第68話 授業の開始
「それでは、ここまで話した地理の講義を復習しましょう」
ワルテル教授が世界地図を前にまとめを話し出した。ワルテル教授の専門は神学の古文書学だが、新入生の地理と歴史の講師もしていた。アダムはセト村の補講でユミルから基礎を教えてもらっているので、復習のようなものだ。
入学式から数週間が過ぎて、アダムたちの学園生活も落ち着いて来ていた。アンとアダムが入ったAクラスは6クラスの中でも学科が優秀な生徒を集めているので、ドムトルのような気が散る生徒はいない。プレゼ皇女を含めてみんな真面目にワルテル教授の話に集中していた。
「この世界地図はエンドラシル帝国の標準世界地図です。この地図では3つの大陸が描かれています。西にブリアント大陸、東にアイサ大陸、南にカリフト大陸です。この3つの大陸に囲まれているのがエンドラシル海で、エンドラシル帝国はこの海を中心に3つの大陸に跨っています。帝都オームは西のブリアント大陸から突き出た半島の真ん中にあります。
この半島を足とすると、我が王国は、東向きにエンドロール海に体育座りをした形のブリアント大陸の腰あたりにあります。足とお腹がエンドラシル帝国で、その北方の背中あたりに神聖ラウム帝国、お尻にあたるのがヒスパニアム王国、背中の後ろ、海峡を挟んで島国のデーン王国があります。
実は最近、エンドロール海の更に西方で、第4の新大陸が発見されました。デーン王国とヒスパニアム王国の外洋船が相次いで発見したそうです。ですからこの地図にはまだ載っていません。名前も正式には決まっていません。と言うのは、この大陸はアイサ大陸の東岸ではないかという説もあるからです。その説を唱える人は、地球は丸いので、西に向かうことで1周してアイサ大陸の東岸に辿り着いたと説明しています」
ここまではアダムもユミルから習った内容とほぼ同じだった。
「ここからが、今日の新しい授業です。今日は我が王国を取り巻く知っておきたい世界情勢について勉強したいと思います。
まずエンドラシル帝国です。エンドラシル帝国は世界の中心の覇者として、長年にわたって君臨して来ました。第8公国を併合するまでは、どん欲に周辺諸国を侵略して来ました。我が王国も建国以来、干渉を受け何回も戦争を繰り返して来ました。それが聖戦の勝利により相互不可侵の関係に落ち着いたのです。
エンドラシル帝国が非常に活力ある国家としてあり続けるには、その特徴ある後継者選びにあります。エンドラシル帝国では皇帝の座は単純に世襲されません。皇太子戦と言われる、各公国の皇太子による選抜戦を行い、一番強い皇太子とその公国が世代を継ぐことによって、帝国内部で新陳代謝を行い、適者生存を貫いているからです。
現在クラウディオ13世の治世が約20年近く続いていますが、そろそろ後継者選定に入るのではないかと噂が流れています。現在は各公国で皇太子の選定がなされており、数年の内に皇太子戦が行われるのではないかという話です。我が王国のソルタス皇太子やプレゼ皇女の世代が帝国でも時代を担う新世代として注目されています」
ソルタス皇太子やプレゼ皇女の話が出たことで、エンドラシル帝国の話が非常に身近なことに感じられて、クラスのみんなも自分たちの世代が世界を担うと言われている感じがした。
「ワルテル先生、エンドラシル帝国は現在も国力が充実していると言う話は分かりましたが、問題はないのですか」
アダムが手を挙げて質問をした。ワルテル教授が笑って答えてくれる。
「どんな国家も課題はある。エンドラシル帝国の課題は、多くの民族、宗教を抱える多民族国家だと言う事です。現在も各公国は被征服民族を抱えており、内乱の種が絶えません。また、周辺部では蛮族との抗争も起こっています。現在、特に第3公国と第8公国は民族紛争を抱えていると言われています。
