たった二人の世界で

 緩んだ障壁を抜けた魔女。魔女は、僕らに呪いをかけた。

 王子には、青い花でしか解けない呪いを。

 マリィには、花があれば王子が起きるという"希望"という名の呪いを。

 悪魔には、その"希望"さえあればマリィが生きるという呪いを。

「なんて……ことを……」

「解っているく・せ・に」

 終わらない夜の中で。対峙する魔女はそう言った。

「この街にはもうあの花は咲いてない。この国にはもうあの花は咲いてない。この世界にはもう……あの花は、咲いて、な・い」

「そんな……ありもしないものを探してあの子は……」

 獣のような唸り声が大きくなる。

「で・もォ……教えてあげなかったら……、お嬢ちゃんは、泣いて。打ちひしがれて。あのまま死んでしまったかもしれない」

「全部……お前の……」

「死んでしまった想い人のそばで……心臓にナイフを突き立て……」

「やめろ」

「嬉しいく・せ・に。アタクシが教えてあげたから、あの子は“生きる理由”を手に入れた」

「…………」

 こんな地獄に、突き落とすなんて。

「死んで欲しくないあの子が生きることにした。それも……二人きりの世界で。嬉しいで・しょう?」

「やめろ」

 こんなことを喜ぶなんて。

「もう、あの子は貴方のもの。貴方の手の中。手に入らないはずのものが、転がり込んで来た気持ちは……ど・う?」

 ぐわ……と獣の頭蓋骨のような口が大きく開いた。

「あァら、怖い。で・も、アタクシ、知ってるのよ」

 フン、という顔で嗤う、魔女の姿があった。

「あの小さなお嬢さんが、こ・ん・や・く、した瞬間に、この街の障壁が、壊れた」

「…………」

 そうだ。紛れもない事実だ。

 僕の気持ちひとつで、街が壊れ、アリシアとの約束も守ることができなかった。

「どんな気持ち?ね・ん・ね・ちゃん」

 伺うように、上目遣いで、覗き見る魔女の瞳は、キラキラと輝く。

 苦しい。

 僕は……。

 喜んでいる。

 姿を見せるつもりなんてない。これからも。けれど……。

 もしかしたらあの瞳で、僕を見てくれるかもしれない現状を。

 あの婚約者が居なくなった現状を。

 二人でいられる現状を。

 喜んでしまっている。

 俯くしか、できなかった。

「あァら……食べてしまいたい顔をして」

「お前には悪魔は殺せない」

「貴方はアタクシと戦う意味がない」

 これほど面白いことはないと言いたげな魔女の口が歪んだ。

「意味はなくても」

 魔女を掴み、口を開ける。

「あッらァ……こわい」

 ニヤニヤとした表情のままの、棒読みの台詞。

「ふふ、いいわ。退散してあげましょう」

 くるりと悪魔の手から逃れると、魔女は空へ浮かび上がると、そのまま、飛んでいった。

 魔女と戦う意味はない。魂が身体に入っていないのだから。その身体を消滅させたところで意味はない。

 魔女が悪魔を殺すこともできない。必ず悪魔の呪いがかかり、瘴気が蔓延する。何処かにある魂ごとこの世界から消滅してしまう。

 悪魔は、魔女を見送るしかできなかった。

 王子の部屋を覗くと、マリィは絨毯の上で眠っていた。いくら寒くないといっても、床の上だ。

「……また、そんなところで寝て」

 慰めたいが、悪魔は慰める言葉も持たない。

 どうしたらマリィを助けられる。どうしたら……そばにいられる。

「マリィ」

 悪魔は幾度も呼びたいと思っていたその名を呼び、マリィを見下ろすと、そのまま、そっと空へ溶けた。

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