第47話 昼と夜
「魔力は、ないみたい」
〈
千変万化の『無色の闇』では何があってもおかしくはないが、さすがに迷宮内に普通の家が建っているというのは、おかしいと感じる。
「中、確認するっすか?」
「さて、どうするか」
確認はすべきだと思う。
もしかすると、このエリアにおける『
だが、だ。俺の勘が、そう判断すべきではないと囁いている。
都市の郊外によくあるような一軒家だ。
手入れされた小さな畑、小さな井戸、扉にはドライフラワーが飾られ、玄関前は掃き清められている。
この危険な迷宮の中で、あまりに普通過ぎた。
異常というのは
「……あら、まあ。お客様かしら」
どうすべきか迷ってまごついていると、あろうことか家の扉から老婆が姿を現した。
優しげな目元をした、白髪の老婆だ。
緊張感の欠片もない顔で、俺達ににこりと笑う。
「お客様なんて久しぶりだわ。お茶はいかがかしら? お腹が減っていたら、カボチャのパイもありますよ」
……迷宮に人が住んでいるわけなどない!
だが、この人物からは殺気も邪気も感じない。いったい、どうなっている?
俺は迷宮で何に出会ったんだ?
「ねえ、おばあちゃんは誰? どうしてこんな所に住んでるの?」
物怖じしないマリナが、老婆に尋ねる。
「どうして……といわれると、長い長い話になるわ。中でお茶でも飲みながらどうかしら?」
確かに、老婆相手に長時間立ち話と言うのは些か配慮が足りないかもしれない。
だが、違和感が拭えないのに、誘いに乗るわけにもいかないだろう。
幻覚の罠にかかっている可能性もある。
注意深く、警戒し、観察し、状況を確認しなくてはならない。
疑わしいと思ったら、勘を信じるのが正解だというのは、これまでの冒険者生活で身に染みている。
「申し訳ないが……俺達は冒険者でここはダンジョンだ。あなたの申し出を受けるわけにはいかない」
「あら、そう? もうすぐ日が落ちてしまうわよ?」
亜麻色の髪の中年女性が、空を見上げる。
確かに、青かった空は茜色に染まり、夜の訪れを匂わせていた。
だが、この小屋敷に入るべきではないというのは変わらない。
「──ユーク! ダメ!」
レインの声でハッとする。
いつの間にか、俺は小屋敷の前に立っており……もう少しで足を踏み入れるところだった。
「……幻覚かッ!?」
周囲を見回すと薄暗くなり始めており、広がっていた草原は枯れたように萎びていた。
そして、老婆は妖艶な美女となって、屋敷の入り口に立っている。
「すまん、レイン。俺はどうなった!?」
「無意識に、干渉された。ボクは、指輪が、あったから」
【正気の指輪】を見せて、レインが頷く。
「たぶん、警戒、し過ぎたんだと思う」
焦点を絞りすぎて、逆にそこに付け入られたか。
俺としたことが……ッ!
「みんなは?」
「大丈夫! ユークが一番危なかったよ!」
「それよりも、様子が変っす!」
周囲の景色が、変化していく。
緑の草原はすっかり枯れ落ちてひび割れた荒地に変化しているし、目の前にあった小さな家は今や巨大な宮殿へと変化している。
さっきのは、俺が進んだんじゃない……この建物が、こちらに広がったのだ。
「ユークさん、精霊が変です! バランスが乱れて……! 狂っていきます!」
「く……どうなっている?」
焦り乱れる心を何とか落ち着けて、行動指針を練る。
俺が迷っては行動に遅れが出てしまう。
「ほぅら、夜が来る」
今や年若く美しい少女になった老婆のそのセリフに、心がざわりとした。
まさかと思いながらも、現状に一致する伝説を思い出す。
振り返ると、少女が愉快そうに口角を上げていた。
「ペルセポネ……! 生と死を反転せしめる女神!」
「我が名を知るか。ユークとやら」
この状況にピンときた。
ピンときたが……ピンとこない。
何故なら、〝青白き不死者王〟レディ・ペルセポネはおとぎ話とでもいうべき伝説の物語に描かれる人物で、その住居たる骨の宮殿とそれが在る『灰色の野』は死後の世界に存在しているはずだ。
彼女が本当にレディ・ペルセポネであるならば、俺達は死者の国にいるということになる。
「ど、どうしますか!?」
「階段に戻る!」
元きた方向を指さし、俺は全員に指示を飛ばす。
まだ日は落ちたばかり……夜に完全に変わりきる前に、辿り着く必要がある。
「撤退すか!?」
「それもあるが、伝説の通りなら……!」
伝説が正しければ『灰色の野』は二面性の混ざり合った世界。
昼と夜。
生と死。
老と若。
で、あれば……階段も反転する。
第一階層への上り階段は、第三階層への下り階段に。
つまり、この階層の正しい攻略法は、『夜が来るまで階段の前で待つ』だったということだ。
「急げ! “夜の魔物”が現れる!」
全員に〈
「つまらんのう……」
走り出そうとする俺の前に、〝青白き不死者王〟がふわりと姿を現す。
儚げで美しく、それでいて濃い死の気配を放つ少女。
「偉大なる
伝説に描かれた主人公はこの言葉を告げて『死』から遠ざかった。
同じように見逃してくれるといいが……。
深く頭を垂れる俺の頬に、凍り付くような冷たさの指先が触れる。
「その言葉、忘れぬぞ」
指が離れると同時に、俺は『死』に背を向けて一目散に走った。
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