第69話 芋くさ夫人と扉にへばりつく護衛騎士
「大丈夫、私はあなたを傷つけたりしない。ナゼル様を刺したことは許せないけれど……無事だったし。それにしても顔色が悪いわね」
リリアンヌは罪悪感を覚えていないわけではなく、自分が犯罪に手を染めた事実に脅えている。
「私、私は……」
呼吸が速くなりガタガタと体を震わせる彼女を支えながら、私は話題をずらすことにした。ケリーが紅茶を持ってくる。
「落ち着いて。ナゼル様が領主になってから、ボロボロだったスートレナの司法が見直されたのはご存じ?」
そう、実はナゼル様はいろいろな方面でスートレナを改革中なのだ。
以前は領主の気分で下された罰が多かったという。「気分って何?」って思うよね。そんなので刑を決められるとか、迷惑極まりないんですけど。
「いいえ、スートレナのことは知りませんが、私は領主を手にかけたのです。普通に考えれば生きていられるはずがありません」
もっともな意見だ。他の領地であっても領主殺害は重罪で、犯人のほとんどが処刑される。
魔獣に殺害された前領主の件をうやむやにしたのもそれが理由だった。
「普通なら殺人は許されない。けれど今回は殺人未遂なので、あなたが全てを自白すれば死刑は免れます」
助言しても、リリアンヌは頑なに口を閉ざす。
「今さら生き延びても、なんになるでしょう。私には何もないのに……身分も、住む家も、生きる手段も」
「どういうこと? あなたは伯爵令嬢では?」
「いいえ、もう伯爵令嬢ではありません! 私は、家を勘当されたのです!」
「勘当!? なんで?」
私とケリーは顔を見合わせる。
王都では勘当が流行しているのだろうか。そんな流行は嫌だ。
「身一つで街に追い出され、私には生きていく術がありません。自業自得ですが」
「勘当を取りやめてもらうよう、ご実家へ連絡しましょうか?」
「無駄です。私は家族だけでなく、最後の頼みの綱からも見放された。ずっと信じていたのに」
「誰を?」
リリアンヌが答えてくれるまでじっと待っていると、彼女はどこか吹っ切れた様子で自嘲し始めた。
「ふふ、自分を捨てた相手を守っても……仕方ありませんね。私、馬鹿みたい」
小さく深呼吸をし、リリアンヌは私の目を見た。
「全部、お話しいたします」
それから聞いた話は、信じられないものだった。
伯爵令嬢リリアンヌは、ロビンの甘い言葉に騙され全てを失っていたのだ。
無論、彼女がまったくの潔白というわけではないが、王女の婚約者と恋仲になった件に関しては、身一つで勘当という重い罰を受けている。ロビンと体の関係がなかったのは、不幸中の幸いだろう。
そうして何もかもなくして途方に暮れたリリアンヌを、ロビンはナゼル様を排除するため利用し使い捨てた。
最近辺境へ来た彼女は、男爵たちの悪事と無関係みたいだ。
「正直に話してくれてありがとう、リリアンヌ様」
けれど、よくわからない。
どうしてそこまでロビンは、ナゼル様に敵意をむき出しにするのだろう。
ナゼル様曰く、彼とはほとんど関わりがないらしいのだけれど。
王都でナゼル様の罪をでっち上げ、辺境へ追放しただけでは飽き足らず、令嬢を唆し刺客として送り込んでくるなんて。正気の沙汰ではない。
「ロビン様……いいえ、ロビンはとんだ卑怯者だわ」
自分の手は一切汚さず、周囲の罪のない人を巻き込み、今も王女の夫として高みに君臨して。
彼のせいで一体、どれだけの人が人生を狂わされたのだろう。
「とにかく、あなたの話はわかった。きちんとナゼル様に伝えるから、今は傷を治すのに専念してね」
あとのことをケリーに任せ、私は部屋を出たが、扉の前にはトッレがへばりついていた。
「トッレ、そんな場所にいると邪魔になるわよ。ケリーが出入りできない」
「リリアンヌが心配なのです」
「もしかして、中での話が聞こえていた?」
「はい、あの……盗み聞きしてすみません」
しゅんとしたトッレを扉から引き剥がし、ナゼル様の元へ向かう。
「トッレは今もリリアンヌ様が大好きなのね」
「気持ちは変わりません!」
目を輝かせながら答えるトッレからは純粋な好意が感じられる。
「ねえ、トッレはリリアンヌ様のどこが好きなの? 言いたくなければいいのだけれど、そこまで相手を想えるのが不思議だったから」
「構いません。隠す内容でもありませんから。俺はリリアンヌの努力家なところが好きなんです! 大人しくて素直な令嬢に見えますけど……それを覆すくらいの根性があって、日々勉強に励んでいるのです」
トッレの失恋の原因はロビンで、彼は本人に苦情を伝えにいったこともあるらしい。
その場で言い合いになったそうだ。
「俺は口下手な上にすぐ頭に血がのぼってしまうから、城で会ったロビンに最後まで言ってやれなかったけれど。リリアンヌは誰より頑張り屋なんだ!」
たしかに、トッレは口の上手いタイプではない。でも、まっすぐで心がきれいだ。
「でも、俺がリリアンヌと結婚したら、もっと楽させてやりたいと考えていた。努力する彼女は素晴らしいけれど、本来の自分を押さえ込んでいるようで、いつもどこか苦しそうだったから」
「……そうだったのね」
私はリリアンヌの手首の傷を思い浮かべた。
「リリアンヌ様の処遇を決めるのはナゼル様やヘンリーさんだけれど、私も彼女が気の毒だと感じる部分があるの」
怪我をしたリリアンヌを見て思ったのだ。彼女は、もう一人の私だったと。
あのとき、エバンテール家から追い出されたままだったら、ナゼル様が助けてくれなかったら……私はどうなっていただろう。
縋るものがないところに優しく声をかけられたら、藁をも掴む思いで自身の手を伸ばしたのではないか。
「今回の件、リリアンヌ様一人だけを責められないわ。でも処罰しないという選択もできない。全てを含め、話をしに行きましょう」
「はい! アニエス様! どこまでもついて行きます!」
大股で歩くトッレに早足で並びながら、私は皆のいる場所――宿の食堂へ向かったのだった。
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