第55話 魔獣の処遇(トニー視点+α)

 ザワザワと騒がしい避難所の一角で、トニーは少しの間仮眠した。朝になればやることがたくさんある。

 

 トニーの祖父は元貴族だった。とはいえ、弱小貴族の七男……しかも愛人の息子という状況だったけれど。

 そのおかげでトニーは現在下っ端とはいえ役人として働けている。

 両親は領主一家に、侍従長とメイド頭として使えていた。二つ前の領主の代からだ。

 ただ、前々領主のときは条件の良い使用人だったのが、前領主の気まぐれで馬丁に降格された。

 

 前領主は無茶な行動が多く金遣いも人一倍荒かった。それを注意した両親を煙たがって外での仕事に就けたのだ。このとき、両親だけではなく他の使用人もたくさん配置換えされた。

 上級使用人は皆、前領主に逆らわず安く雇える人員、または彼が街で知り合った怪しげな輩になり、もともといた使用人は左遷されるか追い出された。

 屋敷は増改築され、湯水のごとく税金が使われ、スートレナの人々の生活は困窮した。

 トニーの両親は、それでも腐らず馬丁としての仕事を続けた。

 

 当時、厩舎では前々領主が手に入れた珍しい魔獣が飼育されていて、両親の仕事は主にその魔獣の世話だった。魔獣好きのトニーも、よく屋敷を訪れて両親を手伝った。

 グラニと呼ばれる馬に似た魔獣は大変頭が良くて穏やかな性質だ。本来は森や草原を高速で駆け抜ける種類だけれど、領主のコレクションにされたがために小さな厩舎の中だけで過ごしている。

 狭い厩舎での生活は窮屈だろうに、グラニは両親やトニーに心を開いてくれていた。

 

 だが、前領主は、そんなグラニを虐待した。

 彼は森に入っては遊びと称し、罪のない魔獣を狩るような人間だったのだ。

 一度、両親のいない時間帯にグラニを傷つけた前領主は、近場で鬱憤を発散させる方法を覚えた。

 そして、怪我に気づいた両親やトニーが手当てをしている最中、刃物を持って再びグラニに危害を加えようとした。

 当然、両親やトニーはそれを止める。

 

 すると、前領主はその刃物をトニーたちに向けたのだ。両親もトニーも丸腰だった。

 魔法を使っても、三人と一匹で同時に逃げるのは難しい。

 もう駄目だと覚悟した瞬間、それまで大人しく立っていたグラニが大きく嘶き足を振り上げ、前領主を蹴り飛ばした。何度も、何度も。

 まるで、トニーたちを危険から守ろうとしているようだった。

 

 しかし、領主を……人間を傷つけた魔獣は普通なら殺処分されてしまう。

 だからトニーたちは、グラニの鎖を外して厩舎の扉を開け、こっそり外へ逃がした。賢いグラニは事態を理解し、両親に言われるまま森へ向かった。

 幸い、前領主が殺されたのは夜で、目撃者が誰もいない。

 両親もグラニの手当てで遅くまで残っていただけで、本来ならとっくに帰っている時間帯だった。

 

 こうして、その一件は酔った領主が魔獣に近づいた際に起きた事故として処理された。

 トニーたちは無関係を装い、真実を隠したのだ。

 前領主がいなくなると、屋敷に仕えていた者たちはあっさり解散し、両親も仕事を辞めた。今は郊外で騎獣牧場の手伝いをしている。

 

 このことを知っているのは、領主不在の穴埋めとして王都から派遣され、偶然事件に気づいたヘンリーだけ。そして、ヘンリーもこれを事故として処理した。

 真実は永遠に隠された……はずだった。

 新しい領主が赴任し、グラニが新月の魔力に酔って判断力を失わなければ。

 トニーはこれからのことを考え、暗澹たる気持ちになった。



 ※



 あれから、部屋で少し眠った私が目を覚ますと、隣にナゼル様が座っていた。

 彼の向こう――開いた窓からは、昨日の事件が嘘だというような、すがすがしい庭の景色が見える。

 

「……おはようございます、ナゼル様。もう、外が明るいですね」

「おはよう、アニエス」

「ナゼル様は、ちゃんと寝ましたか?」

「大丈夫、アニエスと同じくらい眠ったよ」


 ナゼル様はにっこり微笑んで、私の髪を優しく撫でる。

 起き抜けとはいえ、彼は隙のない姿だ。おそらく、先に避難所を見回ってきたのだろう。

 

「アニエス。昨夜、君が外に出ていたのを見たとき、心臓が止まるかと思った」

「う……それは……」

「街の人を救助しようとしたんだよね。皆感謝していたよ」

「ナゼル様、心配をかけてごめんなさい」

 

 謝ると彼は困ったように眉尻を下げ、また私の頭を撫でた。


「避難所を片付けたあと、少し付き合って」

「……ん? わかりました」

 

 ナゼル様は私の額にキスを落とし、優雅に歩いて部屋を出て行く。

 支度を終えた私は、急いでナゼル様やトニーと合流した。

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