第35話 今のジェミーとつないだ手

 何度かの遭遇戦ののち、ようやく俺達は『反転迷宮テネブレ』の縁へと到達していた。

 真っ暗闇に流動する闇の壁を前に、俺は思わず固唾をのんで立ち尽くす。


「ここから先が本番だ。準備はいいか?」


 そう言いながらも、俺は自身の心の準備不足を痛感してしまう。

 いよいよだと思うと、怯懦が這い上がって俺の心を揺らすのだ。


「大丈夫?」

「……ああ。覚悟、したはずなんだがな」


 黒い何かに満たされて裏返ってしまったフラーマを思い出して、足がすくみそうになる。

 叔父の言う事は信用できる。〝存在証痕スティグマタ〟があれば、あの闇の中であっても進めるし、事実として俺は無事だった。

 だが、仲間たちは本当に安全なのかという猜疑心が、恐怖を膨らませてしまうのだ。


「おにいちゃん、大丈夫。いざとなれば、ルンもいるからね」

「ああ。そうだったな。頼らせてもらうよ」


 冒険者としての技術は皆無に近いニーベルンであるが、その実、彼女の存在は非常に重要だ。

 〝生配信〟用『ゴプロ君G』の運用に加え、ニーベルンの操る〝黄金〟は俺達にとって最後のセーフティーネットになりえる力である。

 加えて、彼女と叔父さんと俺──つまり、渡り歩く者ウォーカーズ三人で話し合って決めた、ある約束のこともある。

 ニーベルンの安全がこの冒険の肝になると言っても過言ではない。


「あたしの勘によると、大丈夫な気がするんだけどなぁ」

「勘任せはよくないですよ、マリナ。ですから、こうしましょう」


 シルクが指を鳴らすと、その銀髪の隙間から小さな白蛇がするりと姿を現す。

 普通、精霊というのは自らの司る属性の場所にいるものだが、記憶と物語の精霊であるビブリオンは、シルクの髪の中に潜むことが多い。

 観察者かつ記録者であるこの精霊は、ある高位存在の端末でもあり、俺達の『物語』に宿る精霊なのだとか。

 そして、彼のに蓄えられた数々の記録は、短期的な未来予知をもたらす力として顕現する。


「ビブリオン、お願いします」

「────」


 囁くような鳴き声を上げて、するすると渦巻く精霊ビブリオン。

 しばしすると、何かをシルクに囁いて、その髪の中へ戻っていった。


「これに触れても問題ないみたいですよ。わたくし達が影の人シャドウストーカーになる未来の可能性は存在しないそうです」

「そうか。ありがとう、ビブリオン」


 俺の謝辞に、白蛇が銀髪から尻尾だけを小さく振って応えた。

 気難しい精霊がほとんどなのに、ビブリオンは人に親しいので、助かっている。


「では、踏み込みましょう。ユークさん、突入の行動計画はどうしますか?」

「予定通り、パーティ全員で手を繋いでひと固まりで進入する。内部がすでに『透明の闇』と化しているとしたら、離れると迷子では済まないからな」


 入った瞬間の襲撃に即応できないというデメリットはある。

 さりとて、時間も空間も曖昧な暗闇が永遠に続くあの場所で、離ればなれになる方がまずい。


 しかも、『グラッド・シィ=イム』の時と、事情が違う。

 あの時に迷い込んだ『透明な闇』は文字通り何もなくて、ただただ静謐であったが……この『反転迷宮テネブレ』は迷宮を取り込んで溢れ出したものだ。

 影の人シャドウストーカーが内部に消えたことも鑑みると、より大きな危険が待っている可能性は否定できない。

 で、あれば。多少のリスクはあってもパーティが離散しないようにするのが肝要と言えるだろう。


「オーケー。じゃあ、強化魔法をお願い。アタシも手伝うわ」

「ああ、身体強化はジェミーに任せるよ」


 〈魔力継続回復リフレッシュ・マナ〉を飛ばしながら、俺はジェミーに頷く。

 頷き返したジェミーは小さく詠唱を口にして、次々に身体強化魔法フィジカルエンチャントを仲間たちに付与していった。


 あの『サンダーパイク』の事件以来、彼女は相当に努力したとベンウッドから聞いた。

 俺達『クローバー』が、暫定的とはいえAランクパーティとして活動していると知ったジェミーは、ベンウッドとママルに頼み込んでギルドの職員もしつつ冒険者予備研修を受け直していたらしい。

 受け持った教官の中にはモリア老や、今は引退した歴戦の冒険者たちの姿もあり、ベンウッド曰く「世界の端に挑むに申し分なくなった」とのこと。

 もともと、才能はあったのだろうと思う。


「こっちも強化完了だ」


 いくつかの防護魔法を付与し、腰ベルトに挿した【多重強化の巻物マルチエンチャントスクロール】も確認する。

 何かしらの緊急事態があっても、これを使えば一時しのぎは可能だ。


「いいなぁ。あたしも魔法使えるようにならないかな?」


 強化魔法の具合を確かめながらぼやくマリナに、俺は苦笑する。


「隣の芝生は青く見えるもんだよ、マリナ」

「そういうもの?」

「そういうもの。俺だってマリナみたいに最前線で太刀を振るうだけの膂力とセンスが欲しいと何度も思った。男のくせにサポートしかできないなんて……と、随分悩んだものさ」


 冒険者として俺を振り返れば、華など最初からなかった。

 悪目立ちとすらいえる深紅の冒険装束を纏いながら〝配信〟に映ることもなく、『サンダーパイク』の裏方として過ごして来た五年間。

 剣を磨き、魔法を磨き、錬金術を磨いたが、そのどれもが俺を中衛のサポーターたらしめる結果となったのは、今でも少し自嘲があるくらいだ。

 マリナほどの前衛戦闘力があれば、俺の冒険者人生はもっと違ったものになっていただろう。


「ん-、でも……ユークは前衛でも十分戦えるでしょ?」

「買いかぶり過ぎだ。俺の役回りは中衛でサポーター。みんなが戦いやすいようにどこででもそれなりに働きはするけど、やっぱりみんながいなくちゃ心もとない」


 顔を上げて、見回して、そして精一杯の強がりも込めて俺は笑う。


「──だから、みんな。頼りにしてる」


 仲間たちが頷き返すのを見て、俺は大きく息を吸い込む。


「よし、それじゃあ。行こう!」


 俺が両手を差し出すと、その左手をレインがとった。


「んふふ、ボクはここが、定位置。手、離さないで、ね?」


 空いた右手はシルクがとる。


「サブリーダーの位置はここですね?」

「む、ずるい! じゃ、あたしはレインとつなごっかな」


 マリナが舌を出しながらレインと手を繋ぐ。


「ルン、こっちおいで。アタシとつなごう」

「はい。おねがいします」


 ニーベルンと手を繋いだジェミーが、シルクに手を差し出す。


「いい?」

「もちろん」

「じゃ、私はマリナさんとつなぐっす」


 最後に残ったネネが、マリナの差し出した手を握る。

 しっかりとお互いの手を確認して、息をのむ。


「〝生配信〟スタート! これより『反転迷宮テネブレ』の攻略を開始する!」

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