第60話 ククロウの追跡

「闇の目”tenebris oculi”」


 アダムは寮に戻ってベッドに横になるとククロウとリンクした。ガストリュー子爵家を出る時にアンと約束していたのだ。これからは寝る前に一度ククロウとリンクすることにした。いつも一緒にいることが出来なくなるので、一日の終わりに連絡事項をアンが伝えることにした。ククロウに直接話しかけることもするが、普段はメモを残して置いて、ククロウに読ませることにした。


 アンからの一方的な連絡になるが、学校が始まれば毎日顔を合わすことになるので、備えとして問題ないだろう。


「今日は目新しい話はないので、外へ出してあげるね」


 アンはククロウを籠から出すと、窓を開けて夜の外へ出した。


「クッ、クウ」


 メンフクロウのククロウは大きな瞳でアンを見上げたが、アンの左手から夜気の中へ飛び出した。窓の外の枝に停まってアンを見た。”アン、アン、大好き”


 貴族街では邸宅側で、道路に面した要所〃に街燈を作って、明かりを灯しているが、基本は月や星空の明かり頼みでひっそりと暗く静まり返っている。定期的に町の衛士が見回っているが、暗がりに隠れている者を見とがめる者はいない。


 ククロウは餌を探して屋敷内を回ることになるが、アダムは機会を見つけて回りの邸宅も偵察しておきたいと考えていた。今日はどうしようかとククロウに辺りの気配を探らさせると、街燈と街燈の間の暗がりに、暗い影がうずくまるように佇んでいるのが見えた


 アンの部屋の窓が開いて明かりが漏れたのが気になって、隠れ場所から身体を伸ばしたのだろう。それでククロウも気が付いたのだ。呼吸も浅く静かに隠れている様子は専門技能を備えた者であるに違いなかった。しばらくじっと見ていると、相手も部屋の中の気配を探っていたのだろう。アンが部屋の明りを消すと、得心したように身を翻して貴族街へ戻って行った。


 フクロウは音で見るというが、音の方向や深さが見えるように分かる。実際の視力も夜間では人間の10倍から100倍良く見えると言われている。”アン、アン、心配”


 ククロウは音も立てずに飛翔すると、ふわふわとその後ろ姿を追った。木の枝から屋敷の軒や柵の上に止まり、また並木に止まり、ククロウは追った。


 アダムにはもうその後ろ姿で正体が分かっていた。暗闇に溶けるような黒っぽい衣装に身をつつんだ姿は見覚えがあった。エンドラシル帝国第8公国の女剣士奴隷のリンだった。彼女は貴族街の街路を平然と歩いて行く。やや太い幹線道路に出たのか、一気に街燈の明りが強くなって、すたすた歩いて行く姿は見間違いようが無かった。


 エンドラシル帝国の大使館は貴族街から商業地区に入った所にあった。正門の衛士も黙って彼女を通した。彼女は真直ぐ正面の車止めまで来ると、衛士詰所に挨拶をした後、中庭に入って行った。そのまま進んで行くと、一際明るく開かれたベランダの段を上がり、ガラスの扉を叩いた。


