座らされ、向かいに執事服の中年男が座っていた。あとは冒険者崩れの男だちだった。一人は扉の脇に壁に背もたれて座り、一人が窓の横に立って外に視線を向けている。もう一人が執事服の後ろに立って、子供を見ていた。

 執事服の男は子供とは知り合いのようだが、背後に立つ男と通じ合っている様子を見ると、もしかすると今回のかどわかしの首謀者なのかも知れなかった。


「本当だ。アンの言う通り、あの子供は鋭い感性を持っているようだ。天井に取り付いたゲールをちらっと一度視線を上げて確認したぞ」

「へー、面白いな」


 その子供は5歳くらいの女の子だった。粗末な小屋に似合わない綺麗で上質な子供服を着て、きちんと椅子に座っている。背筋を伸ばし、硬い表情で前に座る執事服の男を見ていた。両手は膝の上でしっかりと握られている。


「ポンメルンのお嬢様、もう暫くすれば迎えが来ますからね。この粗末な小屋も、もう暫くの辛抱ですよ」

「ギーベル、私はオルランドへ向かうのではないのですか?」

「いえいえ、その通りです。ポンメルンの血筋を継ぐ者として、ネデランディア公爵家の養女になられる方ですから。ただ養父様がご次男のオルケン様では無く、三男のザハト様になります」


 男の言った意味が分かったのだろう、少女の目が険しくなった。


「わたくし、死んだお母様からは正当なネデランディア公爵家の養女になると言われていました」

「もちろんです。何があるのか、いやあったのか、詳しくは私も知りませんが、ネデランディアのご当主は三男のザハト様が継がれるようですよ」


 ギーベルと呼ばれた男が思わせ振りの嫌な笑顔を見せて少女を見つめる。


「わたくし、ヨルムントのお爺さまの商会に一度戻りたいのですが」

「何をおっしゃいます。皆さまにお見送り頂いたのですから、このままネデランディア領へ参りましょう。私も旦那様からしっかりと申し付けられておりますから」


 少女はもう一度天井を見上げ、ゲールを見た。助けてくれる者がいるならば、藁にもすがりたいのかも知れない。不思議な予感を感じながら見上げたようだ。


「ここからどうやって移動するのですか。馬車はもうありませんよ」


 言外に襲って打ち壊したことを非難しているのだが、ギーベルと呼ばれた男は平気だった。


「北の海岸線にお迎えの船が来る予定です。今仲間の者が見に行っています。もう暫くすれば戻って来るでしょう」

「船に乗ってやって来る者は何人ですか? 皆やはり冒険者のような荒くれなのですか?」

「ふふ、お嬢様。何を心配されておいでなのですか。護衛の者はここにいる者だけです。ここに居る者もヘルヴァチアの傭兵ギルドの傭兵です。怪しい者ではありませんよ。確かに、これからやって来る船乗りは少し身分の低い者たちですが、ヨルムントの港で傭船に乗り換えますから、そこからは快適な船旅でございます」


 どうせヨルムントの港に戻るなら、少女の言う通り、一度お爺さまと呼ばれる者へ連れて行ってやれば良いようなものだが、それでは都合が悪いのだろう。ここからは秘密裡に連れ出そうと考えているようだった。


「襲った奴らもヘルヴァチアの傭兵らしい。冒険者崩れかと思ったが、単純な誘拐事件じゃないのかも知れないな」

「アダム、『銀の翼竜』の仲間かしら」

「いや、アン、全然違うと思う。でもそれだけ入り乱れて勢力が分かれていると言うことだ」

「雇い主を選ばない悪どい傭兵もいるんじゃないか」


 アダムの話にドムトルが断定するように言った。問題はこれからどうするかだ。 


「これから北の海岸線に迎えの船が来るらしい。仲間の一人が見に行っていると言う話だ。でも、そいつが戻って来る前に乗り込むのは難しそうだな」

「アダム、どうせ船乗りは停泊した船の世話に残るだろう、戻って知らせに来るのは、やっぱりその仲間だけじゃないか。そしたら小屋に押し込むよりも、出て来た所を狙った方が良いと思うぞ」

「いや、ビクトール、そいつが戻って来る前に片付けようぜ。俺がザクトの密猟者を捕まえた時のように、素晴らしい演技で仲間に化けて呼び出すから、油断したところをやっつければ良いよ。なあ、アダム」

「そうだな、それで行くか」


 ドムトルの無茶な作戦にアダムが同意したのを見て、アンもビクトールも唖然として驚いた。アダムが笑って話を続ける。


「はは、ドムトルが呼び出したところに、俺とビクトールも出て行けば、相手は子供だと侮って人数的に全員で出て来るだろう。そうして俺らが気を引いている内に、アンが横から女の子に近づいて風の盾に入れてしまえば、もうこっちのものだ。戦闘が始まれば後ろの『銀の翼竜』の傭兵たちも支援してくれると思うぞ」

「アダム、驚かせないでよ。ドムトルの演技だけで勝てるはずないもの」

「アダムもアンも何を言うか。俺の演技は一級品だぞ。見ていて驚くなよ」


 だが、『銀の翼竜』傭兵団の登場によって、話の展開がまるで変って行くのだった。

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