第7話 決着
テネブリスが口にしたちょっとした思いつき。
それを伝えようと隣に視線を向けると、アルキュミーは眉間にシワを寄せながら頬を膨らませていた。
何を怒っているのか、何か気に触れる事でも言ったかと、テネブリスは困惑する。
その様子を察してか、アルキュミーはポツリと呟いた。
「……ちゃんと名前で呼んで」
「……何?」
「だから……ちゃんと名前で呼んで欲しいの。さっき、女、って呼び捨てにしたでしょう……?」
こんな時に何を言っているんだ、と開いた口が塞がらない。
そしてテネブリスは目の前の女に、
(人間……いや、女という生き物はどうしてこうも面倒なのだ……。しかし状況が状況、じきにオーガも動き出す。名前を口にするだけで済むのなら安いものだ。さて、確か名前は……)
そこまで考えた所で思考が止まる。
名前が思い出せない。いや、正確には知らない、というのが正しい。
テネブリスは顎先に指を添えながら、いつぞやの会話の折に聞いた
(アルケミー、だったか? いや、アルキュリー? 確かこんな感じだったはずだが……)
そのまま考え込んでいると、アルキュミーが小さな溜息をつく。
そして観念したような表情を見せると、俯いた視線のまま口を開いた。
「……アルキュミーよ。婚約者の名前ぐらい、たとえ記憶を無くしていても覚えてて欲しかったわ……」
テネブリスは目の前の女の名前と共に、予想だにしない事実を知る事になった。
そして今までの彼女とのやり取りを思い返し、なるほど、と合点がいく。
(まさか婚約者がいたとはな……ふん、勇者も隅に置けないな)
意図せず予想外の事実を聞いてしまったが、いつまでもそんな事に構ってられる状況ではない。
既に視界を回復させたオーガは、憤怒の色に染まった瞳をテネブリス達に向けていた。その様子に、今にも怒り狂って攻撃してくるのが想像できる。
オーガの動向に注意を払いながら、改めてアルキュミーにちょっとした思いつきを説明する。一応、名前を呼ぶ事も忘れない。
「確か、人位魔法に
「……えっ!? でもそんな事をして一体……」
「いいから早くやるのだ!」
「わ、わかったわよ……人位魔法――
魔法の詠唱が終わると、二人は青白い光に包まれる。
アルキュミーとの魔力的な繋がりを感じた途端、次第にテネブリスに魔力が宿っていく。みるみる溢れていくこの魔力は、テネブリスのものではなくアルキュミーのものだ。
人位魔法――
かねてよりこの魔法は、魔力切れの魔法使いの為の非常用の魔法として、一般的には認知されていた。
テネブリスは久方ぶりの魔力を感じて悦に浸る。その魔力は、魔王であった頃とは比べ物にならない程僅かではあるが。
そうこうしていると、すぐそこまでオーガが鬼気迫る勢いで迫ってきていた。
それに気付いたアルキュミーは思わず声を上げる。
「ルクルース! 危なっ……!」
その声も虚しく、オーガの巨大な拳は容赦なくルクルースに振り落とされる。
――はずだった。
「ナ、ニ……!?」
オーガは、一体何が起こったか理解できない。
怒りを込めた渾身の一撃を、先程まで死にかけていた勇者が両手で受け止めているのだ。
「ふむ……成果は上々、と言ったところか」
思いつきが想定通り成功した事を確かめると、受け止めていた巨大な拳を払い除けた。その勢いに押され、オーガは数歩後ろによろめく。
(さすがは勇者の身体……。やはり魔力があればそれなりに戦える)
すっかり自信と威厳を取り戻したテネブリスは、魔王たる堂々とした態度でオーガに向けて言い放つ。
「貴様にはまだ聞きたいことがある。大人しく答えるなら、命だけは助けてやろう」
「ナッ……フザケルナ!! 人間ハ! 勇者ハ! 俺タチノ敵ダァァァ!!」
「そうか……私は人間でもなく勇者でもなく――――魔王、なのだがな」
「黙レ! 殺ス! 殺スッ! 殺スゥゥゥ!!」
