第43話 北の森 赤狼討伐(中編)


 アダムは神の目を使って上空からクロノスの荷馬車を追っていた。街道沿いの北の森に神の目は赤い凝ったような強い視線を感じていた。ムッとするような熱気と言った方が良いかも知れない。


 あまり早く出て行くと、馬車に逃げられる。狼たちも街道に出て行くタイミングを図っていた。


 王都とヨルムントをつなぐ街道は、主要街道として礫石でしっかりと固められている。それでも日々の風雨の浸食を受け、往来の馬車の車輪に削られて、荒れた路面はクロノスの馬車を揺らしていた。


「よし、よし、落ち着いて行けよ」


 クロノスは馬を励ましながら、街道を見渡す。幌の無い2頭立ての荷馬車には、市街に運ぶと偽装した羊肉が載せられていた。屠殺されたばかりの羊肉は布が被せられて、人の鼻にはそれほどの臭いにはならないが、隠れている狼たちにとっては美味しそうな臭いを街道にばら撒いて行く。


「ウォーン、ウォー、ウォー」


 合図の鳴き声にバラバラと街道に狼が出て来た。手近な藪から出て来た2頭が両脇を並走して追って来る。ずっと先に前を塞ぐように狼の群れが待ち構えていた。その一番奥にひと際大きな赤狼がいた。


 脇道に入るためには、一度は狼の群れに突っ込まなければならないようだ。馬のスピードが恐れから遅くなる。すかさず両脇を走る狼が前に出て来て馬を威嚇した。2頭の馬が棹立ちになり、悲鳴を上げた。


 クロノスは立ち上がって、長い鞭を両脇の狼に向かって撃ち降ろす。狼は警戒して後ずさって馬から離れた。クロノスは手綱を引き馬を押さえると同時に、もう一度近づいて来た右の狼に鞭を打ち付けた。鞭が狼の鼻を打ち、狼は痛みにクロノスに吼えかかった。


「いけ、いけ、突っ込め」


 クロノスに励まされ、鞭で叩かれて、馬は覚悟を決め身じろぎをする。そこから一気に走り出した。スピードを上げて突っ込んで行く。正面に狼の群れが近づいて来る。待ち構える狼たちは、威嚇に頭を下げ唸りを上げた。

 クロノスがすかさずクロスボウを右側の先頭の狼に撃ち込む。


「今だ、突っ込め。行け」


 クロノスは攻撃を受けて身を引いた狼の列に馬車を突っ込んだ。さすがに勢い付いた2頭引きの馬車を狼たちも身体で止められるはずがない。左右に分断された狼たちは、すかさず馬車に並走して走り出す。両脇から馬を威嚇するもの、御者台によじ登ろうとするもの、クロノスは鞭を振るって近づく狼を打ちつけて行く。


 ドムトルは今回大盾とメイスを持って来ていた。ガンドルフの後ろに立って備えている。


「アダム、馬車はまだ来ないのか?」


 少し焦れて来ていた。開始の合図から時間が経つにつれて、周りの緊張は高まって来ていた。

 アダムは神の目とリンクしながら、実況を伝えた。


「囮の馬車が狼の群れに突っ込んだところだ。クロノスさんが頑張ってる」

「馬鹿、だから、どんな感じなんだよ。見えてるのはお前だけなんだぞ」


 ガンドルフやガネーシア、ビクトールや衛士たち、みんながアダムを注目している。


「大丈夫、狼の列が割れて、抜け出した。脇道に向かって来ている、、、、赤狼が荷台に飛び乗ろうとしたが、クロノスさんがクロスボウで邪魔して止めた」


 クロノスは赤狼が馬車を追い抜いて行った時にその大きさに驚いた。普通の狼は体高が60cmから90cm程度なのだが、赤狼は120cmもあった。馬の体高が160cmなので、並んで走ると随分大きく見える。


 その赤狼が振り向きざまに荷台に飛び乗ろうとジャンプして、前足を御者台の足ふみにかけてよし登ろうと頭を突き出してきた。息も掛かろうとするぐらい近くに大きな口が迫り、手綱を持つ左手に噛みつこうする。


 クロノスは思わず右手に準備していたクロスボウの柄で殴りつけた。その拍子にかけられていた矢が射出され、見当違いの方向に飛んで行く。しかし、その御蔭で赤狼を押し戻すことが出来た。


 クロノスは脇道目指して馬を急かした。


「来ます。脇道に入った。あと少しです。イシスさん準備よろしく」


 アダムが大声で叫んだ。


 荷馬車が脇道の坂を下って来る。路面が荒くなって車輪が跳ねる。藪を擦りながら馬車が降りて来る音が聞こえた。狼の鳴き声が混じって、一段となって走って来る。


 各人が持ち場について待ち構えていた。


 ガン、ガン、ガンと擬音が聞こえるような気がした。並木や藪越しに馬車が見えるような気がするのだ。


「来た、来た」


 ドムトルが叫んだ。


 荷馬車が河原に入って来た。並走するように狼の群れも付いて来ていた。馬車の車輪が河原の石にガクガク跳ねる。クロノスは河原の奥に乗り込ませた。


 坂道の降り口に控えていたイシスが火玉を飛ばして、火を点けた。


「オーン。燃えよ、燃えよ、大きな炎よ立ち上がれ。”Orn. Adolebitque, urere, magna flamma: consurge”」


 脇道の降り口から河原の後背地に炎が立ち上がった。もう火が落ち着くまで逆戻りは出来なくなった。衛士たちが下生えを刈って集めた雑草の山へもイシスが火玉を飛ばして、河原を火の壁で囲んで行った。


