第9話 芋くさ令嬢のお部屋ジャッジ
二階の階段を上ると、壁際に綺麗なメイドさんが立っていた。同い年くらいかな?
栗色のまっすぐな髪を一つに結んだ、キリリとした美人で無表情な人だ。ちょっと怖い。
「アニエス嬢の世話は、そちらのメイドに頼んである」
メイドさんが恭しく頭を下げたので、私も慌ててお辞儀する。
「それでは、おやすみ。アニエス嬢」
「お、おやすみなさいませ。ナゼルバート様」
ぎこちなく挨拶すると、ナゼルバート様は満足げに笑って階段を下りていった。
……はあ、なんかドキドキした。いちいち格好いいんだよね、ナゼルバート様は。
私はメイドさんに向き直って挨拶した。
「アニエス・エバンテールです。しばらくお世話になります」
「フロレスクルス公爵家の離れを担当しているメイド頭です。ケリーとお呼びください」
「よろしくお願いします、ケリーさん」
「アニエス様、私のことは呼び捨てにしてくださいませ。お外は冷えたでしょう? お部屋のバスタブにお湯を用意してありますから、お入りください」
「何から何まで、どうもありがとうございます」
彼女は「芋くさ令嬢」である私にわりと好意的だと思える。
整った顔立ちの上に表情も少ないので素っ気なく見えるが、私を見下すようなそぶりは一切見せなかった。ナゼルバート様の指示かもしれないけれど、温かいお風呂まで用意してくれているし……!
「親切すぎて、感動だわ」
今までの私は、同年代の女性に優しくされた記憶がない。
エバンテール侯爵家に従順なメイドは、堅苦しいルールにいちいち文句を言う私を「できの悪い令嬢だ」と馬鹿にしていたし、屋敷の外では誰も彼もが私を「醜い芋くさ令嬢だ」と言って蔑んでいた。
家訓に反抗できず、場違いな格好で外に出るからだとわかってはいるのだけれど、今風の常識的な装いを手に入れることは、親に逆らえない私にとって困難だったのだ。
「こちらのお部屋ですよ。どうぞ、アニエス様」
「は、はい」
ケリーが扉を開けると、手入れの行き届いた上品な部屋が現れた。
派手さや可愛さはないけれど、一目で高級品とわかる美しい家具に、落ち着いた薄紫色の布が掛かったソファーやテーブル。
同じく薄紫と白の組み合わせのベッドカバーには、綺麗な小花模様が刺繍されていた。花瓶には淡いピンク色の花が、これでもかというくらい差し込まれている。
「わあ、素敵な部屋」
重苦しい色の巨大家具に制圧された、我がエバンテール侯爵家の自室とは雲泥の差だ。
私の部屋には、先祖代々の婚礼箪笥が集結していたのである。
この国では、かつて花嫁が家具一式を持って嫁入りする風習があった。婚礼箪笥もその一つだ。そして、エバンテール家は古い風習を今も実行している。
両親が主張するように、もの自体は素晴らしい。丁寧に作られた質の良い高級箪笥だ。
しかし、しかしだ……!
捨てるのがもったいないからと何代にも渡って家に運び込まれた箪笥の総数は、おおよそ三十個に到達しようとしていた。
一人嫁いでくる度に、三個くらい箪笥がセットでやってくるからだ。
中には、一人で五、六個の箪笥を持ってくる祖母のような花嫁もいる。
丈夫な箪笥は壊れることもなく数を増やしていき、そのうちの十個が私のベッドを囲むように置かれていた。もし、地震が起きれば一発でアウトだろう。
それがどうだ、フロレスクルス公爵家の、このスッキリした部屋は!
息の詰まるような閉塞感はないし、広い窓からは、外の景色がよく見えそうだ。
「こちらが浴室です」
案内された浴室は、とても良い匂いがした。ラベンダーと林檎の混じり合ったような、甘くて優しい香りだ。
こちらも、落ち着いたデザインの部屋である。
金色の猫足のバスタブからは、ボリュームのある泡がはみ出ていた。
腕まくりをしたケリーは、手際よく私の服を脱がせてバスタブの中へ入るように促すと、黙々と私の体を洗い出す。ゴシゴシと荒々しく体をこする実家のメイドたちとは違い、その手つきは丁寧の一言に尽きる。
最後にお湯で泡を落としてもらった私は体を拭かれ、ふわふわのバスローブ姿になった。
「わあ、柔らかくて軽い」
私の感想を聞いたケリーが「え? 普通のバスローブですよ」と、不思議そうな顔をする。違うの、我が家のバスローブはカチカチでものすごく重いの。
浴室を出て柔らかな椅子に腰掛けると、ケリーはすかさずココアを用意してくれる。
「ありがとうございます」
実はココアなんて、外出したときくらいしか口にする機会がない。我が家では甘いものは禁止されているのだ。
風呂とココアのおかげで、私の体はすっかり温まった。楽観視できない状況に追い込まれてはいるけれど、今の私は幸せな気分だ。
歯を磨いて寝る準備をし、天蓋付きの柔らかなベッドに腰掛けると、ケリーが口元に笑みを浮かべた。彼女は表情が豊かではないけれど、微笑んでくれているのだとわかる。
「アニエス様、それではごゆっくりお休みください」
「はい、おやすみなさい」
明かりが落とされ、ケリーが部屋を出て行ったので、私はもそもそとベッドの中央で横になる。
「……ベッド、大きすぎじゃない?」
三人くらい余裕で寝られそうなほど広い。離れとはいえ、さすがは公爵家だ。
寝心地の良い寝具に包まれた私は、いつの間にか穏やかな夢の世界へと旅立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます