第55話 街道の盗賊(後編)

 ◇ ◇ ◇


 突然、泡立つような悪寒に襲われて、アダムは膝をついた。神の目とリンクした視界に緊急事態が見えた。アンが襟上をレイに捕まれて、引き倒されていた。


( 助けて、アダム )


 それは心の叫びのように、アダムの頭に響いた気がした。それは神の目の意識の反響かも知れなかった。強烈な危機感に身体が反応していた。アダムは物も言わず振り向くと、峠の休憩所に向かって駆け出していた。


 ◇ ◇ ◇


 最初、アンは何が起こったのか理解できなかった。引きずられて倒れ込んで、見上げるとレイの顔があった。


「来るな、じっとしていろ」


 レイはレイピアを抜くと、アンの首筋に付けた。強く押し付けられて、レイピアの両刃の刃先が薄く肌を切った。ぷっくりと血の雫が盛り上がった。


 前に出ようとしたケーナとアンリが立ち止まる。だが2人は油断無く身構えていた。予想外の緊急事態に余分な後悔も感傷も無く、無我夢中で事態を改善する方法を頭の中で模索していた。


「放しなさい逃げられないわよ。王国を敵にする気なの」


 ソフィーは年長者としても、ガストリュー子爵の名代としても強く責任を感じていた。レイに対して掴みかからんかのように前に出ようとして、スミスに止められた。


「奥様、無茶は止めてください。人質が2人になるだけです」


 この中で一番早く冷静になったのは、捕まったアンだった。自分にはやれることがあると分かっていた。


「ソフィー、無理をしないで。もう直ぐアダムが助けに来ます」


 アンは襟元を掴んでいるレイの手首を掴みながら立ち上がって、ソフィーを見て言った。その上で、自分が喋ったことで注目したケーナとアンリ、ビクトールを見渡した。


「アダムが来ます。それまでの辛抱です」

「ふざけたことを言うなよ。俺が捕まえた以上、お前は来るんだ。この状況が分かっていないのか?」


 アンはレイの手に抗いながら、振り返ってレイを見上げた。そして擬せられたレイピアを見ながら言った。


「こんなもので、私を捕まえることはできないわ」


 アンの毅然とした態度に周囲の大人たちが唖然となっていた。


「私を放しなさい、レイ。今ならまだ逃げられますよ」


 アンの言葉にレイの顔が怒りで真っ赤になった。いつも斜に構えているレイだったが、こんな子供に無視されて我慢できる訳がなかった。


「おいたが過ぎるようだな。殺す訳には行かないが、少しは痛い目に会わないと分からないか」


 アンは改めて周りの人間を見渡して、注意を引くと、一呼吸おいてから左手の魔石をぎゅっと握った。


「風の盾 "Ventus clypeus"」


 アンが呪文を唱えると、アンの身体は薄く黄色く輝く光を帯びた。そして次の瞬間、その光がアンを中心とした半球に膨らんで、レイを弾き飛ばした。月巫女から貰った月の雫は、アンが意識する範囲を風の盾で防護して、敵をはじき出すのだ。


「ば、馬鹿な」


 レイが薄く光る黄色い半球をレイピアで突くが、刃の侵入を許さなかった。


 その場にいた者が一斉に動いた。ケーナは大盾を前にレイにロングメイスを振りかぶった。ビクトールはガイに向かってクロスボウを射っていた。アンリもロングソードをガイに向けて突きかけていた。場面が急展開する。


 ケーナとレイの戦いが始まった。ケーナのロングメイスの強打はレイピアでは受けられない。レイは後ろに跳びしざって避けると、ダガーを抜いて左手に構えた。最悪は両手で受けなければならないと考えた。慎重にケーナの力量を図る必要があった。


「ちっ、面倒な」

「貴様は許さないよ」


 盾を持つケーナはレイに先手を取らせないように、盾を前に踏み込んで行く。レイはメイスを躱しながら、盾の上下左右を刃先を滑らしながら突いて行く。間合いを取り、ケーナの踏み込みを躱して行く。


 レイはケーナのメイスを躱しながらも、他に近づくものを許さなかった。アニスやスミスは下手に手が出せないで、見守っているしかなかった。レイの動きには鋭い計算があり罠があった。混戦こそがレイの望む展開だ。


 ガイは、飛んで来たビクトールのクロスボウの矢を避けようとして、アンリのロングソードを左腕に受けてしまった。しかしその後の2人の動きが速いので、ビクトールも次の矢をを射れなかった。下手をすると味方を射ってしまうからだ。


「まずい、やられた」


 ガイは左腕を庇いながら、アンリと剣を交わしていた。負けるつもりは無かったが、これで勝つのは難しくなった。逃げるタイミングを図るしかないと考えていた。


 アンは風の盾を維持しながら、ソフィーの側に移動して、ソフィーを風の盾の中に入れた。


「ソフィー、もう大丈夫です。直ぐにアダムが来ます」


 ソフィーは自分が黄色く輝く半球に入れられてびっくりした。自分が守るべき子供に逆に守ってもらうなんて考えてもいなかった。しかし残念ながら自分が一番この場では役に立たないとも分かっていた。