 ククロウは静かに中庭の木の枝に止まって、その様子を見ていた。ククロウには十分話が聞こえる範囲だ。


 リンは扉の前に跪いて頭を下げた。扉が開いて、エンドラシル帝国大使のアリー・ハサン伯爵がその前に立った。


「今、戻りました。変わりはありません」

「アダムとドムトルが屋敷を出たのは、良いのか悪いのか判断がつかんな。心配なのは同胞の急進派が馬鹿なことを仕出かさないかだ。特に光真教の一派が心配だな」

「何かありましたか」

「ケイルアンのゴブリン騒ぎに黒魔法の魔法陣が残されていたらしい。闇の苗床を使った奴がいる」


 その言葉にリンがぎょっとして、顔を上げた。


「お前も孤児だったな。光真教の暗部を知っている者は少ない。狂信者がオーロンにも来ているのかも知れぬ」

「大使館の教会を見張りますか」

「女剣士奴隷の部隊を使って構わない。闇の苗床が心配だ。王都でも仕掛けられないか、街の噂話も拾ってくれ」

「承知しました。お任せください」


 ククロウは同じく気配を消してリンと大使を見ている者の気配を感じていた。闇夜でフクロウに敵う者はいない。


「エンドラシル帝国は世界の中心を支配している。それでも全てを征服しつくすことは出来ぬ。安定した世界秩序を創ることこそが必要なのだ。俺は世界文明の為に尽くす。リンも力を貸してくれ」

「私はご主人様に命を捧げております」


 アリー・ハサン伯爵の言葉にリンが頭を下げた。彼女はそのまま黙って下がって行った。


 「世界秩序だと、世界文明だと、クッ、ク、ク、笑ってしまうな。お人好しな大使様に世界は救えないさ」


 ククロウは確かに男が呟く言葉を耳に拾っていた。


 リンが去った後、しばらく様子を伺っていた男は、隠れ場所から離れて歩き出した。ククロウがその後を追った。


 不思議な男だった。よく見ると派手な衣装なのだが、フッと目を逸らすともう見逃してしまう。見る人の意識を操作しているのかも知れなかった。だがククロウは耳でもその男の存在を感じている。男は中庭を突っ切り、意匠の凝った建物に入った。


 さすがエンドラシル帝国大使館、王都に広大な敷地を擁している。その建物は中庭にあっても個性を主張していた。大きくはないが、中央のドーム状の主殿の左右に2つの尖塔を有した教会だった。


 ククロウは主殿のドーム状の天井近く、格子状の窓から中に入ることが出来た。真下の床には白黒(陰陽)が混じり合う太極図のようなタイル画が描かれていた。そこに2人の人間がいた。1人はククロウが追って来た男だった。教会のドームの中は薄暗いが、それでも光の中で、真っ白なピエロの顔が笑って見えた。もう1人はその男に背を向けて、祭壇に向かって額ずいていた。


「姫が王都に入ったぞ」

「そうか、中々手に入らなかったようだな」


 跪いていた男が顔を上げた。振り向いてピエロの方を向いたが、両目は潰されていて黒いガラス玉が2つ嵌められていた。ちょっと正面から見つめ合うのは遠慮したい様相だった。しかしクシャっと相好を崩すと、何とも言えず好々爺とした優しい顔に変わる。これも異人だった。


「まあな、それより、アリー・ハサンが動いているようだが、大丈夫か」

「女剣士奴隷は面倒だな。でも闇の苗床は準備できている。王都は下水道が整備されておるからな、、、は、は、新鮮な餌に溢れておるよ。いずれ闇の主教様よりご指示があるであろう」

「そうか、”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる”」

「そうだ、”闇の御子はいずこにおわしても見ておられる”」


 2人の最後の言葉は呪文のように繰り返されたのだった。


 盲目の司祭が顔を上げて天井を見た。笑っている。それにつられてピエロも顔を上げた。やっぱりピエロの顔も笑っているように見えた。


 アダムは寒気がして、ククロウを窓から身を引かせた。光の蔭になって見えているはずは無かったが、気味が悪かったからだ。そろそろ引き際だった。ククロウのリンクを切り、アンの元へ返させた。リンクし続けていると悟られるような気がしたのだった。


 これは難しい問題だ。アダムは誰に相談して良いのか判断が出来なかった。ユミルが居ればすぐに相談しただろう。ワルテル教授が頭に浮かんだ。誰でも良いが直接会って話さなければならない。アダムはまず王立学園入学に全力を注ぐことにした。みんなで補講を復習して入学時の実力考査に備えなければならない。色々思いつくが、今日は休むことにした。


 アダムは直ぐに意識を手放して眠りについたのだった。

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