「オーン。燃えよ、燃えよ、大きな炎よ立ち上がれ。”Orn. Adolebitque, urere, magna flamma: consurge”」


 クロノスが御者台から立ち上がって、馬の留め具を革ひもごと切り払った。馬はそのままガンドルフの立つ正面の奥へ走り込む。ガンドルフが後ろに逃がし、衛士が手綱を取って、水際を回り込むように、他の馬が繋いである方へ連れて行った。


 クロノスもガンドルフの後ろの柵に着いた。


 河原に入って来た狼の群れは、中央に止められた馬車の周りに固まって、辺りの火の手を見ながら警戒している。その中央に赤狼がすっくりと立ってガンドルフを見詰めていた。


「ウォーン、ウォー、ウォー」


 赤狼は様子見をしていても後手に回ることが分かっていた。赤狼が遠吠えを上げると、周りの狼が次々と遠吠えを上げて行く。狩りへの強い想いが高まって行くのを狼たちは感じていた。


「来るぞ。一人で当たるなよ。複数で当たれ!」


 分散して突っ込んで来る狼の群れに、アダムたちもぶつかって行く。


「オーン。火の神プレゼよ、熱き火の玉をかの敵に与えたまえ。”Orn.Dabit deus ignis ardentis Plese augue ut hosti.”」


 イシスが馬車に火玉を飛ばして、燃え上がらせた。狼の群れを分断するためだ。

 ガンドルフがゆっくりと前へ出て、赤狼に意識を集中していた。赤狼も慌てず、他の狼が突っ込んで行くのに任せ、自分はガンドルフに向かってゆっくりと歩いて来た。


 アダムとドムトルはガンドルフの備えとして、少し後ろに立って様子を見ていた。ドムトルは大盾を前にメイスを肩口に立てて持ち、ガンドルフの後ろから右回りに油断無く、立ち位置を変えて行く。アダムもバックラーを左手に、片手剣を構えて左回りに、赤狼に備えて動いた。


「ウォーン、ウォー、ウォー」

「クッ、うわっ」


 衛士の1人が狼に押し倒された。すかさず別の狼が衛士の肩口に噛みついた。血を流しながら抗う衛士を助けにニンブルが手槍を突っ込んだ。ギャンギャンと狼が悲鳴を上げる。


「立て、建て直せ」


 ニンブルが衛士を引きずり起こした。衛士は肩を押させながら立ち上がった。


「各個に狙って撃て」


 クロノスがビクトール、ガネーシアに声を掛ける。クロノスは既にもう2頭の狼を動けなくしていた。ビクトールはクロスボウに矢を掛けるのに、思ったより時間が掛かってしまっていた。実戦は初めてでは無いので、自分では平気なつもりだったが、体は実戦の恐怖で悴んでいるのだ。


「くそっ」


 ビクトールは大声を出して気勢を上げた。ドムトルには負けられない。


 アダムは意識の一部で神の目と視界を共有していた。それは鷹の目が2つの焦点で物を見ることが出来るのと同じだった。空から冷静な目で俯瞰しながら、赤狼とガンドルフの戦いを注視していた。


「ドムトル、横からくるぞ」


 1頭の狼が赤狼に注意しているドムトルに横から迫っているのが見えた。


「おう、こい」


 どんと狼の突進をドムトルが受ける。ドムトルはまだ身長が150cmくらいしかない。体高が90cmある狼が立ち上がるとドムトルと変わらない。だがドムトルはしっかりと狼の突進を受け止めた。すかさずメイスで狼の頭を殴りつけた。狼は身体を揺らしてよろけた。それを駆け付けたアダムが斬撃を入れる。肩口からざっくりと切り下げた。


「ちょっと、動かないで。清浄せよ。”tersus”」


 ガネーシアが狼に肩口を噛みつかれた衛士を治療していた。血を拭い、水魔法で傷口の消毒をする。傷口に狼の唾液から黴菌が入らないようにしないと、傷口は綺麗に塞がれない。


「オーン。水の女神メーテルよ、我が思いに答えよ、細胞よ、活性化せよ。”Orn. Methel, et ex aqua dea, hercle cogitationes, eu amet”」


 細胞を活性化させ、傷口を塞ぐ。しかし失われた血が再生される訳ではない。また細胞の活性化のために患者側の魔素も消費される。


「ありがとうございます」


 衛士はぐったりと力なく横たわったままで、直ぐに戦いに復帰できることは無かった。

 河原の中央では赤狼とガンドルフの対峙が続いていた。

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