 ケーナとレイの死闘が続いていた。


「しぶとい、大人しくしな」


 ケーナは何回目かの一撃をレイに入れた。しかし、レイにメイスを躱され、先手は取っているが決定打が無い。心に焦りが出て、ケーナは盾の裁きに遅れが出た。一瞬の隙に盾を持つ左腕をレイに刺されてしまう。


「毒でも塗って置けば良かったぜ。へへ」

「ケーナ、頑張って」アンが悲鳴のような声援を送った。

「アン、お待たせ。助けに来たぞ」


 走り込んだアダムがケーナの備えに着いた。ケーナを攻撃しようとしたレイが止まって、アダムを見た。


 アダムは休憩場に戻るために走りながら、絶えず神の目とリンクして様子を見ていた。絶望的な状況からアンが風の盾で逃れてくれたのを見て、月巫女に感謝をした。その出会いの不思議さに感動していた。月巫女が月の雫をアンに渡したのは、この奇跡のためだったのかと納得するものがあったのだ。おかけで到着した時には、アダムは冷静に、強い怒りを持って戦う自分の決意を意識していた。


「やっと登場か、ええ?」

「ケーナ、下がって。俺が当たります」


 レイの悪態に無言で返して、アダムは前に立った。ケーナが左腕を押さえながら後ろに引いた。


 アダムはアントニオに教わったように、基本の型で当たった。バックラーを前に出して、片手剣を肩の前に構えた。レイピアの間合いの方が長いので、主導権を取って攻めなければ、隙をついた突きにやられる。片手剣の斬撃を入れて踏み込む。バックラーをレイピアに合わせに行く。攻めと攻撃を交互に入れて、自分のリズムを作るのだ。


「上達したな、ええ?」


 レイにはまだ余裕があった。ネイアスの時のような上背も力もアダムには無い。ただ、敏捷で決意に満ちていた。小さいが手強い敵だ。レイは冷静に冷たい目でアダムの動きを追った。


「それ、それ、それ」


 レイはバックラーに当てて滑らせ、アダムの上下左右の隙を狙う。どうしても弱い者虐めをして来た根性が抜けない。純粋に倒すことだけで満足せず、嗜虐性の笑みを浮かべていた。


 アダムはこのレイの余裕が狙いだった。まだまだ肉体的にも、実戦経験でも勝てる相手ではない。相手のその奢った余裕が隙を生むのだ。敵と言う観客を前にレイはいきり立っている。アダムは冷静にそれを見ていた。外見は子供でも、アダムは地球では38年の経験を生きて来たのだ。


 アダムは左周りに回り込み始める。最初に打ち込みから入らなければと思う。思い切って切り込み、突きを右に流す。更に左に回り切り込む。これの繰り返しだ。レイの踏み込みのタイミングを図っていた。そろそろレイが焦れて来るタイミングだと冷静に見ていた。


 バックラーの手を開け、レイの足元を見ない様に、足元崩しを入れた。


「足元を崩せ “Frange pedibus vestris”」


 レイは余裕を持って踏み込んだ右足の足元を崩されて、不用意に足を抜こうとした。アダムは踏み込みざまバックラーと片手剣でレイピアを迎えに行き、押さえながら左に流した。その上で左足を飛ばしていた。レイは態勢を崩され、右足を払われて横向きに飛ばされ、腰から倒されてしまった。


 アダムはすかさず片手剣で斬撃を入れた。レイは逆に回転しながら逃げようとした。しかし躱し切れなかった。左腿の下を大きく切り裂かれてしまう。


「ち、ちくしょう。油断したか」


 レイは身体を返したが、左ひざをついて動きが止まった。レイピアを立てて構えて反撃を狙うが、勝負はついてしまった。


「くそ」


 ガイとアンリの戦いは膠着していた。左腕を庇いながらも、アンリも痛めた脇の傷があるので思い切った斬撃が出せない。体勢を入れ替えて戦う2人に、周りも手出しができずに見ているほか無かった。


 ガイは焦っていた。奢ったレイが戦いに敗れるのが見えた。逃げるしかない。


「大人しくしろ、レイ。お終いだ」


 ケーナの一言に周りの目がレイに集中する。レイも身動きが出来ず、片膝をついたままケーナを見上げた。


「捕まえて、背景を喋って貰おう」

「へへ、馬鹿言うなよ。俺が素直に喋るわけないだろう」


 強がりに、ニヤリと笑ってレイが答えた。その首にロングソードが突き刺さった。笑い顔が張り付いたまま、レイが前倒しに倒れ込んだ。全員が気を呑まれて身動きを止めた。周りを見回した時に、剣を捨てて身をひるがえし、森に向かって駆け出したガイの姿があった。


