第51話 怠惰の毒牙
「貴様が出迎えとはな、アスタロト」
テネブリスは獅子の姿となったマルバスに跨がったまま、アスタロトを見下ろす。
その蒼い双眸は、本来ここにいるはずのない配下の存在をまじまじと見つめていた。
(おかしい……なぜここに
どこか腑に落ちない様子を見せるテネブリスに対して、アスタロトは気怠そうに答えた。
「出迎え……かぁ。別に、迎えてはないんだけどね」
「ほう、では誰の差し金だ?」
「そんな事、どうだっていいじゃん。とりあえず僕の仕事はもう終わり、じゃあね」
アスタロトは片手を空に向け、振り返ろうとする。
しかしそれを重々しい獣のような声が呼び止めた。
「アスタロト……我が主に対して不敬だぞ?」
「――――はぁ?」
アスタロトは目を見開き、声を発した獅子の魔獣――マルバスを睨む。
人間、それも勇者を背に乗せた
「その勇者が主……? 笑えない冗談だね。君の七魔臣としての誇りとやらは、どこかに消えちゃったのかなぁ?」
「もともと誇りなど持ち合わせておらぬお主に、それを言われる筋合いはない。それに……儂の誇りは常にテネブリス様と共にある」
「ぷっ、だっさ」
アスタロトは哀れみの表情でマルバスを見やる。まるで人間に飼われた獣。そんな輩が何を言おうと、アスタロトの心には届かない。
「テネブリス様……こやつには少々仕置きが必要かと」
「ふん、好きにしろ。私はこのままメンシスへ向かいベリアルとビフロンスに接触する」
「はっ、お気をつけて」
マルバスはテネブリスを丁寧に降ろすと、いつもの獣人の姿へと戻った。そして深く一礼し、メンシスへと歩き出した主を見送る。
その一連のやり取りを黙って見ていたアスタロトは、猜疑の目でマルバスを見つめる。
(何……? まるで勇者の事をテネブリス様だと思ってるみたいな態度……まさか洗脳されてる? それとも裏切り? 何かわかんないけど、めんどくさ…………はぁ、最悪)
アスタロトは大きな溜め息をひとつ。そして、やれやれと肩を竦めると、両手を腰に当てて宣言した。
「しょうがないなぁ、マルバス。僕が君を助けてあげるよ」
「……笑止。お主の方こそ、儂が目を覚まさせてやる」
マルバスは荒れた地面を蹴って高く跳躍してアスタロトに近づくと、落下の勢いを利用し踵を振り落とす。
七魔臣と言えども、当たれば無事では済まない。それほどの攻撃が同胞に対して行われている。つまり――これは本気だ、とアスタロトはひらりと身を躱しながら察知した。
空を切った踵は地面を砕き、粉塵が舞い上がる。視界が霞むが、七魔臣である彼らには特に影響はない。マルバスは相手が放つ殺気や闘気でおおよその位置が手に取るようにわかる。
対するアスタロトは、尋常ならざる聴力で相手の動きや位置を察知することができる。
「霊位魔法――
アスタロトが手をかざした先に、五つの濃紫色の
目にも止まらぬ速さで飛ばされた五つある氷柱のうち、二つがマルバスの肩付近に突き刺さる。
マルバスの並外れた動体視力をもってしても、全てを躱すまでには至らない。しかし、アスタロトは全て当てるつもりで攻撃したのだから、結果的にはイーブンといったところだろう。
「うっ……!」
肩に刺さった濃紫色の氷柱をすぐに抜くと、マルバスは獅子の表情を険しくする。
ダメージは大した事はない。だが、この氷柱はただの氷柱ではなかった。
アスタロトは毒の使い手だ。
アスタロトが放つ魔法は、それがただの攻撃魔法であっても全て猛毒によって強化されている。
普通であれば一箇所だけでも致命的なダメージを負う猛毒を、マルバスは二箇所も食らった。
つまり、無事で済むはずはない――――普通であれば。
