第58話 エンドラシル帝国大使アリー・ハサン伯爵と女剣士奴隷

 ショーの最初は民族衣装を着たダンサーによる舞踏から始まった。舞台の袖に並んだ奏者は、リュートに似た丸みを帯びて膨らんだ弦楽器を、左膝に縦て持ち、弓で引いて演奏している。そこに打楽器がリズムを刻んでいた。


 明るい原色を中心に、色とりどりの民族衣装を纏(まと)ったダンサーが、舞台の上を所狭しと踊り回った。セクアナム川の暗く落ちた水面を背景に、焚火たきびの揺らめく光の中でくるくる回る姿は、異国情緒が満点で美しかった。


「綺麗です。音楽も素晴らしいです」


 アンは思わずうっとりとため息を漏らした。

 楽器奏者としても自他ともに認めるソフィーも音楽に聞き入っていた。これは本場に行かなければ聴けない本物の民族音楽だった。


 エンドラシル帝国の第8公国は、エンドラシル海を囲む形で3大陸にまたがる帝国の中でも、カリフト大陸の北西部にあたる。後背地は大きな砂漠に覆われていて、点在するオアシスだけ部族が分かれていると言われていた。部族間の抗争を制して統一した、かつての統合王国へエンドラシル帝国が征服戦争を仕掛けて併合した。


 降伏するに当たって、その王国の姫君を娶めとる形で、エンドラシル帝国の帝室から皇子が派遣されて来て、第8公国が誕生した。現在の皇帝は第3公国出身であるが、第8公国も次回の皇帝戦の有力候補と言われている。蛮族の血を引く頑強な精兵を擁し、新興公国としての勢いがある。


 現在エンドラシル帝国から大使として派遣されてきているアリー・ハサン伯爵は、その第8公国出身の外交官だった。彼が最初にオーロレアン王国にやって来てやったのが、文化交流事業だった。この舞踏団の招聘も、彼の事業の一環で、最終的には物産の輸出入を振興するのが目的だった。


 ジャック・ブルゼ准男爵も王都の商業ギルドの有力理事のひとりとして、アリー・ハサン伯爵とも親交があった。それが今回の晩餐会にも役立ったという訳だった。


「どうだい、素晴らしいだろう。ソフィーが来たら是非聞かせたいと思っていたんだよ」

「まあ、お父様ったら、ありがとう」

「うんうん、幕間に食事をしよう。料理はもう頼んであるから。食事の後のショーも期待して良いよ。今度はアダム君やドムトル君にも楽しめると思うよ。すごい迫力だから」

「まあ、何ですの? 男の子たちもびっくりする出し物って」

「エンドラシル帝国の女剣士奴隷の剣舞だよ。もう神業なんだ。見ていてご覧、びっくりするから」


 ジャック・ブルゼが給仕に合図をして、料理を運ばせた。今日はショーに合わせて、エンドラシル帝国の第8公国の料理をオーロレアン王国でも合うようにアレンジした料理だと言う。


 出て来た料理は、アダムが居た地球の中東系の料理に近い。クミンやパプリカ、サフラン等の香辛料が使われていたが、日本時代に色々辛い料理も食べて来たアダムにとっては、それ程は辛くはない。だが、ドムトルやビクトールを見ていると、始めて食べる香辛料の効いた料理に、顔を赤く上気させて、ワインをがぶ飲みしている。


 羊肉に香辛料を付けて寝かせた後、串にさしてじっくり焼き上げた肉料理は、羊肉特有の臭みも無く美味しかった。タジン鍋のような鍋の鶏肉と野菜の煮物も、蓋を取ると香りが広がって食欲を掻き立てた。若いアダムやドムトルは夢中で食べて、招待したジャック・ブルゼを喜ばせた。


「おお、良い食べっぷりだな。私もつられて無理をしてしまいそうだよ」


 アンは揚げたライスペーバーのような層の間に、揚げたアーモンドとアーモンドミルクの甘いソースを挟んだデザートが、特に美味しいと思った。ミントと砂糖を入れた緑茶が一緒に出されたが、口の中がすっきりとして、くどくないのが良かった。