「待て、ガイ」


 全員が追いかけたが、逃げに入ったガイの速さに追いつける者はいなかった。背後の森に入るとガイは後ろも見ずに逃げて行ったのだった。


 ◇ ◇ ◇


「追い詰めろ、見逃すなよ。こいつらは街道の害虫だ」


 ピエールが騎馬隊を指揮して、盗賊団の逃げ道を遮断して、打ち砕いた。最初は多勢で徒歩の6人を包んで攻め立てようとした盗賊団は、騎馬隊の突撃で分断され蹴散らされて行った。


 ガクトと鉄の団結を中心とする徒歩組も、隊列を整えて善戦した。特にドムトルの大盾が守りの起点となって、襲撃を打ち破って行った。イーリスの火壁が盗賊団に囲ませなかったのも大きな成果だった。手傷を負って動けなくなる盗賊が出て来て、形勢が一気に変わった。


 騎馬隊に側面から攻められ、全体の統制が執れなくなって盗賊団は崩壊した。


「武器を捨てろ。捨てない者は容赦なく殺す」


 ガクトが大声で命令すると、手傷を負った盗賊は武器を手放して降伏した。


「駄目だ、逃げろ。ばらけて逃げろ」


 盗賊団の頭は最後は我慢できずに叫ぶと、山の斜面に逃げ出そうとした。


「させるか、馬鹿」


 ピエールが騎馬で追いかけながら、背後から片手剣で切り下した。盗賊の頭は肩口を切り下げられて昏倒した。しかし、手下の4、5人は山の斜面に飛び込むように逃げて行った。逃げるとなったら後ろも見ずに、我ひとりと仲間を顧みず、一散に逃げて行った。


「これ以上追うな。集まって捕まえた盗賊を押さえろ」


 ピエールの指示で捕虜が集められた。この場で殺した盗賊が8人、捕まえた盗賊は17人だった。その内、重傷者が5人、軽傷者が7人いた。武装解除して手元の紐やベルトで手を縛った。


 こちらの負傷者は軽傷者が5人だけで、死者も重傷者もいなかった。大勝利と言えるだろう。但し混戦で騎乗していた馬に傷ついたものが2頭出た。


「一旦、休憩場へ戻る。ここに捕虜を残して取り戻される訳にはいかない。可哀そうでも、動ける者に動けないものを負わせろ。敵の馬があれば徴発して行く」


 ピエールの指示に、衛士が周辺の捜索をする。焼いた斜面の隠れ場所には碌な物は残されていなかったが、街道脇に馬が5頭繋がれて隠してあった。重傷者で馬に乗せらる者は乗せたが、そうでないものは休憩場に着くまでに2名が事切れていた。これで死んだ盗賊は10人になった。


 ピエールたち衛士隊が戻る頃には、休憩場も落ち着きを取り戻していた。レイの死体にドムトルだけではなく、知っている者は驚いていた。


「そうか、アダムが突然駆け出した時には、俺もどうしようかと思ったが、こっちはこっちで大活躍だったんだぞ」


 手柄はこっちが上だとドムトルが主張した。


「ああ、レイは捕まりそうになって、ガイが殺して行ったんだ」


 アダムはこれで、また背景が聞けなくなったと答えた。


「いや、アンと奥様が無事で良かった。全体的に言って今回は大成功だ」

「ピエールの言う通りだ。相手は30人を超える相手だった。それにレイやガイがいた。それを考えると十分な成果だよ」


 ピエールとガクトに慰められるが、左腕を負傷したケーナは自分に力が足りなかったことを自覚していた。


「すまない、こっちは街道の戦闘に気を取られて油断があった。警護専門の冒険者として申し訳ない」

「いや、ケーナさんやアンリさんの踏ん張りがあったから、全員で勝てたんですわ」


 不甲斐ないとすれば、守らなければならないアンに逆に守ってもらった自分だとソフィーが言った。


「さあ、気持ちを取り直しましょう。これからどうするか決めて動きましょう」


 ピエールの言葉に全員が再び動き出した。

 負傷者を集めて、スミスとアンがヒールを掛けて再生を促し、傷を塞いで動けるようにする。それでも失った血や細胞が元に戻るわけではない。またヒールを掛けると、被験者側も身体の魔素を使われるので、体力を失ってしまう。

 負傷した馬を盗賊団から徴発した馬に乗り換え、重傷者も馬に乗せることにした。

 水を飲ませて休憩させていた馬は元気いっぱいだった。距離的にソンフロンドに戻ることはせず、次の峠を越えてコルナの町を目指した。


 紐に繋がれて歩く盗賊が12名もいるので、どうしても全体の進みは遅くなる。コルナの町が見えた時には、みんなが歓声を上げた。


 コルナの町に着いた時には、もう日も傾いて、夕日が空を染めていた。一行が街に入って行くと、コルナの町は騒然となった。町の守り手に盗賊団を引き渡して宿に着いた時には、すっかり夜になっていた。

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