あと、宗教紛争です。帝国では、我が王国と同じく七神正教が主流でしたが、最近は光真教が大きな勢力を持って台頭して来ました。ところがそこに第3の勢力として救世主教が起こって来て、光真教との間で信徒間に争いが起こっていると聞いています。特にエンドラシル帝国には被征服民が奴隷として多くいることが知られていますが、救世主教が奴隷の間で急激に信徒を集めているそうです」
アダムは救世主教について初めて聞いたが、奴隷の間で急激に広がっていると聞くと、地球で言うキリスト教を想像してしまう。救世主という名前が連想させるのかも知れなかった。
「次は、我が国の王室とも姻戚関係にある神聖ラウム帝国についてです。神聖ラウム帝国の起源も大変古く、エンドラシル帝国に次ぐ歴史を持っています。エンドラシル帝国が初期に諸島連合だった頃に大陸で生まれました。エンドラシル帝国がエンドラシル海の大半を領有するくらいに膨張して来た頃、大陸の対抗勢力として拡大してきました。
最大の特徴は神聖ラウム帝国が諸侯の連合体としての特徴を残していることです。エンドラシル帝国が諸島連合から中央集権国歌に成長しましたが、ここが一番の違いです。
皇帝は有力諸侯の互選で選ばれることになっていますが、現実には姻戚関係にある有力な数家が独占しています。現在の皇帝はマルクス・ウィルヘルム5世で、首都ベルリーニはエンドラシル帝国の帝都オームと並ぶ文化の中心として、華やかな宮殿文化が花開いています。
我がオーロレアン王国は独立当初からエンドラシル帝国に対抗するため、神聖ラウム帝国と親交を結んできました。現在、宰相であるグランド公爵が文化交流の一環として、ベルリーニの帝国学園と交換留学生の受け入れを話し合われています」
ここに来て、アダムはプレゼ皇女のお祝いの会で、グランド公爵が言っていた文化交流の意味が分かって来た。王都オーロンに来ることができたが、将来、もしかすると神聖ラウム帝国の首都ベルリーニにも行けるかも知れない。プレゼ皇女も同じことを考えているようで、想像を膨らませて顔を上気させているように見えた。
「次に神聖ラウム帝国の問題ですが、ひとつは、諸国連合としての体裁を持っているので、中央に中々従わない諸侯がいることです。特に、神聖ラウム帝国とエンドラシル帝国、オーロレアン王国が接する三角地帯にある諸侯にその傾向があります。中でも山岳国家のヘルヴァチア国は傭兵国家を名乗っている通り、優秀な傭兵を輩出する国ですが、最近までは神聖ラウム帝国の属国の立場でしたが、独立性を強めて来ています。
ついでに言いますが、ヘルヴァチアとは我がオーロレアン王国も継続的な傭兵契約を交わしていて、状況に応じて6000人から1万6000人の派遣を受けることで契約をしています。我が国の王国騎士団が2600人であることを考えると、非常に強力な兵力であることが分かります」
ここでアンが手を挙げて質問した。
「先生、わが国の王国騎士団と比較してそんなに多くの傭兵を受け入れて大丈夫なのでしょうか。ヘルヴァチアと争うことになることを考えると心配です」
「そうだね、ここで傭兵とは何かを知らないといけない。ヘルヴァチアは山岳地帯の貧しい国で、傭兵は生活のために出稼ぎに出ているんだ。決して国に忠誠を誓っている訳ではない。こんな言い方をすると問題だが、金のためなら国を売りかねない連中なんだ。当然雇い主次第でお互いでも戦う。言い方を変えると、傭兵としての信義を貫き、雇い主のために命を懸けると言った方がいいかな。
かつてエンドラシル帝国との聖戦では、騎士団に加えて市民兵も徴兵されて戦ったが、同時にこの傭兵も一緒に戦ったんだ。なにせエンドラシル帝国軍は18万人だったからね」
「ありがとうございました。良く分かりました」
ワルテル教授はうんうんと頷いて見せて、話を続けた。