「香辛料が効いた辛い料理と、甘いデザートとお茶がこんなに合うとは思いませんでした」


 アンの感想は、他のみんなの気持ちと同じだった。アダムたちは美味しい食事に満足したのだった。


 その時、給仕がジャック・ブルゼの所にやって来て耳打ちをした。ジャック・ブルゼは辺りを見回して、伝言を頼んだであろう人物を探した。少し離れたテーブルから手を挙げている人物がいた。


「みんな、エンドラシル帝国のアリー・ハサン伯爵がご挨拶に来たいらしい。いいかな」


 ジャック・ブルゼはそう言ったが、給仕には応諾する旨を直ぐに返した。給仕の返事を聞いて、紳士が立ち上がって、テーブルを回って近づいて来た。


「ジャック・ブルゼ准男爵、お久しぶりです。今日はご家族といらっしゃったのですか」


 褐色の肌をした恰幅の良い紳士は、胸に右手を当てて、オーロレアン王国風の挨拶をした。丸い顔に口髭がピンと伸びて、笑うと絵本に出て来る魔王のような迫力があった。


「アリー・ハサン伯爵、こんばんは。わが家の家族でショーと食事を楽しみに来ました。紹介しましょう、これがザクト領主のガストリュー子爵家へ嫁に行った娘のソフィーと、その息子のビクトールです。あと、一緒にいるのが、ガストリュー子爵家の寄子のアンとアダム、ドムトルです。今年から揃って王立学園へ入学するもので、上京して来たところです」

「おお、そうでした。ジャック・ブルゼ准男爵にはガストリュー子爵家へ行かれたお嬢様がいらっしゃったのでしたね。すると、こちらがプレゼ皇女のご学友に成られるという、七柱の聖女さまですか。エンドラシル帝国でも噂は伺っておりますよ。これからお見知りおき下さいませ、皆さま」


 七柱の聖女といえば、かつてエンドラシル帝国との聖戦を制した英雄だ。同じあだ名を頂く者に無関心ではいられないだろう。むしろ、これも分かった上で近づいて来ているに違いなかった。


「それでは、せっかくですから、後程、ショーの主役をご挨拶に行かせますよ。ショーの続きをお楽しみくださいね。また、お会いしましょう」


 アリー・ハサン伯爵は再び大げさな仕草で挨拶をすると、自分の席へ帰って行った。


「やはり、少し外国人だけあって、顔だちが違うんですね。これで何か民族衣装を着ておられたら、絵本か何かに出て来そうです」

「本当だぜ。ふっくらしているけど、ありゃ柔らかい筋肉だな」


 アダムの感想も、ドムトルの感想も当たっている。目を引き付ける迫力があった。

 給仕が来てテーブルを片付けると、コーヒーか紅茶かと好みを聞いて配膳していく。灯りが落とされて、次の舞台の準備も終わったようだった。


 シンバルの音が響いて、舞台に観客が注目する。舞台の両袖から数人のダンサーが中央に出て来た。今度は黒っぽい単色の軽やかな衣装を纏い、中央に整列した。どん、どん、どん、と腹に響く太鼓の音に合わせ、足踏みをしながら剣を抜いた。手を広げて身体を傾けながら回転を始める。左右の間隔はゆったりと開いているので安全だが、真剣の輝きが明かりに煌めいて、次第に緊迫感を高めていく。


「えい!」


 掛け声と共に舞曲の演奏が始まると、ダンサーが前後の列に別れて、回転を速めていく。手を上下に振り、体の傾きも変えながら、前後の列が舞曲に合わせて踊りながら交差して行く。見ているといつの間にか前後の感覚がおかしくなり、剣が交差するような勢いを持った回転する人間の独楽がお互いを切り合うように交差するのだ。


 観客は固唾を飲んでその動きを目で追って行く。整列し、別れ、交差し、また一つの流れとなって舞台を流れるように動いて行く。いつの間にか、ひと際動きの激しいダンサーを頭にした1匹の蛇のように舞台でくねり、ねじれ、とぐろを巻くように一塊に停止する。


 ジャン、ジャン、ジャン、、、、、金属音が低くなって行く中で、頭を演じるダンサーだけが立ち上がって、前に出て来た。そして回転する。回転する。回転する。回転するひとつの剣の独楽となって、回転する。手を広げて、いつの間にか、横回転だけでは無くて、縦にも回転する。斜めに回転する。バク転して、側転する。すごいエネルギーだ。ずっと回転が止まらない。


