大切な人 1

 その日も、鐘の音で起きた。

 起きても目の前は暗くて、床は冷たかった。

 ぼんやりと目をこする。ホールの床の上だった。

 ランタンをぶら下げて、エルリックの部屋へ入る。エルリックは変わりない。

 エルリックに昨日の話の報告をした。

「私たち、もう皆に会えないんですって」

 まるで、独り言みたい。

「帰ってこられないんですって。私たちも……もう出られない……って……」

 その日も、それからすぐ青い花を探しに行った。かなり遠くまで探しに行ったけれど、花は見つからなかった。橋を渡る。エルリックと渡った橋。

 橋の欄干を撫でる。

 あの日から、変わっていない。

 変わってしまったのはなんだろう。

 少女は変わってしまっただろうか。

 疲れるとスープを作り、少しだけ飲んだ。味は薄いけれど、段々と上手くなっている実感がある。

 ゆっくりと湯船につかり、1日の終わりを迎えた。

 少女が向かった先は、母親の部屋だった。

 暖炉に火を入れると、薄暗いながらも部屋全体が見渡せた。

 母は部屋で縫い物をする事を好む人だった。

 部屋の中には、自作の大きなタペストリーがある。続き部屋にあるベッドも刺繍が施され、ファンシーと言って差し支えない華やかなものになっていた。大きな天蓋付きのベッド。

 暖炉のそばに一際大きな揺り椅子が置いてある。母が大事な話をするときはいつもその場所でしてくれた。

 言い聞かせるように、ゆったりと話す人だった。

 その揺り椅子を仰ぎ見るように、ラグの上に座る。

 爆ぜる火と共に、あの日の母の顔が思い浮かんでは消えた。

 火が燃えるのをじっと見つめていると、自然と涙が出てきた。

 静かに涙は流れて、止まりそうになかった。

 止めかたもわからず、涙が流れるままにした。

 揺り椅子が見える。暖炉の火が見える。

 少女は、そのまま部屋に座り込んでいた。

「…………」

 はっと目を覚ますと母の部屋にいた。あのまま眠ってしまったみたいだった。床の上で目を覚ました。

 泣いたまま眠ったからか、目が腫れぼったくなっていた。

 ため息をついて、身体を起こす。

 その日から少女は、眠る時間は家族ひとりひとりの部屋で眠った。

 父の部屋は荘厳なデスクが置かれた仕事部屋だ。少女はこの部屋自体、あまり来たことがない。分厚い本が何冊も積み重なった部屋。まるで、すぐに誰かが帰ってくるとでも言いたげな。

 その日はランプ全てに明かりを灯し、やはり床に座ると、部屋の中でじっとしていた。

 皆は死んだわけじゃない。お別れを言いたいわけでもない。でも、思い出を一人渡り歩いた。そして、そこでそのまま眠った。

 また料理長の部屋へ行った。使用人達の部屋にそれぞれ入っていった。庭師の部屋は思ったよりも花が少なかった。一人の料理見習いの部屋には少女が好きなケーキの作り方のメモがデスクに置きっぱなしになっていた。

 プライベートを覗きたいわけじゃない。そこにあるものには手を出さず、ただ、床に座り、その部屋の主のことを思い出した。

 そんな日々がしばらく続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る