テネブリスは呆れたような笑みを浮かべ、右手を正面にかざす。
(もうコイツは駄目だ、話しが通じぬ。やはりオーガでは……)
そこまで考えた所で、ある可能性に気付く。
(もしや……わざわざ知能の低いオーガを送り込んだのは、こういった局面を見据えての事か? となれば、このオーガはおそらく捨て駒。これ以上情報を聞き出すのは不可能だろう。ふん……ならば捨て駒は捨て駒らしく、完膚なきまでに葬ってやるとしよう)
静かに佇むテネブリスに向かって、怒りに任せたオーガは再び拳を大きく振りかぶる。だが、その拳はテネブリスに届く事はなかった。
「憐れな事だ。人位魔法――
テネブリスが魔法を詠唱すると、目の前にいた巨体は糸が切れたかのように崩れ落ちた。
この魔法は、術者より魔力量が低い相手にのみ効果が限定されるが、対象の意識を喪失させる効果を持つ。
テネブリス自体の魔力は皆無だったが、現在はアルキュミーの魔力を共有している。そのおかげで、魔法の効果は遺憾なく発揮された。
そして、テネブリスは続けざまに魔法を放つ。
気を失っただけで、まだ息の根があるその巨体にとどめを刺す為に。
「人位魔法――
指先から生まれた火球が、倒れているオーガの顔面に放たれる。はじめは
燃え盛る炎に成す術もなく、屈強な巨体は瞬く間に焼け焦げていった。
消し炭になったオーガを見下していると、身体の内から僅かに湧き出る何かにテネブリスは気付く。
先程までその身に感じていた、アルキュミーの魔力とは似て非なる何か。
テネブリスはその感覚に覚えがある。
――そう、これは魔力だ。
――しかもこれはただの魔力ではない。
――私の魔力だ。
不敵な笑みを浮かべその場に立ちすくんでいると、安心した様子でアルキュミーが近寄ってくる。
「ルクルース! よかった……一体どうなるかと思った……」
そう言って微かな笑みと、目に涙を浮かべながら、未だ生々しい傷が残るテネブリスの身体を抱きしめた。
アルキュミーと勇者の関係を知ってしまったテネブリスは、怪訝な顔をしつつも身を委ねる。
(……借りはこれで返させてもらう)
ほどなくして、アルキュミーが持つ柔らかな双丘の感触を鎧越しに感じつつ、ある事を確認する。
「一つ確認するが、もうの
「う、うん。あなたのせいで疲労感が物凄いけど……。オーガが倒されてから
(ふむ……となると、未だ私の中に燻っているこの魔力はやはり……。オーガを、いや、魔族を殺した事でかつての魔力を取り戻せたのだとしたら……いや、まだ可能性の域を出ないが……試す価値はある)
一つの可能性を見出したテネブリスは、僅かに口角を上げた。
すると、ちょうどアルキュミーが身体から離れたのを見計らってか、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
「おーい、みんな! って、ルクルース!?」
「ルクルース……! ヒドい怪我じゃないですか!」
現れたのは剣士の男・フェルムと、ハーフエルフの神官・クラルス。
特に怪我も疲労感もない様子を見て、アルキュミーは彼らが難なくオーガを倒した事を察した。
そんな二人は、ダメージを負った姿のテネブリスを見て動揺する。
「勝った……んだよな? というか無事か……?」
「すぐに回復を……!」
二人の心配を掻き消すように、テネブリスは右手をバッと横に振り払う。
そして白金の鎧を流れる血で染めながら、誇り高く宣言する。
「ふんっ、私を誰だと思っている。凄惨たる魔王、テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールであるぞ!」
その言葉を聞いたアルキュミー達は、テネブリスが無事である事を理解し、苦笑いで答えるのだった。
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