第72話 続・狐耳と香辛料

・サイド:宿屋の娘 リーネ


 私の家は古くからの宿屋です。

 伝統と格式はあるのですが、古すぎるせいで色々としがらみがあり……身動きが取れずに困っているのです。


 と、いうのも最近は内装やサービスをないがしろにして、とにかく安さで勝負的な宿屋さんが増えました。




 ――取られました。はい、それはもう見事にお客さんを取られました。




 昔ながらの行き届いたサービスと、丁寧に作られた豪華なお食事。

 昔からのやり方では……時代の流れについていけなかったのです。



 経営は火の車です。

 今、まさに明日のお客様に提供する夕餉の仕入れにも困る始末……。


 シェフでもある父は経営には無頓着で、とにかく最高の食材を最高の技術で丁寧に調理してお客様に提供することしか考えていません。


 もちろん、値段も最高です。

 だから、お客さんも来ません。


 経理や、食材も含めた消耗物資の仕入れ担当である私は毎日「ケチるとロクなことはねえ! 何だこの食材はっ!」と、ドヤされることばかりです。



 そして私は今、市場に訪れているのですが……一番の悩みの種は香辛料の仕入れです。




 等量の黄金と同じ量で取引されると言われるほどに高価な調味料なのですが、当然に……火の車の経営状態では痛すぎる出費です。



「あの……足元を見過ぎなのでは?」


「ウチとしてはお売りしなくても一切構わないですが?」



 贔屓にしている食材屋さんから、普段よりも40パーセント増でのレッドパウダーの価格が提示されました。


「いや、しかし……」


「だから言っているでしょう? 行商隊が盗賊に襲われて仕入れ価格が上がっているのですよ」


「お言葉ですが――」と、私は切り出しました。


 私も商売人の娘です。 

 言うべきことは言わないと舐められて、カモにされるのが商売の世界です。


「先ほどのお客様には20%増程度の金額でお売りしていたように見えたのですが?」


「ああ、そのことですか」


 悪びれもせずに食材屋さんはこう言いました。


「常連さん相手には値段を変えているんですよ。仕入れ価格の高騰と言う緊急事態ですからね」


「……え?」


「先ほどのお客様には事情を説明して、ウチとお客様の間で仕入れ価格の上昇分を折半で痛み分け……ということにしたんですよ。昔からの常連さんですからね」


「だったら、私のところにもそのようにしてお売りしていただければ……昔からの常連ということなら一緒でございましょうに」


 そこで食材屋さんはニタリと笑いました。


「オタクの所の宿屋は……長く持たないって聞いてるぜ?」


 口調も変えて、あざけるような視線を送ってきます。


「……それが何か?」


「先の無い取引先は早めに見切りをつけなくちゃいけないって言ってるんだ」


「なっ……!?」


 祖父や曽祖父の代では……この食材屋さんに多額の融資をしたこともあると聞いています。

 あるいは、向こうが苦しい時は多少の色をつけての値段で食材を買い取り続けた時期もある……と。


 そういう信頼関係の中でやっているとこちらは思っていましたが……。

 そうして食材屋さんは営業スマイルと共にこう言いました。


「こちらとしてはお売りしなくても構いませんよ。まあ――この市場で香辛料を取り扱っているのはウチだけですが。文句があるなら隣街にでも足を運んでくださいな。そちらも仕入れ価格の高騰のせいで……さきほど私が提示した金額と変わらない額でしょうがね」



 悔しくて涙が出そうになってきました。

 別にこちらは他に比べて優遇して値段を安くしろと言っている訳ではありません。

 常連価格というものがあるのであれば、常連として扱ってくれ……ただ、そう言っただけなのに……。


 でも、香辛料が無ければ明日のお客様のおもてなしはできません。

 財布を開いて私がなけなしの金貨を払おうとしたところで――。



「さあ、商売の始まりやっ! ウチのトウガラシは他所の半額で売っていくでっ! 更に更に――初回やから半額の更に半額で75パーセント引きやでっ!」


 隣のスペースに絨毯を引いて、狐耳の少女は所狭しと色んな香辛料を広げています。

 レッドパウダーを始めとして、コショウやターメリック……他にも見たこともないような、本当に多種多彩の香辛料が並んでいます。


 それも全ての種類が大量に、山盛りに盛られています。


 レッドパウダーだけを取っても、今、私がお話をしている食材屋さんが並べている量の数倍はあるでしょうか。


 ニコニコ笑顔で狐耳の少女は言葉を続けました


「持ってけ泥棒って奴や! 一人金貨5枚分が上限――早いモン勝ちやでっ!」


「他よりも50%引きだって?」


「どうしてそんな値段でやれるんだ!?」


「っていうか、今日に限っては75%引きだと!?」


 まあ、当たり前の反応として、瞬く間に人がその場に群がったのは言うまでもありません。






 ――そうして。

 それから1か月もせずに、私の宿屋が取引していた食材屋さんは香辛料の販売を停止したとのことです。


 噂によれば、その食材屋さんは砂糖事業からも撤退したとのことです。

 香辛料と砂糖の不良在庫を大量に抱えて……多額の借金があるとかないとか。




 更に言えば、食材屋さんのメインのご商売である、レア度の高い魔物の食材も……最近では狐耳の少女が属する商会が格安で販売を開始したとのことです。

 その商会では、狩猟から素材の解体、運搬から販売までを全て自前でやるらしいです。

 取り扱っているモノは全て一流で、そして全て格安。


 本当に凄いですね。




 そして、これは噂ではなく、直接に金融屋さんから聞いたのですが「先の無い取引先は、早めに見切りをつけなくちゃいけない」と判断したらしいです。

 つまり、その金融屋さんは古くからウチの宿屋が取引している、あの食材屋さんに対する差押えも含めた強制手段も含めた借金の取り立ての準備に入った……とのことですね。






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