第49話 帰還と帰還

 何も見えないのに何もかもが見える透明度の高い闇の中、ルンの手を引いて進む。

 少しばかりの不安はあるが、みんなには帰ると約束したし、ロゥゲにはルンの事を頼まれている。

 諦めるという選択肢はまずない。


 しばし、勘を頼りに歩いていると遠くに光が見えた。

 まったくもって妙ではあるのだが、それが出口だという確信が俺にはあった。


「行こうか」

「うん」


 ルンの手を引いて、光に向かう。

 徐々に大きくまばゆくなる光は、亀裂のような形をしていてその輪郭は時折揺らいでいるように見えた。


「手を離すなよ、ルン」

「うん……!」


 俺の手を握り返すルンの手を引いて、光に飛び込む。

 その瞬間、今まであった足元のおぼつかない浮遊感が消えて、はっきりとした感触が俺を包んだ。


「ガボボボガボ……ッ!」


 冷たさと息苦しさと、体にかかる圧力。

 どうやら、水のなかに放り出されたようだ。

 ルンの手を引いて、光がきらめく水面へと浮かび上がる。


「……ぷはっ。ルン、大丈夫か?」

「うん。びっくりした」


 意外に何ともなさそうなルンの手を引いて、川岸へと向かう。

 水にぬれた冒険装束が疲労した体にまとわりついてげんなりとしたが、それでも安心感が強い。

 なにせ、目に映るのはここ最近で見慣れた風景だ。


 迷宮が出現したオルガン湖から伸びる河川。

 俺達はどうやらその川底から這い出てきたらしい。


「びしょびしょだな……。だが、無事生還だ。歩けそうか?」

「大丈夫。早くもどろ!」


 にこりと笑うルンに、俺も軽く笑顔を返して歩き始める。

 街道から少し外れてはいるが、ここから暫定キャンプまでそう遠くはない。

 先に脱出したみんなや他のAランクパーティもおそらくそこにいるはずだ。


「ん?」


 濡れた身体を晒したまま歩くこと数十分。

 ようやく見えてきた攻略用暫定キャンプの様相が少しおかしいことに気が付いた俺は、軽く首を傾げた。

 迷宮が消えたためか、すでに解体と撤退が始まっている様でその規模は随分と小さくなってしまっている。

 いくら迷宮が消えてしまったとはいえ、その後の調査や確認があるだろうに随分と仕事の早いことだ。


「おーい!」

「……!」


 入り口に差し掛かかったところで見知った顔の研究者──ラルムさん──に手を振ると、彼は荷物を持ったまま固まってしまった。

 迷宮に潜っていた冒険者が、迷宮の出入り口以外からずぶぬれで帰ってくれば驚いてしまうのも仕方ないだろうが、そこまで驚かなくてもいいんじゃないだろうか。


「ユ、ユークさん!? それにニーベルンも!」

「ただいま戻りました。この様子はどうしたんです?」

「どうしたんです、はこっちの台詞です! 二週間も姿が見えなかったので、『依頼中行方不明者』になってますよ!」


 すごい剣幕のラルムさんの言葉に、今度は俺が固まることになってしまった。

 『依頼中行方不明者』というのは冒険者界隈で言うところの死亡とほぼ同義である。

 冒険地域から帰ってこず、行方不明になった冒険者というのはおおよそ死亡しているからだ。

 


「……二週間? 本当に?」

「はい。今までどうしてたんですか?」


 そう言われても困る。

 体感ではせいぜい1~2時間といったところだったはずだ。


「とにかく報告ですね。皆さん、心配しておられましたよ」

「みんなは無事?」

「ええ」


 それを聞いてほっとした。

 そんな俺とルンを見たラルムさんが、小さくため息を吐き出して落ち着きを取り戻す。


「すぐに馬車を出します。私も侯爵閣下やギルドマスターへ報告しないといけませんので同行しますよ。ここで待っていてください」


 走っていくラルムさんの背中を見送ってから、ルンと顔を見合わせる。


「ねえ、お兄ちゃん。二週間もたってるってどういうことかな?」

「もしかすると、あの闇の中は時間の流れが違うのかもしれないな」


 推測になるが、あの『無色の闇』の時間の流れが違うのかもしれない。

 何せ、世界そのものが消え失せた“なにもない”場所だ。

 時間の概念自体がねじ曲がっていてもおかしくはないだろう。


 そもそも、俺がサイモンを『無色の闇』に残してから一年もたってやしないのに、歴史上『グラッド・シィ=イム』に『一つの黄金』が現れてから数百年は経っていることになっていた。

 時間の流れそのものが違うって可能性は十分にある。


 そう考えると、背筋が寒くなってきた。


 状況的に、闇から抜け出した先が千年先だっておかしくはなかったのだ。

 あの迷宮での別れが、今生のものとなっていた可能性だってある。

ここは二週間で済んだ、と前向きに考えるべき所かもしれない。


「お待たせしました」


 ルンと二人、考え込んでいるとラルムさんが簡素な四人乗りの馬車に乗って現れた。

 少しばかり疲れてもいるし、ここまで歩きっぱなしだったので正直なところ、助かる。

 走り出す馬車の御者台から、ラルムさんがこちらを振り返る。


「お二人を先に『歌う小鹿』亭へお連れしますね。さすがにその格好のままで状況説明というわけにもいかないでしょうし、みなさん本当に心配されていましたから」

「ありがとうございます」


 道中聞いた話によると、マリナ達はかなり探し回ってくれたようでマニエラが止めるまでほぼ不眠不休で活動していたようだ。

 キャンプの解体されるまでドゥナに戻ろうとしなかったらしいと聞いて、俺は心底申し訳ない気持ちになった。


「怒られちゃうかな?」

「そうなったら、俺が謝るよ」


 心配げにするルンに苦笑しながら前方を見やると、もうすぐそこにまでドゥナの街が近づいてきていた。


「帰ってこれたな……」


 仲間たちにも、王立学術院にもどう説明したものか……と考えながらも、帰ってきたという安心感が胸を満たす。

 俺にとってはほんの数日ぶりのはずなのだが、胸中では二週間でも足りないくらいの寂しさが渦巻いていた。


(早く、みんなに会いたい)


 どこか懐かしさすら覚えるドゥナの門をくぐりながら、急ぐ気持ちをじっと我慢した。

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