「話をもどそう。もう一つの問題ですが、それは北方のウトランドのデルケン人の侵攻です。デルケン人は強力な海洋民族で、海賊業を生業にしてきました。これまでは島国であるデーン王国との抗争に終始していましたが、我が国との国境に近い、神聖ラウム帝国の海岸線に上陸して来て拠点を作ろうとして紛争が起こっています。デーン王国侵攻の足掛かりにするつもりだと思われるが、居座られると内陸への侵攻拠点にもなりかねない恐れがあり、神聖ラウム帝国の頭痛の種になっています。我々も国境に近いので注視しなければならない問題です。Aクラスにはカーナ・グランテ君がいるから、皆さんも休み時間に色々聞いて勉強してください」
ワルテル教授から名指しされてカーナ・グランテが顔を上げた。彼女は北方系の美人なので、切っ掛けが有れば話したい男子はいっぱいいるだろう。
「デーン王国は、ヨルムントと海峡を挟んで近い島国です。建国は我が国とほぼ同じくらいだと言われています。島内を統一した後は我が王国とも戦争を何回も起こしています。海運の発達と共に海洋国家として力をつけてきました。エンドロール海からブリアント大陸を回り込んでエンドラシル海までの制海権を握りました。特にヒスパニアム王国との間で海軍力を競うように増大させて来ました。
新大陸発見以降はその北部をデーン王国が、南部をヒスパニアム王国が切り開き、今はお互いが争うよりは、それぞれが新大陸の利権を拡大することに注力しているようです。
デーン王国の最大の問題は、ウトランドのデルケン人の襲来です。島の東部から北方にかけて何回も襲撃を受けています。他人事のように見ていた神聖ラウム帝国も、先に述べた海岸線の侵攻を受けて、デーン王国との共闘を模索していると聞いています。いずれわが国にも参戦するように依頼が来るかも知れません。
ヒスパニアム王国はブリアント大陸の南西端に当ります。南はカリフト大陸のエンドラシル帝国第8公国とエンドラシル海を挟んで接しています。第8公国はエンドラシル帝国に併合されるまでは、民族紛争の絶えない地域で、海を越えて何回もヒスパニアム王国に侵入して来ました。そのためエンドラシル帝国が制服する時は、むしろヒスパニアム王国が支援したことから、ヒスパニアム王国はエンドラシル帝国と非常に親しく、両国の関係は安定しています。
我が王国とヒスパニアム王国との境は峻険な山岳地帯があり、我が国とは陸路よりむしろ海路の方が交易が盛んでした。以上のことからヒスパニアム王国はエンドラシル海とエンドロール海側に有力な海軍を保有していて、デーン王国と航海覇権を競い合っていました。今はデーン王国の時に話したように、新大陸とエンドラシル帝国を結ぶ航路の開拓で活況を呈しています。
ヒスパニアム王国の問題は、この海洋覇権を脅かすデーン王国との競争でしょう。あとエンドラシル帝国第8公国の安定です。エンドラシル帝国の安定が損なわれると、カリフト大陸の蛮族の侵攻を受ける、かつての悪夢の再発も現実となる恐れを持っています」
ルナテール女王はプレゼ皇女の入学祝いの式典で、今は内憂外患はないと言っていたが、こうやって詳しく聞いてみると、国際関係にも課題が色々あることが、アダムにも分かった。
「最後に、ヒパニアム王国との国境がある山岳地帯は、剣聖オーディンの竜伝説が残っています。こちらが私の本業の神学の古典書学に関係するところで、機会があれば皆さんにもお話したいと思います。確か、国教神殿にこの聖遺物が伝わっています。プレゼ皇女が神殿長にお願いすれば見学できるかもしれませんね。
じゃ、これで今日の授業は終わります」
ワルテル教授がアダムを見ながら最後の言葉を話した。他の生徒は何気ない話題の続きとして聞き流しただろうが、アダムには気になった。剣聖オーディンの”神の目”の魔法は、もうアダムとは切っても切り離せない関係があるのだ。また新たな発見があるかも知れなかった。
アダムはプレゼ皇女を見るが、彼女は何も感じなかったようだ。是非一度一緒に国教神殿に行こうとアダムは思った。あのマクシミリアン・オーロレアン神殿長はプレゼ皇女に任せようと思った。
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