第39話 アンの服作り

 今日はフランソワとソフィーが朝から張り切っていた。王都から生地見本を持って裁縫職人がやって来ていたのだ。来年の春物衣装を作る手はずになっていた。


 プレイルームには生地見本が並べられて、針子のジョセフィーヌが説明していた。ジョセフィーヌは第一夫人のフランソワが娘時代から利用している王都の洋装店の専属針子で、季節毎にやって来る取り決めになっていた。


 テレジアを含めて家族全員の寸法が記録されていて、針子が来るたびに採寸して修正してくれる。特にテレジアやビクトールは成長が早いので、少し余裕を持たせて製作する。その微妙な調整力が王都に本店を置く洋装店の強みだった。世界の流行を取り入れて、生地も好みに合わせて取り寄せて作る。手順と時間の掛かる完全オーダーメイドだった。


「これはエンドラシル帝国東部のトルージャ・シルクです。どうですか、この滑らかな手触り。これで襟ぐりや袖回りを刺繍で飾るのが流行ると思いますわ」


 トルージャ・シルクは本場のシーナ・シルクの蚕を密輸して作ったと言われている。シーナ・シルクはアイサ大陸のシルクロードと呼ばれる交易路を通じてエンドラシル帝国に伝わり、一世を風靡した織物だった。


 アンもテレジアと一緒に参加していたが、テレジアが目を輝かせて大人たちの衣裳談義に聞き入っているのに比べて、アンはどうも乗り気がしなかった。服なんてなんでも着れれば良いように思ってしまうのだ。メルテルが仕事本位でお洒落に関心がなかったことが影響しているのだろう。


「そうね、肌触りも良いし、軽やかだわ。これでシャツを作るのもお洒落だわ」

「ソフィーは身体がほっそりしていて、何を着ても体のラインが綺麗だから羨ましいわ。その上にチュニックを重ねても暑苦しく感じさせないもの」


 フランソワが話ながら、アンのそんな様子に気が付いて、目線でだめよと言って来る。


「ダマスコ織りのウールもお持ちしましたから、色目を決めて頂ければ、上着にはこの生地がよろしいかと思います」


 ジョセフィーヌが並べた生地見本の中から、お勧めの生地をピックアップして勧めてくる。デザイン画は既に何種類も送られて来ていて、生地と色目を決めれば仮縫いできる。子爵一家の好みは洋装店側で十分わかっているので、事前の準備もある程度整っていた。


 フランソワとソフィーは既にこれまで作って来た自分の装いの流れがあるので、その個性を大切にする形でデザインも決めて行く。


 どちらかと言うとフランソワはゴージャス系で新しい流行を取り入れて目を引く装いを考えていた。今回もトルージャ・シルクとダマスコ織りのウールをしっかり採り入れ、装飾性の高い服装を注文することにした。


 ソフィーは逆に派手さを押さえた中にセンスを感じさせる装いを得意としていた。今回はトルージャ・シルクを襟元と袖口に少し見せるぐらいに抑えながらも、スタイルの良い体のラインを魅せる装いを注文した。


 但しザクトと王都は420kmくらいの距離があるので、本縫いして納品までに相当時間が掛かる。今回作るアンの服と、アダム、ドムトル、ビクトールの服は、入学前の3月に王都の子爵の屋敷で受け取ることになっていた。


「男の子たちは学生だし決まった形があるのでつまらないけど、アンは初めてだから色々準備しなくてはね」


 アンは学生服の他に、宮廷に呼ばれることも考えて、普段着からフォーマルまで色々考えなければならない。下着から靴や装飾品まで考えると今回の手配で色々注文する必要があった。フランソワとソフィーの腕が鳴るというものだ。


「あの、アン様と、アダム様、ドムトル様もガストリュー子爵家のお手配でよろしいのですよね」

「ええ、今回の王立学園の入学からは、当家の寄子(よりこ)として扱いますからね」


 ジョセフィーヌの質問にフランソワが答えた。


 寄親(よりおや)・寄子(よりこ)と言うのは貴族制度で言えば、親子に擬制して結ばれた保護者と被保護者の関係を言い、成人してからの主従関係への移行を想定した制度だった。


