第26話 メイドの事情と木登り(ケリー視点)
よく晴れた空の下、ケリーは穏やかな気持ちで、自分が仕える夫婦を見つめていた。
巨大に成長した苗の下で、ナゼルバートとアニエスがじゃれ合っている。
あのナゼルバートが他人に対し、ここまで屈託のない笑みを浮かべることは少ない。
王女の我が儘によって結ばれた夫婦だが、相性は悪くないのだろう。
そう推測しつつ、彼らが結婚できて良かったと思うケリーだった。
ケリーはごく普通の平民で、王都の郊外に住む大家族の長女だった。兄や姉はおらず、下にいるのは弟ばかり。
魔法の力が少し特殊なことを除けば、どこにでもいる普通の少女だった。
十歳を過ぎた頃、ケリーは兄弟を養うための戦力として王都へ働きに出ようと決めた。
同情する大人もいたし、両親には止められた。
しかし、家事や子守に追われて自分の時間すら持てない、あの地獄のような家から出られて、ケリーはホッとしていた。
両親が、自分を心配しているわけではないと知っている。
口ではなんとでも言えるが、本心は楽をしたいだけだ。
母は、家事のできる長女を手放したくなかった。
彼女はケリーを第二の母親に仕立て、礼儀のなっていない暴力的な弟たちの世話をさせていたのだ。
半ば強引な手段を用いてケリーの働き先が決定したときも、母はあからさまに落胆していたし、ケリーを責めた。
でも、それはお門違いというもの。
両親は、世話の大変さも覚悟の上で、子供をたくさん持つという選択をした。
自分で決めた結果ならば、大量の家事や育児に文句は言えまい。
けれど、ケリーは違う。たまたま、そういう家の長女に産まれてしまっただけ。生まれた順番や性別で、幼いうちから強制的に母親の役目を与えられただけだ。
そこから逃げ出して何が悪い。
これを機に、甘えて暴れるしか能のない弟たちに家事を仕込めばいい。
同じ子守をするにしても、相手をする人数が少なく、賃金がもらえる仕事のほうが良いに決まっている。
思い切った決断だということは理解していた。
普通の子供なら、そこで家を出たりはしないかもしれない。
けれど、ケリーは自分の魔法の力に後押しされたこともあり、迷いなく旅立ったのだった。
家に戻りたくないケリーは、王都へ来て必死に働いた。
子守からスタートした出稼ぎだったが、結果を出して仕事範囲が増えたのをきっかけに、そこからさらに上へ進むことができた。
実家では弟ばかりに囲まれていたからか、ケリーは女の子が好きだ。
王都に出て来てからのケリーは、純粋に流行やお洒落が楽しいと思ったし、仕事先の少女たちを可愛く着飾り喜んでもらえたとき、嬉しいと思えるようになっていた。
これが、自分の天職ではないかと感じるほどに。
そして、ついには、とある人の依頼で王宮へ上がり、王女の衣装係の一端を担うまでになったのだ。
そこから諸々の事件があり、ナゼルバートに助けられ、現在は彼の妻であるアニエスの世話を任されている。
アニエスは、今まで世話をしてきたどの令嬢とも違っていた。
けれど、ケリーには彼女が好ましく映った。
――ここまで綺麗な好意はナゼルバート様以来ですね。
ケリーの魔法は自分に対する相手の心を大雑把に覗くもので、具体的には、相手の好意や悪意、嘘や真実がうっすらと判定できる。
いつの頃からか、ケリーは淡々とした態度で日々を過ごすようになっていた。
悪意や嘘を目にしたときに、冷静でいられるよう心がけた結果だった。
両親の言葉は嘘にまみれていたし、王女や同僚の態度からは平民に対する嫌悪が漂っていた。
けれど、ナゼルバートとアニエスから感じたのは、純粋な好意のみ。
それに、なんといっても、アニエスは着飾り甲斐がある。今までは芋くさ令嬢として埋もれていたが、磨けば磨くほど輝く原石だ。
だから、無理を押してでも、二人と一緒に辺境へ行こうと決めたのだ。ケリーの中の一番は彼らだから。
辺境での暮らしも思ったほど悪くはない。
巨大な苗を前に、アニエスが太い幹に登ろうと奮闘している。
お嬢様なので木登りの経験などないのか、勝手がわからず苦戦しているようだ。
断念してずり落ちてきたアニエスを、ナゼルバートが抱き留めているのを目にしたケリーは、知らず口元を緩めていた。
「……ナゼルバート様、満面の笑みですね。夫婦円満で何よりです」
ケリーは彼らの笑顔を守ろうと決めている。
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