 ジャン、ひと際大きなシンバルの音が響いて、そのダンサーは崩れ落ちるように停止した。今度は背景にいた他のダンサーが1列になって広がって回転する。と、と、と、リズムが刻まれて回転の中に緩急が付けられる。


 崩れ落ちるように停止していた頭役のダンサーが立ち上がり、とん、とん、とん、跳躍して調子を取る。再び手を広げ剣を回し始める。ブン、ブン、ブン、刃音をさせて回転する独楽になった。


 一列に並んで回転する刃の独楽の列に向かって飛び込んで行く、跳ね上がり、回転し、列を突っ切り、飛び越え、また突っ切る。素通りするのではない、カンカンカンと刃を当て合い、剣を打ち合っているのだ。


 アダムもドムトルもビクトールも目を離すことが出来なくなっていた。これは普通の剣舞ではない、エンドラシル帝国剣術の演武なのだ。踊り手の気持ちが一つになって初めて見せることが出来る、ひとつの剣の境地なのだとアダムは思った。


 万雷の拍手の中で剣舞が終わった。全てのダンサーが挨拶を終えて、体を震わすように肩で息をしている。肉体の限界まで動いていたのだ。


「すげぇ。あんな回転して切り続けるなんて、目が回るとかのレベルじゃないぜ」


 ダンサーたちが舞台から降りて散って行く中で、ひとりこちらのテーブルに向かって来る小柄な人影があった。さっきの剣舞の中心で剣を振るっていたダンサーだった。


 観客の間を通って来る間にも、観客から声を掛けられて注目の的た。彼女はふんわりした黒の単色の衣裳のままに歩いてくる。身体は小さいが、引き絞った鞭のうように、しなやかで静かな動きだった。彼女はアンの席までくると、突然跪いて額を床に付けた。


「エンドラシル帝国の女剣士奴隷、リンでございます。ご主人に言われて参りました」

「顔を上げてください。お話ができません」


 リンと名乗った女剣奴隷は、アンの言葉に顔を上げて、アンを見上げた。美しい褐色の小さな顔立ちで、切れ長の瞳が印象的だ。


「アン様を守って、お前は死ねと命じられました。私は影でございます。これからあなた様を見守ることをお許しください」


 周りの人間が驚いて騒めいた。


「ちょっと、待っておくれ。アンは王国の保護下にある。王国の意向を差し置いてエンドラシル帝国の保護を受ける訳にはいかん」


 事の成り行きに驚いていたジャン・ブルゼもそう言う他なかった。王都に出て来て直ぐに、エンドラシル帝国の人間に接触するのは、非公式な友好の席であれば問題無いが、保護するどうのという話では王国の意向を確認せずには許されない。とんだ迷惑をかけてくれるものだとブルゼの声も尖って来る。


「承知しました。私はアンさまの剣として認識して頂ければ十分です。いずれお役に立つ所存です。いつでもお声をお掛けくださいませ」


 リンはアンに黙礼すると帰って行った。


「すげぇぜ、アン。あなたを守って、私は死にます、って。アダムどうする」


 ドムトルが騒いで来るが、アダムは相手の思惑が分からないので判断のしようがない。


「アリー・ハサン伯爵も困ったものだ。どう言えばあんな言葉になるのか、理解できん」

「お父様、あの女剣士奴隷と言うのは、何なのですか」


 ソフィーが女剣士奴隷の意味が分からないと言った。


「聞いた話では、剣闘士の女奴隷版らしい。元々孤児を中心に、剣士として育てられる。奴隷として売買いもされるらしい。優秀なら剣闘士として稼げるし、何人も集めて傭兵にして儲けたり、向こうの金持ちは資産の一つとして運用すると聞いたよ。今回は見た目の美しい女剣士奴隷を踊り手として連れて来ているんだ」

「でも、あのリンって綺麗だったな」


 ビクトールがドムトルに言うと、それを聞いていたソフィーがビクトールを睨んで注意した。


「あなた達は王立学園に入学する学生ですよ。今は友好国といってもエンドラシル帝国の奴隷と親しくする訳には行かないわ。みんな、アンに近づけないように気を付けてね」


 全員が頷いたが、ソフィーの不安は解消しそうに無かった。


 王都の初めての1日も、波乱の幕開けとなった。アダムとドムトルはこの後、騎士団の独身寮に戻った。明日は騎士団としての生活が始まる。

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