 アダムたちの正式な扱いは王立学園での成績や行動に応じて王国が決定する。今回の入学に関わる費用も国からの下賜金があるので、子爵側のまる抱えではないが、相応の費用を子爵も負担することになる。そこは領主としての度量の見せどころではあるのだが、いずれ身内に取り込む思惑があればこそと言えるだろう。


 ただアンは特別なので、最終的な処遇はどうなるか分からない。すんなりとガストリュー子爵の身内になれるかは、子爵側の思惑だけでは決まらないと言われていた。


「アンも要望があったらちゃんと言いなさいね」


 アンはフランソワから自分の考えを聞かれて戸惑ってしまう。渡されたデザイン画を見ながら自分が着ている姿を想像するのだが、とても考えられない。だってその画を見る限り、1人で着れる気がしないのだった。


 デザイン画は丈長のチュニックの上着だった。上に重ねて着る緩やかな長袖のチュニックで、床に引きずる程の長さがあった。腕にぴったりとした狭い袖がついて見えるが、袖は本体とは別付けとなっている。刺繍を凝らした豪華な袖になっていた。


「フランソワ、この袖は自分で付けれないですよね」

「当たり前よ。何のために侍女がいるのかしら」


 王都で浮名を流したある公爵夫人は観劇に夢中になっている間に、紐を解かれても気が付かず、幕間になって灯りが点ると、袖なしになっていたと言う艶笑話が流布された。とかく身分の高い女性は一人では身の始末が出来ないのが当たり前なのだ。


「やはり色は赤が人気です。濃い青や黒や白も人気です。アン様の場合はやはり白色をベースにされてはどうでしょうか。その上に着る袖付きのコートはこのデザインで、生地は赤色と藍色のビロードを使い、裏地は季節で付け変えます。いまならリスの毛皮はどうでしょう。これなら王都の社交界でも目立つと思います」


「アン姉さま、素晴らしいと思いますわ」


 テレジアはジョセフィーヌの言ったアンの姿を想像してうっとりとしてしまう。元々感情移入しやすい体質なので、自分の事のように喜んでいる。


「アンには入学準備の為に下賜金もあるのですもの。色違いも注文しておきましょうよ」

「ソフィーの言う通りね。アンをミステリアスに見せるために、黒色をベースにした色違いも揃えましょう。ジョセフィーヌ、それでお願い。あとシュミーズと靴下も決めたいわね」


 アンはどうせ分からないから、私たちが決めて上げなくちゃという、ご夫人方の強い熱意で話は続いて行くのだった。


「あの、アダムやドムトルの寸法は何時取るのでしょう」

「そうそうジョセフィーヌ、男の子たちの採寸もあるのだけれど、それは執事長のベンに言っておくから、後でお任せするわ。お願いね」


 アンがアダムたちの寸法をいつ取るのか聞くと、フランソワはそっちはジョセフィーヌにお任せと投げ出したのだった。


 アダムとドムトル、ビクトールは剣術の講習が終わった後で、執事長のベンが呼びに来て、洋装店の針子の前に連れて行かれた。

 アダムとドムトルは採寸されるのが初めてだったので、何も分からず体を硬くして針子の前に立った。2人はビクトールを真似て言われるままに両手を上げたりして、体の寸法を測ってもらった。


 ジョセフィーヌがデザイン画を見せてくれた。これは学生服の他に今回作るフォーマルの衣裳だと言う。

 アンの衣裳に合わせて、白を基調に作られた長袖のチュニックは、脇部分を紐で絞めてウエストを強調するデザイン性の高いもので、白麻のズボンとの組み合わせは、実に贅沢な衣装に見えた。

 その上に着る袖付きのコートも、濃紺の地に赤と緑でライオンの紋章を表しており、縁取る刺繍も意匠の凝った作りになっていた。


「この紋章はガストリュー子爵家の紋章なんだ」


 ビクトールが誇らしげに紋章の説明をする。


「恰好いいぞ、俺たち」


 アダムとドムトルは顔を見合わせながら相好を崩したのだった。


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