「いやはや……。第六魔臣であるお主が、
「……ちっ!」
アスタロトは舌打ちする。
そうしている間に、マルバスの肩にあった傷はみるみるうちに再生していく。
(やっぱり、
マルバスは魔法が使えない。
だがそれを補うように、獣人である身体能力を駆使した肉弾戦を得意としている。鍛えぬかれた強靭な体躯は、それだけで大きな武器となる。
しかしマルバスにはもう一つ、
魔力を消費する代わりに、あらゆる傷やダメージを自己再生する。その能力によって、マルバスは七魔臣の中でも接近戦においては随一の強さを誇っている。
「お主の猛毒も、儂には無駄だな」
マルバスはそう言って、アスタロトに向かってゆっくりと歩み寄ってくる。
ただ歩いて近づいてくるだけだというのに、一切の隙がない。攻撃しようにも逃げようにも、まるでアスタロトの動きを牽制するかのように、マルバスからは凄まじい圧が放たれたれている。
「アスタロト……今すぐあの御方に誠心誠意の謝罪をするなら、儂も気が変わらんでもない。だがいつまでもその態度を崩さぬというなら――」
「あぁもう、うるさいなぁ……霊位魔法――
マルバスの言葉を遮るように、アスタロトの周囲から無数の毒氷柱が放たれる。
回避は不可能の広範囲魔法。いくら再生すると言っても、再生する以上に攻撃を積み重ねればいつか倒せるはず――と、アスタロトは手を緩めない。
「霊位魔法――
マルバスの頭上に、巨体な濃紫の結晶体が出現する。宝石のように煌めくその塊は、アスタロトの手に操られるようにして、地面に向かって急速に落下していく。
直後、轟音が大地を揺らした。
舞い上がる粉塵に紛れ、輝きを放つ無数の毒氷柱の破片。幻想的な光景とは裏腹に、熾烈な一撃がマルバスにもたらされた。
(さすがにここまで連続で攻撃を受けたら無事じゃ――!!)
アスタロトの超聴覚に、その反応があった。
それを裏付けるように、次第に晴れていく粉塵の奥には凛々しい影が佇んでいる。
彼女はただ、目の前で起きているその事実に唖然とした。
「ふぅむ……悪くない。だが、儂の命には届かぬ」
ぱんぱんと手で無傷の身体を払いながら、マルバスは淡々と告げる。
アスタロトの怒涛の連撃。その全てはマルバスに直撃していた。だが当てるだけでは強靭な獅子の肉体に傷を負わす事は出来ない。
いかに強大な攻撃を当てようとも、それを上回る速度で再生を行う肉体には何の意味ももたないのだ。
「さて、儂の番だな」
マルバスは一気に間合いを詰める。
面食らったアスタロトは一瞬反応が遅れた。その一瞬が、高度な戦いにおいては致命的になる。
――――メキッッ
アスタロトの華奢な身体に、岩石のように大きく硬質な獣拳がめり込む。
渾身の力を込めた右拳。その一撃は、いとも容易くアスタロトの身体を遥か後方へと吹き飛ばした。
「……手応えあり」
マルバスの握った右拳には、力だけでなく七魔臣としての誇りが込められている。
魔王テネブリスの直属の配下として、その誇りを嗤う者にもはや情けは無用。
吹き飛んでいくアスタロト。すると、それを眺めつつ残心しているマルバスに向けて、どこからか魔法が放たれた。
「霊位魔法――
目まぐるしい速度で到達した幾つもの光弾。それら全てがマルバスの身体に直撃し、屈強な体躯を焦げつかせた。
「うぐっ……!? これは…………!?」
ダメージを再生しながらも、思わず片膝をついたマルバス。その視線の先に現れた
「マルバス……仲間割れかのぅ? それとも…………裏切りか?」
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