第三部

第1話 訪問者と予感

 『グラッド=シィ・イム』での冒険から約二ヵ月。


 春の陽気が、徐々に汗ばむ夏の気配を帯び始めた頃。

 俺達『クローバー』のパーティ拠点に、ある来客があった。


「よ、邪魔するぜ」

「ベンウッド? 今日は約束してなかったはずだけど?」

「ああ。ちょっと急な用件でな。直接寄らせてもらった」


 軽く笑いながら入ってきたのは、フィニス冒険者ギルドのマスターであるベンウッドである。

 この男が突然訪ねてくるのは、まあいつものことだが、いつもと違ったのは、相変わらずのでかいガタイの後ろに、外套を目深にかぶった姿の何者かを伴っているということだ。

 やや怪しい風体だが、ベンウッドが連れているのであれば警戒は必要あるまい。


「あら、こんにちは。ギルドマスター。今、お茶を用意しますね」

「ああ、よろしく頼むよ。シルクちゃん」


 キッチンからちらりと顔をのぞかせたシルクが、挨拶だけしてすぐに引っ込む。

 そんなシルクに返事だけ返して、勧めるまでもなく手近な椅子に腰を下ろしたベンウッドに、俺は小さくため息をつく。

 最近、いろいろな相談をするために招くことは多かったが、流石に馴染みすぎではないだろうか。

 とはいえ、客を立たせっぱなしにするのもどうかと思った俺は、ローブ姿の誰かに声をかける。


「こちらの椅子にどうぞ。よかったら上着も預かりますよ」

「これはご丁寧に痛み入る。ユーク・フェルディオ殿」


 その声に、引っかかりを感じて俺は思考を巡らせる。

 聞いたことのある声なのだが、誰だったか思い出せない。

 が……その疑問はすぐさま晴れた。


「……ッ!!」


 外套を脱いだその姿を見た瞬間、俺は片膝をついて首を垂れる。

 心臓が止まるかと思った。こんな所にいるはずのない人が、いる。


「おっと、そういうのは無しで頼むよ。今日は、お忍びで……ベンウッドの友人としてきているのだから、気軽にビンスと呼んでくれたまえ」


 そう柔和に笑うこの人は、『現ウェルメリア国王』ビンセント五世。

 元冒険者という異例の肩書を持つ国王であり、ここ十数年で一気にウェルメリアを豊かにした改革者でもある。

 ベンウッドの友人であってもおかしくはないが、決して気軽に接していい相手ではない。


「あれ、お客さん? いらっしゃい! ゆっくりしていってね!」


 買い物にでも行くつもりなのだろう、メリハリのある体のラインがはっきりと出る薄着のマリナが、階段から降りてきて普段通りの様子で声をかけてくる。

 心臓に悪いのでやめてほしい。不敬罪を問われたらどうする。


「おお、マリナさん。いつも配信で見ているけど、実際に見ると君は一層美しいな」

「えへへ、ありがと。おじさんは、何か依頼?」

「まあね。これからそれについて話すところさ」

「そうなんだ。もし、お仕事を受けることになったら、よろしくお願いします!」


 ペコリと頭を下げて、鼻歌まじりにマリナが出かけていく。

 一方、俺は胃痛と頭痛で倒れそうになりながら、王に向き直る。

 ああ、これなら『ヴォーダン王』に対していた時の方が、ずっと気楽だった。


「ユーク、本当に気を遣わないでいいぞ。こいつはサーガの兄弟分だからな」

「つまり、君は私にとっては弟みたいなものだ」

「ってことは、儂の弟子ってことだ」

「それはどうかな、ベンウッド」


 本当に仲良さげにしているのを見て、俺も少しばかり肩の力を抜く。

 そのタイミングで、シルクがお茶をもって現れた。


「……」


 やはり固まるか。

 固まるしかないよな。トレーを落とさなかっただけ、シルクはえらいと思う。


「君がサブリーダーのシルク・アンバーウッドさんだね。是非君にも同席していただきたい」

「は、はひ」


 すっかり緊張でガチガチになったシルクが俺の隣に腰を下ろし、四人でテーブルを囲むことになった。


「マストマ王子から、書簡をもらった」

「ッ!」


 毒見もなしに一口茶を含んだビンセント王が、ズバリと本題を切り出す。

 さすが元冒険者はこちらの流儀を心得ているようだ。


「加えて、ベンウッドとマニエラを通して、君から相談の上がっていた件についても議会で考えさせてもらった。結果から言うと、今回の件……王国として介入を行うべきと判断した」

「やはり、そうですか」

「ああ。君の懸念と判断は正しい。よく報告を上げてくれた」

「ありがたいお言葉です」


 俺の返答に、ビンセント王が苦笑する。


「固いな。若い冒険者はもう少し粗野であってもいいものだが」

「陛下からAランクの称号をいただいておりますので」


 俺の答えに小さく噴き出して、ビンセント王が小さな小箱を取り出す。

 よく磨かれた木材でできたそれを俺の前において、にこりとする。

 他の蓋には、ウェルメリア王国の正式な印が刻まれている。


「まず、今回の件を依頼するにあたって、前報酬を君に渡しておく」

「これは?」

「開けてみたまえ」


 言われるがまま、しかしおそるおそる箱を開ける。

 そこには、白銀製と思われる四葉のシロツメクサクローバーの意匠が施された襟章が、輝いて鎮座していた。


「……?」

「……?」


 シルクと二人で襟章をしばし見つめ、同時に息をのむ。

 これはまずい。非常にまずいものだ。


 油を差し忘れて錆びた滑車のようにして、ぎこちなく首を動かして王を見る。

 満面の笑顔でにこにことしながら、我が王はパンと拍手を打つ。


「おめでとう。今日から君もウェルメリア貴族だ」

「やったなユーク! これでお前も儂と同じ“迷宮伯”の仲間入りだぞ!」

「ま、待ってください。どういうことです? まったく、理解が……追いつきませんよ!」


 “迷宮伯”というのは、ウェルメリア独自の貴族位である。

 これは、ウェルメリアの推し進める迷宮資源獲得や、迷宮管理上必要な攻略などで大きな成果を上げた冒険者が得る、冒険者の最高栄誉と言えるものだ。

 一代限りの名誉爵位であるものの、その権威的な意味合いではただのAランクよりも高く、さらに王直下の家臣……つまり、貴族としてふるまうことができる。


 そんなものを、手土産感覚で授けられてはたまったものではない。


「受取れません」

「残念ながら、もう王議会を通しちゃってるんだ。渡すのが遅れてしまってすまないね、〝勇者〟ユーク・フェルディオ」

「……!」


 手元のこれが、まったく冗談ではないということがすぐに理解できた。

 これは、おそらく厄介なことになる。


 新たな冒険の幕開けは、そんな予感と共に始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る